海外の部 EBU地域 ジュニア・グループ 佳作
「まだ私を読みたい人がいるならば」 
スペイン アンドレア・ムニョス・フェルナンデス(19歳・男性)

あなたの時間をありがとう。私は点字。
とは言え、これを読んでいるということは、あなたはすでに点字をご存じだし、近年私に起こったこともおわかりだと思う。
私はもう長年、人々とともに、そしてその人生とともに前進し、日常や人生の素晴らしい瞬間の一部を形づくってきた。
私が生まれたのはずいぶん前のことだが、私にとっての時間の経過は普通の人のとは違う。しかし、世界で第一歩を踏み出したころのこと、そしてその後ゆっくりだが着実に成長してきたことを、今でもはっきり覚えているし、人々の暮らしに適応し、それまでは不可能だと思われていた分野へ広がってきたこともよく覚えている。
私がその創造を手助けしてきた文章たちは、喜びや悲しみ、恐れ、憤り、平和など様々な感情を引き起こし、文学、音楽、政治、教育などの分野で視覚障害者たちも同様な役割を果たせるようになり、そのことを私は大いに誇りに思っている。
しかし、率直に言うと、私は軽視されているように感じている。そう、その通り、わきに追いやられ、無視され、時代遅れの店にあるダサいもののような扱いで、ごくたまに楽観的に感じることがあるとは言え、このような状況は正当ではなく、報われない思いだ。
私をひと思いに楽にしてやろうなどというシステムと、それを推進する人間たちに対する自分の気持ちと闘うことに、ついには嫌気がさしてしまった。なので、私が最終的に言う言葉は、もうすべて終わりだ!
私が手助けして創造された文章の多くには、成熟するということには必要なら立ち止まって方向転換し、抑圧に屈せず力を合わせて進歩し続けることも含まれる、と書かれてきた。これまでの革新的な道具のおかげで、私のことを知らないような人たちが書いたものも読めるようになり、これまでに書かれたものだけでなく、これから書かれるものも読めるようになった。そればかりか、人を区別することなく違いを受け入れ、人生をより素晴らしくする手助けができるのに。
だから、私はさよならを、、、いや、ちょっと待て!いったいどうなっているのだ?
私は感じる、論理的には意味のない言葉ばかりのノートに、注意深く触れる小さな手を、しかしそれは始まりに過ぎず、私に触れている手の持ち主の、慎重さ、純真さ、そして好奇心に私は感動するのだ。
私はその少女の指のタッチに我を忘れて興奮する。というのは、その少女は、忍耐強く続ければ成果が得られるのだから、と励まし、期待を寄せて静かな口調で指導する女性教師の助けで、その符号を解読しようとしているからだ。
そして、しばらく説明を聞いて懸命に解読しようとした後、私はついに、その少女が「べ、、ッド」と読む声を聞く。その教師の笑顔は無上の喜びを表し、少女は顔を紅潮させ、緊張した手で心臓をバクバクさせながら、人生初の言葉を読んだのだ。それを感じて、私は天にも昇るくらい感激する。
こうした新たな成果を振り返り、自分の決心を変えるべきか推し量りながら、私は私の点が書かれた紙のノートに文字通り気を留めると、それは別の場所へと移動している。清純な少女の手から、全く別の人の手に渡っている。
そのノートは、秩序だった星座のようにまとまったが、点字の符号がわかる人にしか使えない。
その手には私に感じられるよりもっと多くのしわがあり、もっと疲れていて、その手の持ち主は、懸命に努力したにもかかわらず、私の硬い紙の上に人生の悲しみの涙をこぼさざるを得ないような、悲しい表情をした男性だ。
私はもう、初めのころの状況には慣れている。すべてを失ったと思い、深く暗い井戸の淵にいて、今にもその中に落ちてしまいそうな状況だ。しかし、経験からわかることは、そのような人の多くが、一番大切なものをなんとか救って生きようと、必死で井戸の淵に爪を立て、気高くありったけの力で弾みをつけてそこからなんとか抜け出すのだ。
そして、以前のような暮らしを取り戻そうと、私を傍らに置いて悪戦苦闘することによって強くなった心で、その内面の傷が癒えていく。
その男性のイメージは(私にとっても)最初はもの悲しいのだが、彼がどうなっていくのかは、経験から見通せる。きっと自宅にいて、読み直したいと願っていた小説の読書を心から楽しみ、大切なだれかとその小説の話をしている。そして、私は私なりに喜び微笑む、というのは、彼にも夜の終わりに必ず光がさす日がやってくることを知っているし、その瞬間、これぞ最高に元気を与えてくれる真実であると、私には思えるからだ。
先ほどの少女や男性をはじめとする多くの人たちが、今でも私のコードを解読しようと学んでくれているとしたら、どうして私は消えてしまうことなんてできようか?この人たちを見捨てることなんてできようか?わずらわしい機械的な音声を介さずに、投票用紙や薬の箱に書かれた説明書きなど、様々なものを自力で読む喜びを奪うことなんて、できようか?いろいろなことが起こり今後も起ころうとも、それでも私を忘れたくないと主張し、私を信頼してくれる人たちがいるのに、これまで通りの私でなくなることなんてできようか?
触覚に新たな技術を組み合わせた道具が開発されても、きっとそれは私の存在を揺るがすわけではなく、視力のある無しにかかわらず、だれもが平等に生きられるようにする、私の働きを助け、より良い働きができるようにしてくれるかもしれないのだ。
だから、どんなことがあろうとも、私は、私を使って読んだり書いたりする必要のある、若い人も高齢の人も含めすべての人たちの助けであり続けるだろう。
今こそ、私はより強くなり、世界中に居場所があることを証明するチャンスの時だ。私は、これまで同様、着実に、だれからも忘れられることなく、時代とともに進化し続けるよう、最善を尽くすつもりだ。
これからの200年も皆さんと一緒に!