海外の部 WBU-AP地域 ジュニア・グループ 優秀賞
視覚障害者としての僕の人生のポジティブな経験とチャンス
ニュージーランド  ウイリアム・ウー(15歳・男性) 

視覚障害。恐ろしい、乗り越えられない壁、光のない生活。胸が張り裂けるほど悲惨な呪いでしょうか?いいえ、違います。

僕の名前はウィリアム・ウー。15歳でニュージーランドに住んでいます。僕は若干2歳で網膜芽腫という珍しい目のガンを患い、両眼の視力を失いました。ガン細胞を取り除くために化学療法やレーザー療法など、たくさんの治療を受けましたが、効果がなく、両眼摘出手術となりました。

多くの人は視覚を神様が与えてくれた五つの感覚のうち「最も貴重」で、視覚を失うことを世の終わりのような悲惨な出来事と捉えていています。でも、それはその人がそう見れば、の話です。視覚障害という影と谷の向こう側を見る人にとっては、神様の賜物への鍵のようなものになり得ると、僕には思えるのです。僕は目が不自由であるがゆえに、健常の友人には想像すらできない、海外での点字ミュージックキャンプなどのたくさんの素晴らしい機会を得てきました。僕は国内外の視覚障害者コミュニティで、素敵で、感動的な、互いに学び合える友人たちに出会いました。視覚障害を通して、僕は友人、家族、学校の人々など自分の周りの人たちに影響と勇気を与え、またそれに対して彼らも僕が目標に到達できるように勇気づけてくれています。

視覚障害があるからこそ多くのチャンスが訪れたのです。

先ほど述べた点字ミュージックキャンプから、身体障害者用の駐車場の利用、僕の経験を書くことができるこの点字エッセイのイベントまで、これらはすべて素晴らしい経験なのです。なぜなら僕の人生をポジティブにし、励ましてくれ、人生と勉強に役立つ知識を与えてくれるからです。障害者用の駐車場、飛行機の優先搭乗、プールの専用レーンを無料で予約できるなどの日常の小さな事や、他にもまだまだたくさんありますが、これらは全て、もし僕が視覚障害者でなければ分からなかった事ですし、視覚障害のポジティブな面なのです。

視覚障害であることを通し、僕は今までに視覚障害者コミュニティ内で、色々なことを教えてくれた数々の信じられないくらい素晴らしい人々に出会ってきました。世界中の多くの視覚障害者コミュニティは電話やメッセージグループで互いにつながっています。どのグループにも、似ているようでいてそれぞれ違う経験を持ったすごい人々がいっぱいです。みなそれぞれに賢明な人たちです。これらの人々を通じて、新しいテクノロジーのスキルや音楽のヒント、アート・工作の技術、ゲームのヒントなど数えきれないくらいの助言をもらったりしています。この素晴らしい、ためになるネットワークから離れることは、ポジティブな経験を拒むことになってしまいます。同様にたくさんの友人を作り、僕も他の人々を助け、お互いに自分たちの経験、アイデア、感情を分かち合うことができるのです。目が見えないからこそ、こんな風になりたいと思えるような素晴らしい人たちや、僕の人生の目標を見つけるお手伝いをしてくれる人々とつながりを持てるのです。僕の知る限り、他にこんなコミュニティはありません。ですから視覚障害は僕の人生にとってポジティブなことなのです。

視覚障害であることが、健常の友人を勇気づけることもあります。目が見えないとかなり難しいだろうと思えることを視覚障害者がすると、多くの人が驚きます。例えばロッククライミングですが、僕に言わせてみれば、実際のところ目で見ることよりもテクニックの方が大事です。大抵の視覚障害者が難なくやる日常のことの中には、健常者が驚くようなことがありますが、それは良いように利用できます。僕のところに近寄ってきて、「君は感動を与える人だ」と言ってきた人もいました。僕は恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちが入り混じり、同時にこんなふうに人の人生に触れることができることに感謝の気持ちをおぼえました。視覚障害のある友人と健常の友人の両方からスキルを身につけると共に、健常の友人は僕が学校を卒業した後も困らないように、「目が見える人たちの世界」について教えてくれます。目標に対する希望、夢、探究心を失った友人たちが、障害者が頑張っていることに元気づけられることもあるのですが、それは良いことだと思います。僕の視覚障害が、友人や僕の周りの人々を元気づけることもあり、そしてその代わりに彼らが僕を支えててくれるのです。

視覚障害者であるがゆえに、本来なら巡って来ないような類まれなチャンスやイベントに恵まれてきました。これらはすべて学びのチャンスですし、新しい友人に出会ったり、友情の絆をより強める場所でもあります。また生活のアイデア、ヒント、知識を共有し、互いに助け合い、安全でより良い世界を築くための世界規模のインターナショナル・コミュニティに出会うこともできました。これらのグループと繋がることにより、僕は自分を高め、何が自分にとって良いのかそうでないのかについての考えや感情を、より自信をもって表現したりすることができるようになりました。僕の障害は、学校の健常者コミュニティの中にも新しい友人を作り、彼らを勇気づけることにも一役買っています。お互いに高め合っているのです。これらすべてが僕の人生におけるポジティブなことであり、経験なのです。以上のように、目が見えないこと、暗闇で生きること、試練など、視覚障害という影の中でさえ、たとえ目が無くとも見たり理解しようとする者には神の賜物が与えられるのです。目が見えないということは、不幸の元凶である必要はないのです―私たちがそのように考えなければ。