海外の部 WBU-AP地域 ジュニア・グループ 佳作
「暗闇の中での光」 
フィリピン マリコー D. ブック (22歳・女性)

 神は我々それぞれに、この世で生きる為のチャンスを与えて下さります。肌の色、文化、人生への情熱や夢、それぞれ様々な点でユニークです。ただ一つだけ確かなこと、それは皆、目的があってこの世に存在する、つまり我々は、神の意志によって存在すると言うことです。私は、視覚障害者ではありますが、生徒や同僚たちに、障害を乗り越えてひらめきを与えたいと思っています。
 私は6か月の未熟児で産まれ、その為に視力を失いました。医者は私が生き延びることもできないかも知れない、と言いました。ですが、神には私を生かし、この世を見せる理由が有りました。両目の視覚からの光を通してではなく、苦労してなし得る、成功への岐路を通じて見る、人生へのビジョンを通してこの世を見ることです。
 最初に入学した学校は、リソース・フォー・ザ・ブラインド(RBI)と呼ばれ、 私が三歳の時でした。先生方は、私たち生徒と家族に、視覚障害を受け入れ、それを乗り越えて、如何にして夢を達成し、叶えるかを教えてくれました。先生たちは、まずは家庭の中で、自らが視覚障害を受け入れることの重要性を気づかせてくれました。そうして漸く世の人々に、自分たちが生産的な社会の一員であり、想像力に富む市民でもあることを伝えることができるのです。このように、私は視覚障害を言い訳にせず、自分の限界を超え、自分の周りの真の世界を探求することを学びました。
 小学校から大学まで、私は普通クラスの一員となり、クラスメートと仲良くなり、関係を深めることを学びました。点字で読み書きを学ぶことにより、私には眼で見る能力が無いだけであり、晴眼者となんら変わりのないことが分かるようになりました。点字によって読むことができ、自分の考えや感情を表現することができる様になったのです。
 確かに視覚障害者としての学生生活はチャレンジの多いものでした。しかし、神の恵みと家族(特に母の)、友人や先生方の協力と援助、RBIと寄付をして下さった方々によっていただけた奨学金のおかげで、スクリーンリーダーの付いたラップトップ、音声電卓、そしてビクターリーダーなどの補助装置を入手することができ、学校での筆記は助けられました。これらは私の学びの友となり、長所を引き出してくれました。
 パフォーマーとして、フィリピンの国内に留まらず、日本、韓国、フランスなどさまざまな国を訪ね, 文化的な歌やダンスを披露することもできました。スポーツでも, ミロ・ノバイス スペシャル オリンピックの水泳部門で、背泳で金メダル、自由形では銀メダルを獲得するチャンスも与えられました。
 家族は私が幼い時に、既に将来、教育者になる可能性を秘めていることに気付いていました。そうして大学生になり、私は体育教育を専攻しました。さて、なぜ私がこの道を選んだのでしょう。私の記憶の限りでは、我々視覚障害者の大体は、学校での体育の授業に参加することができませんでした。もしも誰かが意思を持って時間と努力を捧げ、視覚障害者を心から受け止めて教育してくれるならば、その才能や能力を伝え伸ばして行けることは確実だという考えが、私の中に浮かんできました。
 実は高校に入って、体育の授業があるらしい、ということを聞いていただけで、実際にはどういったことをするのか、概念すら想像つきませんでした。幸運なことに、私の大学での体育教育の教授は努力家で、教育熱心な人でした。そこで私は、現実的な体験としてダンスを勧められ、本当の体育教育の世界を経験する機会が与えられました。先生は私に、チアーダンスの大会に参加する大学のチームへの参加も勧めました。そうして私は、視覚障害者としては初めて、大学交流の大会の参加者の一人となったのです。
 試練の多い大学生活、誰にとっても困難なハードルを越える近道などは無いと認めざるをえません。とは言え、それは全て神の知る処であり、「信じれば不可能なことは無い」と言う神の言葉に従うのみです。私は他人からの真の賛美であろうと、誤解や間違った評価であろうと、それらを自分の上限を超える為の原動力として受け止めます。どんなに大きなチャレンジであっても、私はその勝負を成功に終える為に、最大限の努力をします。
 私が教育者になった暁には、私の生徒が一人でも取り残されることを許さないでしょう。体育教育は、年齢、障害、性別、経済事情、又は如何なる制限による差別を受けること無く、誰もが総体的な発達の為に受けられるものであること示したいと思います。
 そして私は、夢を実現する為の学位を収めるため、最大限に努力もしました。大学をきわめて優秀な成績で卒業出来た事も恵まれていると感謝しています。結果として私は、視覚障害者としては初めての、体育教育専攻の中等教育学士を与えられました。
 そして今日、お返しする段階にあります。私は確実に、小学校から高等教育のレベルまでの公教育の産物であることを誇りに思います。今私には、学生たち、特に助けが必要な生徒たちに私の知識を伝える準備ができています。
 教師という職業は、まさに崇高な専門職です。私の眼に光は見えませんが、暗闇での光になることはできます。教育を通し学生たちに、より良い将来の為の希望の光を与えてあげることができるのです。
 「人生のビジョンを失う事は、視覚を失う事よりずっと厳しいことである」と、ことわざにもあるように。