海外の部 EBU地域 シニア・グループ 佳作
200年後
スペイン  カルロス・アンドレス・ヴァレホ (66歳・男性)

 今日、私を仲間として扱ってくれ続けるだろうとの思いとともに、私は父母・祖父母の住んでいた村へと帰ります・・・三日ほど私は身を隠し、三日目に再び立ち上がり、生まれ変わった気持ちで、私たちが今住んでいるこの「グローバル・ビレッジ」という、ストレスいっぱいの仕事生活、システム化された世界へ、再び参入するという期待を込めて。

 村は、ちょうどクヴレ(ルイ・ブライユの生地)と同じような大きさで、坂道が丘へと続き、村はずれにある
私の家へと向かう道は、「おはよう」と声をかけたい思いにもかかわらず、めったに人に出あわないほど、物静かなところです。
家は切妻造りの2階家で暖炉があり、家の前には小さな庭が、家の後ろには車庫があります。ルイ・ブライユの生家を訪れたことのある人なら誰でも、外観はそっくりだと思うでしょうが、家の中は、多かれ少なかれ、近代的な標準の設備できちんとしつらえられています。一方で、隅から隅まで、思い出いっぱいの旧式なものが保存されてもいるのです。

 それは、春が終わりを告げた、素晴らしい一日でした。私が着いたのは、1809年、ルイ・ブライユのころでした。私は部屋に荷物を置くと、家の周りをざっと見渡しました。私は目的もなく村の中や家の周囲などを見て回りたいと思いました。心の窓を広く開けました、古くからの泉からわいた新鮮な水が流れ込むように。そうすれば、平原の恵みのシンボルともいえる十字路から、村やそれを取り巻く美しい景色を堪能でき、植物(花々や木々、積みあげられた湿った新鮮な草々の、命の贈り物といえる香りを嗅ぐことができ、飛び回ったり休んだりする小鳥たちの鳴き声や謳い声を聞くことができ−何を言っているかは、神様がご存じのこと−、コウノトリの信じがたいおしゃべりにも耳を傾けることができるのです。

 村はずれでは、つがいの犬―その吠え声のやかましさは、咬まれるよりももっと悪い−に挨拶をしたのち、わずかの雌牛(遠くから、偶然に)とわずかのお年寄りがお辞儀をして脚を引きずりながら歩いているのを目撃し
たものの、覚えているかぎりでは、羊も牝鶏もいませんでした。
私は、二つの学校―男子校と女子校で、どちらも今では、実際には廃校になっていましたが・・・私の父母が生前通っていた学校でした−の前で立ち止まりました。

 衝撃が私を襲い、それに促されて、だと思いますが、突然、両親への愛に包まれたあるアイデアによって、
私は最新鋭の機器を取り出し、「ルイ・ブライユ 1818」について、グーグルのインターネット検索「なんでもご存じ博士」が、何を言っているか検索してみました。

 すると、出てきました。「1818年、ルイ・ブライユは、晴眼の級友とともにクヴレの小学校に入学した。彼の学籍番号は10番だった」と、読むことができたのです。
そこから私は思いました。彼は9歳で、読むことも書くこともできず、記憶する際には、小さな小鳥のように、
知識の断片を口にいっぱいほおばって、と。たとえ、家族やクラスメイトや先生方の善意があったとしても、なんと暗い未来が。彼の前に横たわっていることか、と。

 しかし、私はもういちど「なんでもご存じ博士」が「ルイ・ブライユ 1819」について、なんと言っているかを検索してみました。
見てみましょう、見てみましょう・・・、またも、少しの情報が得られました。
1819年2月15日、ルイ・ブライユは、パリの若者向け盲学校に入学した、と。
とにかく、たぶん将来は必ずしも暗くはないでしょう、と。

 私が学校を通り過ぎ、家に近づくと、近づくたびに私の耳には、ささやく声がはっきりと聞こえてきました。「前へ、上へ、上の階に向かって。前へ、上へ、上の階に向かって」と。

 私は、グラスワインが飲みたくなり、ゆったりしたくなったので、しばし、ささやき声を無視しました。同時にアイザック・アシモフに感謝しつつ、空想上の200歳の年老いた盲人による、有為転変の直接的な証言を読みながら。
そして私はワイン(クヴレ地方で採れた、と信じていますが)のボトルを開け、目の見えない私に多くのものを与えてくれた、ルイ・ブライユと6つの魔法の点に、そっと乾杯しました。

 飲み終えて、もういちどグラスに4分の3ほど注ぐと、私は再び、ささやく声に注意を向け、上の階へ向かい、マルセロ・パンとヴィノ(ホセ・マリア・サンチェス−シルヴァによる心温まる子供のスター)のように部屋に
入りました。涙がこぼれないように、眼鏡をしっかりと押さえて。

 階上には、キリストの磔刑像もなければ、テーブルもありませんでしたが、肘掛け椅子がありました。私は、大きなカバンを右に向けて、その上にグラスワインを休めておきました。私は眼を閉じ、また開き、おいしい飲料をちびちびやっている間に、私は、私を介して会話をする、なじみ深い二人の声がこだまのように聞こえてくるのを耳にしました。
「あなたは何をしているんですか?」
「学生時代の友達に手紙をかいているんです。」
「そのキリで?」
「これは点筆というものです。みてください−この長方形のものには、6つの点用の小さな小部屋があります。
文字は、6つの点のさまざまな組み合わせによって現れてきます。そして、紙を裏返すと・・・見てください。
私たちは、それを指で読むことができるんです」
「習うのが難しくないですか?」
「いいえ」
「私に、教えてくれませんか?」
「もちろん、いいですよ。でも、どうして習いたいって思ったんですか」
「学生時代のあなたに、手紙を書きたいのです」
「じゃあ、あなたにアルファベットを書いてあげましょう。少しの事も教えてあげましょう。そうすれば、あな
たは、簡単だとわかるでしょう。そしてあなたの場合、指で読む必要はありません。それは一番難しいことですから」
「ちょっと待って・・ペンを持ってきますから・・・」
「どうか、静かにして、静かにして」、私は会話に加わるべく、割って入りました。「私も話したいです」と。

彼女は12歳、彼は13歳でした。その祝福すべき夏以来、点字版、点筆、厚手の紙は、家から家へと運ばれました−休暇の際は彼の家で、学期の際は彼女の家で。そして、ここ、私が今、蓋を広げている大きなトランクの中、彼が彼女のために読むグリム兄弟の8巻の絵入り物語の傍には、点字版と点筆と、私の父母によって書かれた手紙が休んでいます。