海外の部 EBU地域 最優秀オーツキ賞
点字―視覚障害者にとってなくてはならない道具
イタリア   マリナ・ヴァレンティ(57歳・女性)
  最近、視覚障害者やその家族に対して、点字が時代遅れだとか、不要であるとか、複雑だと言われるようになっているのはなぜでしょうか。視力をほとんど、もしくは全く失った人たちにとって、点字はもう本当に、有益かつ不可欠な道具ではなくなってしまったのでしょうか。
 私は北イタリアに住んでいますが、娘には生まれたときから視覚障害がありました。錐体桿体ジストロフィーという眼の変性疾患で、彼女の症状では、通常、深刻な聴覚障害も併発します。まだ娘が小さいときに、医師から、彼女のためを思うなら、できるだけ早く点字をマスターさせなさいと言われました。私には、家族としてそうするのは当然のことだと思えました。
 イタリアでは、全盲や弱視の子どもが幼稚園や保育所に入学すると、その幼稚園や保育所は、視覚障害のある生徒をクラスに迎えるにあたって必要なこと全てに関する専門家である盲目学の分野のコンサルタントのアドバイスを受けます。そのコンサルタントが具体的にどのような役割を果たすのか、私にはよく分かりませんでしたが、おそらく、点字を使うように奨励するのだろうと思っていました。イタリアの正規の学校では、障害のある生徒には学習支援の教師がつき、感覚障害のある生徒はさらに、自立的な生活とコミュニケーションを行うための介助者の助けを得ることができます。幸いなことに、私たちの担当となった介助者は本当に有能な人で、娘に点字を教え始めてくれただけでなく、時には冗談も交えながら、とても楽しく授業全体に参加してくれました。しかしながら、盲目学の専門家の先生がその介助者と同じような点字への情熱を感じていなかったことは、最初から明白になりました。実際、彼女はそのやり方に異議を唱え始めました。彼女は、視覚障害のある子どもには残っている視力を使うように奨励すべきで、点字を習わせるのは心理学的にマイナスになるし、ストレスを与えるだけだと主張しました。二人の意見が一致することはなかったので、私たちは、その介助者が担当から外されるのは時間の問題だろうと思いました。彼女は、娘が小学校を卒業する前に担当を外されたので、娘は学校で点字を教わることができなくなりました。盲目学の先生は、点字は難しいので、学ぶことがストレスになるし、不要だから、いずれ廃れるものだと強硬に主張し、娘が点字をマスターすることを期待するのは高望みだ、と言わんばかりでした。私たちは、家で点字を学ばせることにしましたが、それは、娘が学校で点字を道具として使うことができないことを意味しました。点字は技能なので、いったん基礎を覚えたら、日常的に使って、練習し、その技能を維持しなければなりません。そうしなければ、他の点字使用者と同じように使うことはできなくなります。
 娘は今、語学専門高校の最後から2番目の学年です。賢くて、意欲もあり、認知力の問題もないので、ずっと正規の学校教育を受けてきました。今では、視力をほとんど失ってしまったので、文字を拡大しても読むことはできません。聴覚障害もひどくなったので、現在は補聴器もつけています。彼女のことを理解し、協力してくれる教師や特別支援教育の教師、そして、とても思いやりのある介助者に恵まれています。点字が自由に使えれば、もっと自立できるのでしょうが、学校の教材を使うにも、多くの人の支援がなければなりません。
 点字を学ぶ努力が必要なのか疑問に思っている全ての親たちに働きかけたいと思っています。点字は不必要だと教えこまれている全ての親たちには、次のことを考えていただきたいと思います。
 学校制度の中では、教室で点字を教えるのに必要なだけの資格のある教師や資源、時間がありません。ほとんどの場合、特別支援の教師や介助者は点字を知らず、点字に取り組むための道具も与えられていないので、点字が奨励されることはありません。ほとんどの場合、彼らは、点字は時間と労力の無駄であると洗脳されているのです。費用がかかるので、点字を教えることはできないと言い訳をするよりも、点字は時代遅れであるという方がずっと易しいのです。
 学歴のある人が点字は「難しすぎる」と考えることに戸惑いを覚えます。音楽や物理や数学を、一般に難しいものと見なされているからといって、晴眼者の生徒に教える科目から外すことはないはずです。
 言語を学ぶには読む、書く、聞く、話す、の4つの技能が必要です。それぞれの技能は異なった認知行動と結びついており、話された言語を聞くことしかできないのは、外国語学習においては、とても不利な状況です。話された外国語を聞くだけでは、様々な単語の違いを区別することはできません。英語のような、発音とつづりがほとんど対応していない言語を外国語として学ぶのは本当に大変です。新しい言語のつづりや構造を整理できるようになるには、何か実体のあるものが必要です。アメリカ盲人協会のカレン・ウォルフは「聞くだけでは、識字能力は身につかない。識字能力は、意思を伝え、考える助けになる。本当の意味の識字能力は、点字なしでは、けっして身につかない。」と言っています。
 技術は飛躍的に発展しました。しかし、スクリーンリーダーやレコーダーは、読み書きの能力の代わりにはなりません。人前でまとまった話をするときに紙の上で考えをまとめるためには、点字が唯一の手段です。ラベルや薬のパッケージを識別する、街歩きのときに方角を知る、レストランでメニューを読む、その他色々なことをするためにも、点字は必要です。
 弱視の子どもたちは悪い姿勢を強いられるのですが、娘の場合は、そのためにひどい脊椎側弯症になりました。眼精疲労や頭痛は毎日のことで、自分の子どもが、スクリーン上の文字を判読しようと奮闘しているのを見ると胸がつぶれる思いがします。点字を使えば姿勢がよくなるので、残された視力をテレビなどの娯楽のために使うことができます。
 能力のある人から点字を教われば、視覚障害のある子どもは、自分にとっての点字の重要性を理解し、難しすぎるものでも無理なものでもないことを知ります。子どもたちは点字を自然に受け入れます。ライス大学の言語学教授であるロバート・エングレブレソン教授は、学会発表で「晴眼者の子どもたちが墨字でごく当然に読み書きを習うのと同じように、私も点字で読み書きを学びました」と言っています。教授は、当然かつ必要なものとしての点字に価値を置く考え方について、述べています。
 視覚障害者にも平等にチャンスが与えられるべきです。点字はそれを可能にします。聞くだけでは十分ではありません。