海外の部 EBU地域 ジュニア・グループ 佳作
田舎での視覚障害に対するネガティブな態度に挑戦して
イギリス  ジェイムズ・ショレス(24歳・男性)
 今日のように繋がりあった世界は、世界中の人々に学び、文献を駆使し、新たな人間関係を構築する機会さえ提供しています。コミュニケーションの良き基礎的知識がカギとなります。人々は、読み書きに習熟することなしでは、自らを表現することにも、雇用を得ることにも苦労します。もしもあなたが、目が見えなかったり、視覚に障害があったとしたら、こうした人生の基礎的な領域にどのようにして参画するのでしょうか。

 何百万人もの人々にとってその答えとは、点字、盲人に許された文字を読み書きするシステム、たくさんの異なった言語や、数学や音符といった記号や表記形式にも対応した触角の表記方法です。それは、アルファベットを変形したものや句読点の打ち方の違いといったものではなく、ひとたびそれを学んだならば、学生たちは目の見えるクラスメイトと対等に、自らの読み書き能力を発展させていくことができます。

 世界中の多くの国々で、点字は昔から教えられています。しかしあいにくなことに、すべての人が十分にこうした訓練を受けられる位置にいるわけではありません。発展途上諸国や田舎に住む人々の多くは、教師や財源の不足、未だに存在する無知に悩まされています。メキシコから来た教員である、イザベル・デル・カスティーリョについて見てみましょう。彼女は田舎に育ち、彼女自身、障害者に対する否定的な態度に直面させられました。彼女自身、子供の頃、読み書き能力についての認識の機会を奪われていました。そのため、どうして30歳になった今でも、彼女がそうしたものへの認識の拡大に奮闘しているのか、その理由がわかります。

 イザベルは、サン・ルイス・ポトシ州の田舎町、タムインに生まれました。彼女は私に「もしもあなたが、こうした所に盲人(視覚障害者)として生まれたら、あなたの未来はほとんど、家にいて、部屋の隅でテレビの音に耳を傾けているだけの生活になってしまうでしょう」と言いました。しかし彼女は、なんとも幸運なことに、お姉さんがおとぎ話やいろいろな物語を読んで聞かせてくれて、想像力を刺激してくれたのでした。彼女は、家庭の外のより広い社会ではいくつもの問題に直面させられました―彼女の兄弟姉妹が通った地方の学校は、視覚障害の生徒にうまく対処することができませんでしたし、8歳になって眼科の先生から知らされるまで、盲学校の存在を知りませんでした。「その日は、私のおなかの中に蝶々が舞っているような感じで家へ帰りました。幸福と同時に、おびえ、で。私は、ほとんど質問でいっぱいでした」と。

 悲しいことに、彼女とお母さんは、一番近い盲学校でさえ20マイルもの旅行をしなければならないという絶望感に襲われました。学ぶことの困難さとほとんど同じようにぶつかった難題は、クラスメイトが一人しかいず、話してくれる点字の先生がいないことでした。「(行政)は、2週間というつめこみコースに先生を送ってくれ、私たちはわずかながら、アルファベットと少しの簡単な言葉を習うことができました。しかし私は、もっとたくさんの物語を習いたかったし、自分自身で物語を創作したかったのです」。限られていたとは言え先生の知識とお母さんが買ってくれた点字盤と点筆によって、イザベルは3ヶ月もかからないで、初めて目の見える仲間のいる学校に転校するだけの十分な読み書き能力を身に付けたのでした。「私は挑戦が好き、でもその学校では、みんなが私を珍しいものであるかのように見たのです。それが、習わしだったから」。

 手に入る教科書は本当に限られていましたし、点字の試験用紙など、聞いたこともないものでした。「私は、学校生活をエンジョイしました。手に入る教材は何でも手に入れて。時には自分の練習用テスト用紙に書いて、また時には、私の答えを先生が書き取ってくれて、私のクラスメイトが試験を終えるのを私が待つとなったら、どんなに素晴らしいことかと夢見ながら。でも、こうした障害物は、問題ではありませんでした。私は、全てのことを学ぶことのできた場所として学校があったと考えることで、最終的には本当に幸せでした」。こうした熱心さのおかげで、イザベルは学校でも一番の成績を修めることができ、法律の学部学生になって大学レベルまで継続できるまでに、報われたのです。点字盤と点筆がラップトップのコンピューターとスクリーンリーダーに交替するまで、11歳から始まって点字は、英語を学ぶ際、彼女が何かしたいことをする際の鍵の役割を果たしたのです。「英語の点字を読むことができることで、私のスピーチは改善され、私が言葉に親しみを覚えるのを手助けしてくれました―点字を読むときは、聞くときよりもずっと、文脈や文章の構造が頭の中に入り込むのです」。

 イギリスを訪問した時、イザベルは遂に英語点字の略号を学習する機会を得たのです。この時は、初めてパーキンスブレイラーと点字のノートテイカーを使って。「私は、こうした機器を使うことで、点字盤と点筆を使い続けることにくらべて、書くときのスピードがずっとちがったことにたいへん感動しました。私は点字盤と点筆に対抗するものは何も持っていませんでした。でも、今は、それ以上のものがあることを知りました」。彼女がメキシコへ持って帰ることを求めているのは、知識です。1週間に3度、彼女は自分が住む地域の視覚障害者といっしょに、自分が獲得した読み書き能力やさまざまな技術という贈り物を共有するよう試みています。彼女の一番若い生徒は5歳で、まだ学校に行く機会がありません。また、彼女の一番年上の生徒は、退職した心理学の先生で、彼は病気で視力を失い、その後は彼のかつての同僚から避けられています―彼は今、アイパッドの点字キイボードを使うことを学んでいます、更なる学習のために。

 「私がこのボランタリーな仕事をしている時、私が生徒たちに望むことは、私がかつてそうであったように、点字が、彼らが現実にも想像の上でも様々な場所に旅するためのパスポートになってほしいということです」。
 イザベルは、自分の生徒たちが教育を受け社会に居場所を得るという権利を人々に納得させる、彼女のプロジェクトがやりがいのあるものだということを人々に確信させる、という困難な闘いに直面しています。しかしながら、彼女自身の学びへの渇望は、正しい態度によって確保され、わずかなことでも多くのものへと変えていくことができるのです。「あなたがなにから始めるかは問題ではありません。誰もが知識を得、自分自身を表現する技術を手にする権利があるのです。私の見方は、イギリスを訪問したあとに、大きく変わりました。視覚障害者が教育にアクセスすることができることが当たり前になることを目にしたのです。私は、誰もがそうした機会を持つべきだと信じています」。