■海外の部 EBU地域 優秀賞
(ジュニア・グループ)
「私の人生における点字」  ポルトガル マルコ・オーレリオ・マルティーズ・ブランコ(23、男性) 

  私は長く拒絶と不信の時を過ごしたことを思い出します。そうした時に私は、点字の熱烈な愛用者になったのでした。点字に対する姿勢は徐々に変化し、生活の一部になりました。明るい照明を手に入れ、私を怖がらせていた終わりのない暗闇は取り除かれたのです。
今では、このような暗闇は既に大昔のもののように思えます。原始人が書くすべを知らず、それゆえ無知で野蛮な動物として生きていた大昔のもののような。あるいは人を怖がらせ、落ち込ませるために作られた架空のもののようにも思えます。あるいは、暗闇は単に一日のある一面にすぎないのです。
  それでも私は、実際に見えないのだから視覚障害者でないように装うことはしません。目が見えなくても持つことのできる第二の視力があるのです。それは食べ物や隠れ場所を探す、動物のような視力ではありませんが、理性や心に向かって魂を導くような視力なのです。この、点でできたアルファベットがなければ、その第二の視力も失われ、私は身体的にだけでなく精神的にも盲目となっていることでしょう。
  私は視覚障害者であると同時にろう者でもあります。点字という言語がなければ私はいったいどうなることでしょう! 私に必要なのはまさに、ある天才に触覚を用いた言語を発明してもらうことだったのです。以前はモールス信号などの音声的な言語や絵画などの視覚的な言語しか作られていませんでした。だから、点字ができたことで人類の表現方法が増えることになりました。コミュニケーションの必要が、点字という結果を生んだのです。
  点字によって私は、孤独で茫然(ぼうぜん)自失の状態から救い出され、心も広くなり、今のような私になることができました。点字はまぎれもない友人であり、点字のおかげで美しい詩を紙に書き留めることも、大学に行くこともできました。簡潔で調和の取れた完ぺきな形を備えた仕組みを考案し、地球上に明かりを広めたルイ・ブライユへの感謝は感動するくらい無限なるものです!
  たとえ「人工眼の父」と言われるドーベル氏が点字は時代遅れの骨とう品になると言ったとしても、私の点字への愛情とその重要性は決して変わりません。点字に勝るものはないと信じていますし、たとえそういうものがあったとしても点字は私にとって必要不可欠なものとして使い続けるつもりです。
  私は、もし指で読むことを学ぶなら、自分の弱さと強さの両面に立ち向かわなければならないと思いながら大人になりました。つまり、がんばってやり通す(あるいはやり通そうとする)か、もしくは我慢できずにどっちつかずのままでいるかなのです。さらに言えば、点字は本質的には目が見えないことそのもの、悲劇を意味していますが、それでも私の弱い視力には比べ物にならないくらい役に立つと思ったのです。
  私がこのように言うのは結局のところ、本当の悲劇というのは、視覚障害者や盲ろう者が読み書きをし、学校に行き、資格のいる仕事をし、科学や芸術、文学の発展に貢献し、人類がより連帯して誠実に暮らしていくことに寄与する際に、常に偏見を持たれたり、排除されたりすることだと私は思うからです。
  点字は視覚障害者の文化的解放のシンボルだと思います。点字は私に、目標に向かって飛ぶための羽をくれたのですから。そして点字をとても愛しているので、私は最も熱心な点字利用者になり得たと思うのです!
  次の話でこの文章を締めくくりたいと思います。私は16歳の時に点字を学んでいたのですが、点字タイプライターが壊れた時、とても心配で心が空っぽになったように感じました。修理が終わった後は、それはそれはていねいに扱うようになりました。点字は魔法のようであり、手と一体になっているのです。

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