海外の部 WBU-NAC地域 ジュニア・グループ 佳作
点字による私の冒険旅行
アメリカ  ハンナ・ネイルズ(16歳・女性)
 点字とは、私が今まで経験できた中で、最もびっくりするものです。ここに、(点字によって)私が成長できたという一例が存在します。私が点字を勉強している間、私は点字に対して、それほど熱中していたわけではありません。点字の読みを終えて、結局、私はこの(点字という)贈り物を愛し、慈しんでいることを学びました。私は、(今では)この(点字という)書き言葉を習うチャンスが得られたことにたいへん感謝しています。
 
 私の学校生活は、点字を使うことで、より容易なものになりました。点字は私が個人として、また読み手として成長するのを導いてくれました。点字はまた、想像もできないような考えたこともなかった世界を経験させてくれました。たとえば、視覚障害専門の先生、点字を教えてくれた人々に出会う機会を与えてくれ、また、力強い生徒になることを導いてくれました。点字を使うことができるようになって、また他の点字使用者とお互いに影響しあうことによって、社会的なセンスが磨かれて、私の可能性は無限です。学校でも、目が見える友達なしでも自分の為すべきことができるなんて、本当にびっくりです!
 
 私が視力を失い、点字を習うという旅(経験)を通して、私はいくつもの高みや落ち込みを耐え忍んできました。私が視力を失って以来、出会い、また育ててきた友情は、私にとって、とても価値あるものです。これまで11年間、続いてきたすべてのことが、私の人生に与えられたチャンスでした。私は、起こったことすべてを変えたいとは思いません、たとえば、点字に直接関係するように開かれたドアがそれです。点字を読む女の子と文通友達になることができました。私は正直に言うことができます、私のような人々の大きなネットワークに属していることで、私は自分の人生を愛している、と。もう一つ付け加えることができる大事なことは、点字印刷された大量の重荷から解放されて、その代わりに点字機器を使うことで、点字本を読むことができるようになったことです。たとえば、私の家族が読むのが好きなハリーポッターのシリーズを、私も点字で読むチャンスが与えられたのです。一方、落ち込むことと言えば、点字を読むスピードを上げるよう努力してはいるものの、私の意志に反して、読むために時間がかかるということです。

 視力を失い、点字という書き言葉を習いつつある人々に、私が言いたいことは、常に練習することがよい結果をもたらすということです。それは困難なことでしたが、今の私があるのは、まさにそのことを成し遂げたおかげです。私がそれを成し遂げ、今の私があるのは、練習に加えて、献身的な先生方、素晴らしい家族、いつも支えてくれる友達といった、驚くべきサポートシステムと自分自身の決意があったからです。私は、人生とは常に自分が望むようにはうまく運ばないということを、実感をもって理解しています。つまり、自分が視力を失うなどをいうことは、誰もが望んでいないということです。絶対に、誰もが。

 私が面白いと思うことの一つは、パーキンスやマクドナルドといったレストランでは、点字のメニューがあるということです。また、一部のウエブサイトでは、点字ゲームや点字の計測器、点字付き腕時計など、点字用品を購入することができます。
私がフラストレーションを感じることの一つは、点字本がとても大きなスペースを取るということです。私の教科書は60冊以上にもなって、点字使用者である私の事務所では、そのためだけの本棚が必要とされます。時に、墨字ならわずか10ページほどのものが、本ほどの厚さのものになるのです。たとえば、たくさんの問題を納めた数学の本などは、墨字1ページが3から4ページもの点字用紙を必要とする可能性がでてきます。

 もしも高校で、点字が選択的に提供されたならば、それは素晴らしいことです。そうすれば、目の見える人びとは、私たちが視覚障害者であることだけで、彼らよりも価値が低いなどということがない、ということを理解するでしょう。その代わりに、彼らは私たち視覚障害者が、彼らが習うのと同じことを、違った様式で習うのだということを理解するでしょう。私たちが違った様式で習うということのいくつかの例は、触図とか、点字教材とか、音声付の計算機といったものです。

 視覚障害者としての私がいつも聞かれるのは、どうやって読むのか、宿題をするのか、クラスについていけるのかといったことです。ことは、私がなすべきことを別の方法でこなしていることを、彼らが理解していないということです。たとえば、私は答えを点字で書いたり、目が見える人に答えを書いてもらったりしています。彼らは聞きます、「もしも課題が点字でなかったら、どうするんですか」と。私は彼らに答えます、墨字で書かれた課題を読んでくれる目の見えるヘルパーさんがいます、と。彼らに対する別の答えとしては、墨字の課題を写真にとって、タップタップシーとかKNFBリーダーに読み込ませます、と。

 私が4年生のある時、私の視覚障害専門の先生が、読むことの嫌いな私のために点字で、「キャセイビル」というタイトルの短い物語を書いてくれました。その物語は、人々の住むある村についてでした。マーサという名の登場人物の一人は、人々から自分自身を見えなくする能力を持ち、人々をごまかすことができました。マーサの家族だけが、超能力を持っていたのです。いかにも、私の視覚障害専門の先生は、私が本を読むことが好きになるように望んで、書いてくれたのです。私はその物語がすっかり好きになりましたが、悲しいことに、先生は結末を書いてはくれませんでした。

 点字を使うようになってからの私の人生はすべて、このおどろくべき書き言葉を人々に見せ教えるものでした。たとえば、私の兄弟姉妹は、自分の名前を点字で書くことを身に付けました。私のお母さんも、私が点字を習っている間に、すこしばかしの点字を習い覚えました。娘が点字を読むようになって7年後、お母さんは公認の点字使用者になろうと決心し、私が中学生の時、お母さんは視覚障害専門の先生になって、授業をするまでになったのです。こうしたことのすべては、私が視力を失い、世界で最も驚嘆すべき書き言葉、点字を習うことから始まったのです。