海外の部 EBU地域 シニア・グループ 優秀賞
「人さし指の痛み」   
トルコ エイレム・ユルツェヴェル (27歳・女性) 

私の人生においてなぜ点字がそれほど重要なのか、と問われた時、答えはシンプルだ。
それ以外に選択肢がなかったから。
私が2歳の頃、両親がたくさんの本を読み聞かせてくれるようになった。しかし読んでもらえばもらうほど、本に対する渇望は募り、もっと読んでほしいと両親にせがんだ。自分が点字を学んでようやく、両親に読み聞かせをせがむのをやめた。自分の読みたいものは何でも、自由に自分で読めるようになったからだった。

点字を学んでから、私はまさに本の虫となり、学校の図書館にある本はすべて読み終えてしまった。機会があれば何でも読んでいた。

学校では読み、書き、学ばなければならなかったが、点字は私のニーズにすべて応えてくれた。点字によって、文字を自分の声で読むことができた。そうすることで、自分独自の旋律を見出し、想像力を豊かにすることができた。さらに、自分のスピードで読み、学ぶことができるようになった。

こんなことを言うとおかしいかもしれないが、私は視覚学習者だ。ものに触れ、その形を心の中で視覚化するほうが、よりよく学ぶことができる。私のような視覚学習者にとって、点字は最善の選択肢だ。点字テキストの形を記憶し、その形のまま情報を記憶できる。決して忘れることはない。

視力のある人が本を読みすぎると、目が痛くなる。私は本を読みすぎると、人差し指が痛くなる。しかし私はこの痛みが「大好き」だ。なぜならこの痛みはご褒美のようなものだから。ご褒美のない学習はないと私は思っている。

時代と共に、点字の人気が薄れてきているのは残念だ。点字に何が起きたのか。なぜ以前ほど点字を使わなくなってきているのか。

そう、あなたの答えが聞こえてくる。・・・音声技術。しかしこの答えは、私たちにとって十分だろうか。

私はそうは思わない。

点字が発明される以前、視覚障害者は、聞くことによって、読んでいた。ルイ・ブライユが点字アルファベットを考案し、私たちは読み書きできるようになった。音声技術は、点字にとっての障壁ではない。

唯一の障壁は私たち自身だ。点字の普及を十分重視していないのだ。
確かに、点字で書かれたテキストを出版するのは安くない。これらのテキストは、墨字テキストや音声ファイルより、スペースを取る。持ち運びも大変だ。しかし再生可能な点字ディスプレイがある。コンピューターに接続し、画面上でテキストを読むことができる。

おっしゃる通り。

点字ディスプレイは、コンピューターと同じくらい高く、図表には対応しておらず、文字しか読めない。ブライユが生きていたら、図表も表示できるディスプレイを発明しようとしただろう。現代のテクノロジーを使えば、それも可能だろう。私の知る限り、図表も表示できるディスプレイは、近い将来、実現するようだ。しかし私たちは忍耐強くなければならない。マーケティングプロセスはとてもゆっくりだ。ディスプレイは、現代の音声技術に追いつくことができない。

オーディオブックを聞くほうが、点字よりも速くて良い、というかもしれない。

しかし「そんなことは全くない!」

オーディオブックを聞いていると、より集中しなくてはならないので、すぐに気が散ってしまう。だが点字を使って読む場合は、想像力を働かせて、情景を思い浮かべる。読み手の声のトーンやイントネーションに影響されることもない。点字を通して、ストーリーは、自分の一部になる。なぜなら自分自身による視覚化を通して、物語に息が吹き込まれるからだ。

多くの人は、視覚障害者が点字を使ってゆっくり読んでいると考えている。ある意味、それは本当かもしれない。なぜか?それは、私たち視覚障害者は、視力のある人たちが印刷物を入手するようには簡単に点字を入手できないからだ。目の見える人たちにとっては、至る所にテキストがある。読み書きを学び始めた時から、読書を練習し始めることができる。では「私たち」は、どうやって読み書きを練習し、その能力を伸ばすことができるのだろうか。

その答えは新たな疑問をもたらす――どうやったら、点字はより頻繁に使われるようになるか。

50年ほど前に開発された大変重要な装置「オプタコン」についてお話しよう。おお、その名前は、金文字で書かれるべきだ。視覚障害者にとっては、本当に、学習を助けてくれるものだ。

オプタコンにはカメラと多くのピンが付いている。このピンの上に指を乗せると、カメラが撮影したものに触れることができる。ドキュメンタリーで名前を聞くことしかできなかった動物や植物が、身近なものとなる。さらに数学も理解できる。
微分係数、積分、極限、といったトピックや、幾何学問題も、より明確に理解できる。

残念ながら、この装置には欠点もあった。いくらか音が大きく、ピンの振動によって、一定時間使うと、指がしびれてしまった。もっと注意していたら、問題は解決できたかもしれないが、残念なことに、製造中止になってしまった。

もし製造が続いていれば、地図を見て世界を知ったり、建物や道路を描いていただろう。日本語の文字を学ぶのも、それほど難しくはなかったかもしれない。

私は点字ディスプレイとオプタコンを組み合わせた機械を思い描いている。例えば、空気圧で動く安い点字ディスプレイを、オプタコンに組み込むことで、ピンは空気圧システムの上で作動し、音も抑えられる。この機械には、OCRシステムも実装し、テキストをスキャンできるようにする。手書きの文字なら、オプタコン側で読み取り、そうでない場合は点字サイドで読み取る。こうすれば、点字が使えない人にも有益だ。

ルイ・ブライユはこのような機械を作ってくれるだろうか。現代のテクノロジーを考えれば、作れなければ申し訳なく思うだろう。
私たちが、自分たちの指で世界を知り、さらなる社会参加ができる手助けとなるようなテクノロジーの開発に取り組んでくれる、第二のルイ・ブライユたちが現れると、私は信じたい。