海外の部 WBU-AP地域 シニア・グループ 優秀賞
視覚障害という試練を乗り越え、どのように社会に貢献してきたか
ベトナム  カオ・ヴァン・タン(67歳・男性)
1972年、わが国が戦争の最中であった当時、私はハノイ工科大学の3年生でした。国を守ろうとの呼びかけに応えて、私は学問を捨て、入隊を志願しました。

1975年のベトナム南部での激しい戦闘で、私は重傷を負い、体中に傷を受けましたが、最もひどいことに、両目がつぶれてしまいました。治療のため、当時、戦闘が行われていなかった北部に移送され、いくつかの病院で診察を受けました。しかし、悲しいことに、私の目は治りませんでした。

青春も、明るい未来への大志も夢も砕け散り、私は行き場のない袋小路に入ってしまいました。精神的苦痛から頭が混乱し、私にあるのは全くの失望のみでした。人生のどん底にいた私の前に現れたのが、大学の同級生だったトゥ・ソンでした。彼女は私を励まし、絶望の底からすくい上げてくれました。彼女は奇跡のようでした。彼女が心を癒してくれたおかげで、私は自分への自信を取り戻し、再び、人生の目的を見出しました。彼女の愛に満ちた思いやりと支えを得て、私は徐々に自分が置かれた状況を受け入れました。そして、運命に屈せず、待ち受ける試練に立ち向かうことを決意しました。

私は重い傷を受けた兵士のための療養所に移されました。そこにいた兵士のほとんどは視覚に障害がありました。リハビリ訓練を受け、日常生活技能を身につけて、点字を学ぶ機会が与えられました。点字の小さな点に初めて触れた私は、点字のアルファベットを発明したルイ・ブライユにとても親しみを覚えました。この小さな点が明るい未来を開いてくれるのだと思えたからです。

私は懸命になって、昼も夜も点字の使い方を学び、時間が許す限り、読書に耽りました。図書室で手にすることができた点字の本をすべて借りて読みました。まさに点字を知ったことで、私はより多くの知識を得、私の人生は新たな方向に回り始めました。私は、より多くの希望とエネルギーを得て、人生により多くの意味を見出すようになりました。

1980年代の初め、私は生まれ故郷のタインホア省に戻り、盲人協会を立ち上げるために人々に働きかけ始めました。その頃、トゥ・ソンと私は既に結婚しており、3人の子どもがいました。上の娘は、戦争中にアメリカ軍がジャングルの木を枯らすのに使ったオレンジ剤という毒薬による先天異常のため、耳が聞こえませんでした。盲人協会立ち上げの計画を当局に説明するために、様々なところに足を運びましたが、最初はとても大変でした。視覚障害者を一人一人訪ねて、計画に賛同してくれるよう説得することもしなければなりませんでした。主に自転車や徒歩で移動しなければならなかったので、移動も簡単ではありませんでした。しょっちゅう、妻や他の親戚たちに同行してもらわなければなりませんでした。5歳の息子に同行してもらうことさえありました。

このような困難はありましたが、1982年には、タインホア町の盲人協会の設立にこぎつけました。
協会が有益な役割を持っていることを証するために、私は家を借り、職業訓練センターを作るための資金を集めました。会員たちがこのセンターに来て、点字を習ったり、ほうきづくり、歯磨き剤づくりや編み物などの職業に携わったりすることができるようになりました。

有益な活動や会員数を増やすためのたゆみない努力を行った結果、協会は、タインホア省全域をカバーするまでに拡大しました。私は初代の会長となり、8年間、会長職を務めました。

最初は様々な困難がありましたが、省内の2,000人の視覚障害者に入会してもらうことができました。タインホア省盲人協会で点字をマスターし、職業技能を身につけた若い視覚障害者の多くが、仕事を見つけ、生産的な生活を送ることができるようになりました。私たちはまた、省内の視覚障害者が、教育、労働、社会活動への参加に関する優遇政策を享受できるよう、アドボカシーも行いました。

1997年、ベトナム盲人協会(VBA、国レベルの組織)の第5回総会において、私は、VBAの中央レベルでの副会長に選ばれ、その後、会長にも選ばれて、2017年末まで会長を務めました。

VBAに関わった20年の間、私は国中のほとんどの省や県を訪れました。たくさんの視覚障害者に会いました。自分で事業を行っている人々や、VBAが運営する施設で働いている人々、支援や地域サービスを必要としている貧しい人々にも会いました。盲人協会がない省では、自らの盲人協会を作るように働きかけました。その結果、今では、全国の約73,000人の視覚障害者のうち、労働人口に属する15,000人が職業訓練を受け、適切な雇用を得ています。

VBAの副会長あるいは会長として、私は他の理事とともに、点字の普及、職業訓練、雇用創出、事業融資、および協会が運営する施設の立ち上げに力を注いできました。私たちは、ベトナムの視覚障害者の伝統的かつ主要な職業としてのマッサージを広めました。それによって、公共の場所で物乞いをするか、暗い気持ちで家に閉じこもっていたかもしれない多くの視覚障害者を助けることができました。現在、VBAのすべての支部が運営している328のマッサージ施設において、約4,000人の視覚障害者が働いており、視覚障害者自身が運営している施設も600以上あります。

さらに、私は、世界盲人連合や世界盲人連合アジア太平洋地域などの国際組織の活動にも積極的に参加し、障害者に関する法律の制定や、ベトナムによる障害者の権利に関する国連条約の批准やマラケシュ条約の批准など、障害者のための政策に関するアドボカシーを行ってきました。

失明してからの40年間、そして様々なレベルにおいてVBAの活動に関わってきた経験を振り返ると、私は、障害者は決して自らの運命に屈してはいけない、という貴重な教訓を得たと言えます。障害者は忍耐し、あらゆる試練を乗り越えねばなりません。それによって、社会において、他の障害者の福祉に貢献し、幸せの源となるのです。そのために、私たちは知識や情報技術、加えてリーダーシップやコミュニケーションなどの他の技能を身につけなければなりません。