海外の部 EBU地域 ジュニア・グループ 佳作
点字についての楽しい物語 
スロヴァキア  スザナ・ファーレローヴァ(21歳・女性)

最高の贈り物としての点?

2017年3月29日(火)午前1時36分
 彼女たちが本当にそんな…、見せかけているだけなのか…、私は単純に信じることができない。そして、私はまだ疑いを持っている。ああ、これはまた私の“日記”に吸収されてしまうのか。私はどこにそのハンカチを置いたのか…、最善を尽くしているが、粒また粒となって涙が私の頬を流れ落ちている。少なくとも女の子たちはもう眠りについている。
 それは平凡な一日だった。本当はそれ以上の意味が私にはあったのだが、私は自分の誕生日が何か特別だなんて、もはや期待を持っていなかった。なぜなら私はしばしば失望させられたから。私は失望させられた。だって王子様も現れなかったし、宝くじにも当たらなかったし、そして何よりも私のことを覚えていてほしいと思うほとんどの人たちが、私のことを完全に忘れてしまったからだ。今だって、3月の初めに友人と一緒に行ったイタリア旅行でのこと、一日に少なくとも3回は誕生日のことを話したのに(私の誕生日のことも話した)、その友達はたまたま私の誕生日の日に顔を合わせたのにもかかわらず、お祝いさえも言ってくれなかった。誰かほかの人の誕生日がみんなにとって重要ではないことはわかっている。でも、いろいろなイベントを入力しておけるスマートホン、様々なアプリや便利なカレンダー機能がある。誰かが私にとって大事なら、私は彼または彼女の誕生日を忘れないようにする。そうでしょう?それなら、どうしてみんな私の誕生日を忘れてしまうのか?もしもある人が自分の誕生日をソーシャルネットワーク上に公開しなければ、だれも彼または彼女に何もメッセージを書かない。みんながソーシャルネットワーク上で誕生日を見たら、その誕生日の人はこれまでに会ったこともない人からもお祝いを受け取る。私の名付け親でさえ、以前の彼女とは違っている。フェイスブック上に一つ、メッセージを送っただけ、私のタイムラインにだけで彼女は十分だと思っている。少なくとも私の父はバラのブーケで祝ってくれ、素敵なサプライズを私にくれた。私の母は「お誕生日おめでとう」と紙にメッセージを書いただけ。その日私たちは会うことさえできなかったから。ほかに何があったかというと、一緒にダンスに出かける友人たちにスナックを用意したかったので、夕方それを焼くのに奮闘した。ふつう誰かを祝うときには、ほかの人たちのためにスナックを用意する。私はグループによりよく合わせるようにアピールすることを試みてそうした。それは結局のところ、私が思い描いた結果にはならなかった。私はお祝いはトレーニングの後に行われることを忘れていたのだ。私は塩味があって甘いケーキを、テーブルの上に寝かせておいた。みんなはそれを、トレーニングの後に食べるいつものスナックだと思っていた。机の上の箱の中の食べかすと花束が残った。花束は先生が持ってきたもので、それは彼女が「先生の日」に受け取ったものだった。もちろんみんなは、そのきれいな花はだれが持ってきたのか、その人は何かでお祝いされたのかどうかを尋ねた。ほとんどの人が花束の隣にある空の箱には気づいていなかった。私の妹はといえば、私は彼女からイヤリングを借りたかったので、彼女のジュエリーボックスの中を捜し最新のイヤリングセットを見つけ、それがとても気に入って彼女にそれを貸してくれるかどうか尋ね始めると、妹は全く落ち着かないふるまいを始めた。ああ、分かった。私はきっと誕生日プレゼントを見つけたのだ。だからその日は素晴らしい誕生日だった。
 練習で疲れてほとんどくたくたになって、ベッドにバタンキューとただただ眠りたいと願うので起きるのは3月29日だろうと、私は寄宿舎に戻った。私のルームメイトたちはいつもはすぐにベッドに入ってしまうので、その日彼女たちには会わないだろうと確信していた。ドアを開けると、驚くことに彼女たちはまだ起きていた。そして机に近づかないでドアのところにいるようにと私にリクエストをして、私を驚かせた。私はこれから何が起こるのかわからなかったが、この“ビッグデー”の次のサプライズを心待ちにした。私には選択肢がないので、従うしかないのだ。一人のルームメイトがテーブルに走って行って、机に近づく私を撮影した。“GYOB(これはチャリティー活動を行っている私たちのボランティアグループの略称で、例えば子供たちの家を訪問するなどの活動を行っている)からお誕生日おめでとう”のメッセージが入った新聞のTページがあった。私は笑った。でも彼女たちがどうしてその新聞をくれるのかわからなかった。そしてその時私は、新聞の中に何かほかのものが隠れていることを発見した。新聞をめくってみるとそこにはコラージュがあった。グループのみんなは手にドットのついた紙の切れ端を持って、それぞれ自身の写真を撮った。それらの写真は注意深くお互いに並べられていた。そのコラージュそのものが私を幸せにしてくれたので、その日一日起こったことすべてを忘れてしまった。何よりも、これを考え抜いてこんなにクリエイティブに並べるのはとても大変な作業だったに違いない。ドットを数え上げていくと、その結果は?待って。何かうまくいかない。ええと、22じゃなくて51、どうして?そして私は突然気づいた。これは点字だと。すべてが明らかになった。私は3行で構成されているA4サイズのコラージュを握っていたのだ。最初の行に並べられた言葉は,“h-a-p-p-y”、2行目は緑色のボタンで作られたハートの写真で、”b-i-r-t-h”のような文字がついていて、3行目には”d-a-y”のような文字が、そして行の終わりには人参とリンゴで作られた感嘆符があった。みんなは“点”をそれぞれ独自のスタイルで描いた。ある人は点の代わりに花、ある人はハート、またほかのある人は顔をつくり、ほかのある人はキューブを拾い上げそこに属していない点である6の点をカバーし、未来の技術者たちは点と点の間の距離を正確に測り、全ての点の大きさが同じになるように留意した。全体としてその写真は私をとても感動させたが、「点字からお誕生日おめでとう」が一緒に添えられているのを見つけて、もう感動であふれて自分の感情をコントロールしようとすることさえできなかった。私は泣き出してしまった。一つは嬉しくて、もう一つはみんな私のことを忘れてしまっていると思い込んでいたからだ。ついに、昼食の前に会った女の子がこの贈り物のコーディネーターだったこと、そしてルームメイトはこのサプライズの私の反応を写真に撮影する任務を仰せつかっていたことがわかった。だから、私は彼女たちにとって大切で、彼女たちは私を好きでいてくれているようだ。ケーキにかけてある覆いは布でできており、それは点字が入ったルームメイトからのバッグだった。
 点はある人たちには何の意味も持たないかもしれない。しかし点は私に筆舌に尽くしがたい喜びを長い間与えてくれていた。私たちのだれもがこんな友人たちを持てたらと願う。
 ところで、このことは視覚障害者の特別教育を勉強することが、時間と労力をかける価値のあるということの理由でもある。
 彼女たちが本当にとてもよく気が付き、私のことを“忘れずにいてくれて、ただ見せかけていただけで、全てを完ぺきに考え抜いてくれたので、私は単純に信じることができない。そして私は、自分に本当に友達がいるのかどうかについて疑いを持っている。ああ、これはまた私の“日記”に吸収されてしまうのか。私はどこにそのハンカチを置いたのか…、最善を尽くしているが、粒また粒となって涙が私の頬を流れ落ちている。少なくとも彼女たちはもう眠りについている。

写真No.1 グループGYOB製作のコラージュ“Happy Birthday!”