海外の部 ABU地域 シニア・グループ 優秀賞
視覚障害者の自立の要とは
レバノン ドラ・カローブ(27歳・女性) 

子供と母親を結ぶへその緒を切ることで、子供が自分自身で呼吸が出来るようになり、母親の母乳を吸う事から離乳して、自分で食べ物や飲み物を食べられるようになり、ハイハイから一人歩きが出来るようになるように、人生のあらゆる段階で、人は自立への道を模索し続けます。自立のための試みを考える時、成就するまでには色々な苦悩を伴うことがわかります。へその緒を切る事から始まり、離乳、歩き始めに転ぶことや、その後で経験するたくさんの痛みにも関わらず、私たちは本能的に自立を求めます。自立は、単に必要であるだけでなく、身体と精神面において人生の大切な柱石であり安らぎであるからです。自立を得るために支払う対価としての痛みがどんなに大きくとも、死が招く痛みより、また誰かの負担になっているという気持ちよりずっと小さいからです。この想いは人間誰にでもあるものです。そのため、自立の条件の一部を奪われている盲人や視覚障害者は、もっと精神的に傷つきやすいのではないでしょうか?

もし視覚障害者に自立とはどういうことか、彼らの見解を聞いてみたら、その人の年齢や環境によって様々な答えが返ってくるでしょう。 子供なら「洋服を自分自身で着れて、色の区別がつけられる事」と答えるかもしれません、また男の子なら「学校に独りで行って勉強を助けなしに出来る事」と答えるかもしれません。若い男性なら「経済的に独立し、家族を持つこと」と言うような答えでしょう。年齢の違う視覚障害者みんなになぜ自立を目指すのか、彼らの考える自立の定義は何かと問えば、「自立とは我々が水と空気を必要とするように、必要不可欠なものであるから」と言う事に同意するでしょう。そしてその定義とは「人生において遭遇する必要不可欠なものごとの大半を、劣等感や人の負担になっているという気持ちを持たずに全うできること」です。

年齢の違う沢山の視覚障害者と会い知り合えた私の経験から、視覚障害者の生活の自立の要は「物質的(経済的)自立」にあると考えます。自分自身で洋服を着たり、自分の身の回りのことができるようになるには、子供は盲学校で教育を受けなければなりません。でもその授業料は親が負担するものです。テクノロジーは触覚、聴覚によるプログラムやアプリを提供することで、視覚障害者が直面して来た問題をたくさん解決してきました。例えば、タッチスクリーン・リーダーや、色別、貨幣の判別、朗読、絵の内容を説明してくれるアプリなどです。でも問題は主に物質(経済)の問題です。これらプログラム、機械、装置は高額で、視覚障害者が自分で購入することは出来ないのです。加えてレバノンでは、盲学校やセンターでも生徒にこれらの物を提供できていません。

子供が独りで移動する事が可能かどうかという「移動の自立」に話を移すなら、その要となるのは白い杖です。多くの視覚障害者が杖を使うことを拒否していますが、視覚障害者にとってのファースト・エイド(最初の支援者)の一つです。杖は視覚障害者に不平を言ったり、負担であることを見せつけたり、恩着せがましくすることなく、穴に落ちることからいつも守る助けをします。ここに学校の出番があります。視覚障害であることを再認識させ、杖を使う事を受け入れさせ、その正しい使い方を教えることによって、多くの社会的害や屈辱から救えます。

身体的自立は動きを伴うものです。視覚障害者は車の運転を禁止されています。しかし、身体は動くのでタクシーを呼んだり、運転手を雇うことはでき、そうすることによって精神的また物質的に傷つけられることなく、好きな時に自分で移動することができます。視覚障害者の自立について話すとき、私たちは特に視覚障害者の両親の死後や、成人した時に、自給自足できる自営業または職業に従事することを奨励しなければいけません。仕事につくことは、視覚障害の夫婦が持ち家を確保する第一条件になり、社会的安定を確保し、人に頼るという負い目を持たなくてもすみます。仕事と同様に自分の家を持つことは、視覚障害の男女が結婚して自立した家族を持つために、最も基本的な条件です。

少なくともレバノンとアラブ諸国では、我々が最も多くの自立への条件を成し遂げる一番いい方法は、視覚障害者を子供の時から教育し、精神的にも物質的にも成長させ、一番良い環境を提供することです。そして自給でき自分の家族が持てるような機会を提供することです。

締めくくりの言葉として、私自身と視覚障害者の皆さんに言いたいことは、どんなに地域の周りの人が無知でも、理解能力が劣っていても、それを乗り越え、自分が受けた教育に基づいた仕事、あるいは、自分が立ち上げたりパートナーと協力して立ち上プロジェクトを基にした仕事を、得るまであきらめないことです。 あるがままの自分を認め、白い杖を受け入れ使うことです。 不平を言われたり、負担であることを示されたりすることなく、杖はいつでも好きな時にあなたの見返りの要らない助けになります。完全なる独立というものは絶対にありえないことを忘れないことです。私達はお互いの為に存在するということを受け入れ、助けが必要な時は助けを求めることです。しかし、本当に恥ずべきことは自分に偽りの欠陥を与え、人に全面的に頼ることです。あなたの周囲の人たちの為に自立した視覚障害者となり、あなたの地域の模範になりましょう。