■海外の部 EBU地域 佳作
(シニア・グループ)
「光で満たされた暗闇」  ラトビア ディズントラ・ズラブスカ(68、女性) 

  昔聞いたある言葉が心に浮かびました。「暗闇は光で満たされることもあるが、静寂は恐怖の叫びで満たされる」
  あなたは、私が「光」がどういうものか知っているのかと尋ねるかもしれません。その昔、私は光を知っていました。今でも明るい緑に満ちた夏の朝を覚えています。生き生きと花開いているカンバの木の葉の間から柔らかに降り注ぐ緑の光を覚えています。太陽の光のように黄金の花びらに覆われたひまわりを覚えています。頭上に高い青空を、青い海原の向こうの地平線を、紫の夕雲に浮かぶ赤い夕日を、川面から立ち上る真珠色がかった灰色の霧を覚えています。他にもたくさん覚えています。あらゆる虹の色や陰の色あいを知っています。
今思い出したくない唯一の色が「黒」です。今、私にはもう一つの光が見えます。そこに向かって私は長年旅をしました。私は暗い森の中を歩くように沈んだ、希望のない状況にもがいていました。一歩踏み出すとそれが最後になってしまうように恐ろしく思えたのです。もう生きていたくないと思う時もありました。光を切に求める気持ちが生死の境目で私を踏みとどまらせていました。
光から暗闇への変化は大変なことでした。空をもう飛べない傷ついたハヤブサのように、心は泣き声をあげていました。かつては光に満ちた地平線があったのです。しかしそれが突然……。私が最後に覚えているのは、車が衝突するまぶしい明かり―まるで光の炎のような明かり―でした。そしてその後は、深く濃く、乗り越え難い暗闇となったのです。
  あなたがまだ「光とは何か?」と尋ねるのなら、私は暗闇についてなら知っていると答えます……。
  あらゆる種類の、あらゆる表情をした闇を知っています。私は、石壁と闘っている人のようにその暗闇と闘ってきました。ネバネバする松ヤニに足を踏み入れるように、暗闇に足を踏み入れたのです。しかし同時に、体が冷え切って心が凍えるような時にも、暖かい花柄の毛布に包まれるようなこともありました。暗闇は完全に黒のわけではないのです。そう見えるかもしれませんが、暗闇には光と同じように多くのニュアンスや陰があるのです。はっきりと明るい黒から松ヤニの黒まで。闇は絶望のようにどんより暗く、灰色なこともあります。そのような闇では、霧の中でぬかるみを歩く旅行者のように、人は道に迷ってしまうことがあります。この闇は自暴自棄の色であり、ほんの少しちらりと光る明かりでいいから欲しいと人は望むものなのです。でも、その望みはかなえられないのです。ええ、私は闇と自暴自棄の、痛みと絶望の色は知っています。ただ希望や幸せ、喜びの色だけは知らなかったのです。不信や疑い、不明瞭(ふめいりょう)さを乗り越えるにはまだまだ道のりは遠かったのでした。自分だけでは、すぐそばの愛する者たちがいなければ、やっていけなかったことでしょう。彼らは私を支え、元気づけてくれ、絶望に陥らないようにしてくれたのです。彼らのおかげで信念をもち、明日への希望を持ち続けることができました。人は望みがあれば、生きられるものなのです。不条理な事故あるいは運命の岐路が、永遠に光を奪ってしまったということが分かった時が最もつらい時でした。「なぜ?」とか「何のために?」などと尋ねても仕方ないことなのです。今ではこのように考えることにしています。それは「大きな光」を失うことで、心や考えを強くすることができるからだと。多分、私はとても心が狭く自己中心的で、世の中は自分のためにあると考えていたのだと思います。神様は私たちに価値観を見直させ、世界は自分たちのためにあるのでなく、世界のおかげで私たちは生きているのだと分からせてくれるのです。そして、どれだけ世界にかかわるかは自分たち自身にかかっているのです。
  何が起きたのかを理解した後、最初は、世界それ自体が永遠に失われ、消え去ったように思えました。何も残っておらず、残っているものといえば暗い夜だけなのです。私は自分が大きな虚(むな)しさの中にいるように感じ、ほんの一歩でも踏み出そうものなら次の瞬間には奈落の底に落ちてしまいそうに思えて前に進むのが恐ろしかったのです。そして自分自身はもういないかのように思えるのです。ただ魂だけが生きていてどこまでも広がる宇宙に飛び込んでしまったようなものです。何かを考えることも希望を持つこともできないのです。
  しかしその時、ある音が、声が、言葉が黒い絶望を打ち破りました。それは心では静かに泣きながらも私を励ましてくれる親しい友人や愛する人たちの声でした。そして、すべての苦しみに終わりを告げたのです。他のことは何の意味ももたないのでした。私はゆっくり分かってきたのです。この世の中に一人ぼっちではないということ、孤独と絶望の中に見捨てられているわけではないということを。支え励ましてくれる周りの人がそばにいるのです。間もなく私は、世界は自分の部屋の4つの壁に閉じ込められているわけではないというのが分かり始めました。部屋を広く開ければ開けるほど、暗闇はより小さくなっていきました。私はもはや目で見る必要はなく、身の回りのものや、そばにいる人たちを感じるのです。声で周りの人たちのことが分かるのです。微妙な気分を感じ取って、周りの人が笑ったのか満足げな顔をしたのか何かの問題で落ち込んでいるのかが分かるのです。そして、自分が悲しむことで周りの人の日々の負担を重くしないように、逆ににこにこして前向きに考え、すべてがうまくいくよう周りの助けになるよう心がけています。私は自分が健康な家族の一員であると、そして人生の参加者であると感じることができるのです。
  私の知覚は研ぎ澄まされ、指は敏感になりました。光も感じます。そこから発せられる暖かさも感じます。太陽のことも分かります―頭上高くに輝く天体についてだけでなく、人生に明かりを照らし、夜と昼を、暗闇と明かりとを分け、生きる意味を与えてくれる太陽の恩恵についても分かるのです。
  私の指はとても敏感なので身の回りのものや絵、色からにじみ出てくる光が分かるだけでなく厚紙に記された点字も分かります。私の部屋の壁は後ろに下がり始め、代わりに世界が広がってきました。今では、突風がどのように帆船を揺らすのか、牧草地の山ヨモギが日中の猛暑のためにどのように湯気をあげるのかが分かります。刈り取られた干草の新鮮なにおいも、ライ麦畑が花粉をどんなふうに空中にまきあげるのか、庭のリンゴがどのように赤く色づくのかも分かります。雪が地上を冬の毛布で覆う時にはどんなにおいなのか、春には徐々に溶けて小川に流れ込み、どんなにおいがするのかもわかります。繰り返しになりますが、私はあらゆることを覚え、知り、理解しているのです。しかし、この小さな点々がついた紙に手のひらを置きたくないと思った時がありました。私に与えるかもしれない痛みが怖かったからです。
  私は、小さな点でできたこのアルファベットを発明してくれた人にとても感謝しています。この点字があるから私は世界を再び感じることができるからです。私の静寂は恐怖でいっぱいにはなっていません。私の暗闇は光で満たされているのです。

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