海外の部 WBU-AP地域 ジュニア・グループ 優秀賞
音楽という不思議な力
ベトナム グエン・タオ・ダン(18歳・女性) 

私は生まれた時から目が見えませんでしたが、両親の深い愛に包まれて幸せに育ちました。目が見えない私は、何もかも両親に説明してもらって勉強し、両親の言葉から周囲の状況を把握していました。友だちと走り回ったり遊んだりできなかったので、家で一人ぼっちでじっとしていました。音楽に巡り合わなかったら、死ぬまでそうしていたかもしれません。

4歳のある日のこと、父がチュオンソン山脈で戦った兵士の歌を聞いていました。これまで聞いたことのない歌詞やメロディーがとてもおもしろく感じられました。

「お父さん、兵隊さんて誰なの?チュオンソン山脈ってどこにあるの?私たちの町があるタイグエン省から直ぐなの?」

父は優しく笑い、私の頭を撫でながら質問に答えてくれました。私の祖国がベトナムという名であること、ベトナムではいくつもの戦争があり、兵士とはベトナムを守るために戦った人達のことだと、その時初めて知ったのでした。

そのとき以来、どうしてそんなに歌が好きになったのか自分でもわかりません。実際、音楽はいつの間にか私の生活の中に入り込んできました。何度も歌を聞いているうちに少しずつ歌詞を覚え、歌手を真似て歌うようになりました。

そのうち、いつしかプロの歌手のように舞台の上で歌いたいと思うようになりました。母は、もっと練習すれば夢が叶うと応援してくれました。それからというもの、父とアイスクリームを食べたり兄弟と動物園に行ったりするのが楽しいとは思えなくなりました。その代わり、少しでも多くの歌を聞いて覚えて両親の前で歌って聞かせる方が楽しくなったのです。

そして、ついに舞台で歌う日が来ました。父が教師をしている学校の式典に連れられて行ったとき、女性教師が、私に歌わせてはどうかと父に頼んだのです。「私は3歳」という歌を5歳の少女のありったけの喜びを込めて無邪気に歌いました。皆の拍手に、とても嬉しくなりました。

この出来事に刺激を受けて、毎日歌を練習するようになりました。音楽のことしか考えられなくなり、音楽に情熱を傾け、人生がとても素晴らしいものに思えました。

初等学校時代は振り付けを学び、歌唱大会に積極的に出場しました。その甲斐あって7年生と8年生の時、校内の歌唱大会で優勝することができました。学内の歌唱クラブのメンバーとともに学外での公演にも参加しました。

歌う喜びを追い求め、高等学校では音楽と文化を専攻しました。同時に、視覚障害者協会での活動も始め、文化チームのメンバーに選ばれるという晴れがましい経験もしました。

この時、自分が果たすべき役割を理解できるまでに私自身が成長したのだなと思いました。社会が視覚障害者をどう見ているかを理解できるだけの経験もありました。社会が視覚障害者の能力を認識し、視覚障害者への処遇を改めるように、自分の歌の才能を活かして精一杯務めなければならないことに気付いていました。

私の国では、視覚障害者は、音楽だけでなく文筆、詩作、ITプログラミングなどの活動に携わっています。自分がそうであるように、視覚障害者は、生の音楽活動を通じて人々の心を捕らえ共感を呼び起こせるのではないかと、個人的に感じています。

音学こそ、言葉の壁を超えたヒューマンコミュニケーションの最も効果的な手段だと確信していますし、視覚障害者が多くの人に自分の能力を示すには音楽が一番適していると思います。その点からも、私は視覚障害者協会のメンバーとともにレッスンに励み、視覚障害者協会や教育訓練省が主催する歌唱コンクールに出場しました。他にも、福祉活動の資金を募るためにいろいろなボランティア活動や音楽プログラムに参加しました。障害者のためのベトナム音楽祭2014での金メダル、2016年のベトナム視覚障害者協会音楽コンクールでの優勝、そして教育訓練省ハノイ支部による「若者の音楽」コンクールでの準優勝で、より一層努力しようという気持ちが高まりました。

今では、視覚障害者を受け入れ、声楽の才能を伸ばして芸術に打ち込むチャンスを与えてくれる特別な学校もできています。障害者の音楽の才能を伸ばすために多くの法律や規制、政策も導入されました。社会の視覚障害者への見方を変えるという使命と責務への私の努力が役に立っていると思うと、とても嬉しい気持ちです。

私の人生を変えてくれた音楽に深く感謝しています。音楽のおかげで成果や成功をつかむことができました。音楽を通してこれからも前進し、人生を意義深いものにするために精進し続けます。