国内の部 最優秀オーツキ賞
 「希望の1点」
京都市 竹保 遥(22歳)

 こうして本を読んでいると、点字に救われた時のことを思い出します。
 初めて点字と出会ったのは5歳の時でした。幼稚部の教室で遊び回っていた私を先生は突然机に着かせ、真っ白な紙を差し出してきました。恐る恐る触れると、そこには不規則な点がいくつも浮き出ていました。当時の私にとって、その不規則な点たちは未知なるパズルのようでした。それからはまるでそのパズルを解き進めるように、一文字ずつ点字を覚えていきました。しかし、単語になったとたん格段に難易度が上がり、解読不能となりました。
 ある時「ヘリコプター」という長く、半濁音のある単語を何度触っても読めないことがありました。そして、読み取れないことに耐えきれなくなった私はついに、椅子から立ち上がり、教室を脱走しました。
 小学校に入っても、点字を読むことは得意になれませんでした。とはいえ、ほかの子ども達と共に勉強するには文字が必要です。そのため、仕方なく点字の読み書きの練習を続けました。特に苦痛だったのは、毎朝の読書活動です。友達に話しかければ注意され、読むことに飽きうとうとすれば、起こされるという日々が続きました。
 そんなある朝、点字の読みが遅いながらも、1冊の本を読み終わりました。その本は大きな恐竜が、食べようと思い様子を見ていた小さな恐竜を、最後に命がけで救うというストーリーでした。私は本を読み終えた瞬間、心の中が温かいものでいっぱいになるのを感じました。そして本にそっと手を乗せ、ふと本って面白いな、点字が読めるって楽しいなと思いました。それからというもの本を開くたびにそこにある点字たちは、楽しいファンタジーや切ない推理小説、実在した偉人の話など、全く知らなかった世界を私に教えてくれるようになりました。
 ところが、それからずっと点字と仲良くやっていけたわけではありません。大学に入学した春に状況は一変します。それまで、中・高と盲学校で友達と、当たり前のように点字教科書を開き学んできましたが、大学は違っていました。点訳が間に合わなければ授業には教科書やプリントなしで出なければならず、ついて行けないことが多々ありました。学内には教室番号の点字表示がない建物もあります。英語の授業を受けるため席に着くと、イタリア語が周囲から聞こえはじめ、慌てて隣の教室に移動したこともありました。点字は文字と言えど、限られた人のためのもので、普通の文字を読めない方がいけないのだとさえ思うようになりました。そして点字を使っていることに、不安と疎外感を感じました。学内で毎日引っ越しのように、巨大な鞄(かばん)いっぱいの点字教科書を、持ち歩くことにも恥ずかしさを感じました。
 そんな折り、教室で本を読んでいた私にまりちゃんという友達が声をかけてきました。「これ何て読むん?」と、教科書の点字を指さしてきたのです。またある時は、「まりこって点字でどう書くの?」と、自分の名前の書き方を聞いてきました。以降、彼女は事あるごとに点字の書き方や読み方を私に尋ねるようになりました。(点字は不便だし見える人は使わんでいいのにな)と不思議に思いながらもその都度、説明しました。
 そんなこともすっかり忘れた翌年の冬、突然彼女から年賀状が届きました。そのはがき一面にはびっしりと点字が書かれてあったのです。何で点字で?というか、どうやって?と半信半疑のまま読みました。すると、その薄くて間違いだらけの点字からメッセージと共に、彼女の優しさや一生懸命な気持ちが真っすぐ私の指先、そして心へと伝わってきました。お礼の電話を入れると彼女は、「はるちゃんにも読める年賀状にしたかった。画鋲が手にブスって刺さって痛かったけど」と、あっけらかんと話してくれました。あとで聞いたところによると、彼女は画鋲を使い、点字の50音表とにらめっこしながら必死ではがきに点字を書いてくれたようでした。
 私は、自分が思っていたよりもずっと周りの人に支えられ、大切にされているのだということを実感しました。そしてそれを気づかせ、私を救ってくれたのも点字でした。
 点字は、私に新しいことを教え続け、大切なことに気づかせてくれたかけがえのない存在です。
 将来はこの点字を、自分と同じ視覚障害のある多くの子どもたちに教える仕事に就きたいと考えています。大切な私たちの文字を伝えることで、子どもの可能性を広げていきたいからです。
 これからも、点字が私の世界を広げてくれる、希望の1点であり続けることに変わりありません。