海外の部 ABU地域 ジュニア・グループ 優秀賞
障害者の観点で私をみてください。私は人を宗教や文化によって判断しません。それはどういうことでしょうか。
パキスタン  モハマッド・イクバル(24歳・男性) 
 

人は地球上の何よりも論理的に考える生き物でしょう。人に生まれながらに備わった尊厳は何があっても失われることはありません。神の思し召しと考えることもできますが、人権を追求する議論からも、人の尊厳にたどり着くでしょう。その考えに立てば、個人は誰でも、他者と対立しない限り自由を享受する権利があります。とはいえ、歴史の展開を振り返ってみると、グローバリゼーションが進む中、種々の宗教や文化により社会の多様性が増しています。多様性はすばらしいものですが、一方で障害や宗教、文化など社会の区分の議論の根底にあるのも多様性です。

「障害の社会モデル」が提唱されてから、社会的運動や活動の中で、個人のアイデンティティを示すものとして「障害」が最も大きく扱われています。障害者人権運動では、個人は宗教や文化を超えたものとしています。障害者人権運動には対立や差別、迫害の入り混む余地はなく、むしろ宗教や文化を超えた普遍的で包括的な価値観を押し進めるものです。宗教や文化と対照的に、人として生を受けたことだけが大切なのです。踏み込んで、障害を人間の多様性の一部ととらえれば、個々の人を受け入れたり判断したりするときに、宗教や文化的な背景といった古びた考えに大した意味はないでしょう。公民権と社会的包括は障害者人権運動の中核であり、あらゆる立場の障害者の権利を尊重するものです。障害のある人が人間らしく生きることが何をおいても大切であり、いかなる理由を付けようとも人が虐げられることがあってはなりません。

宗教は多くの社会で、神聖で大事なものと考えられていますが、その形式や本質はさまざまです。障害者人権運動が普遍性に基づいているのに対し、宗教は相対的でものの見方に偏りがあり主観的であるようにみえます。つまり、宗教の物事に対する姿勢はまちまちですが、それは他の宗教と比べてそう見えるということです。マルクス主義的観点からは、宗教の相対性こそが、同じ宗教の2つの分派の内紛の原因になっています。宗教には障害についての論理的な解釈がありません。障害は一族の罪や呪いに対する罰であるとされることもあれば、障害が神の祝福や救済の印として現れるとされることもあります。前者は障害者への拒絶と排除につながり、後者は障害者を不合理に神聖視するもので、いずれの場合にも社会の不平等を生み出します。前者はあからさまな排除、後者は不合理な特別扱いで自由を制限することになるため、どちらも障害者の人権を侵害しています。つまり、宗教は社会の不平等を押し進め、偏ったものの見方で社会的な対立を生み出すのです。

宗教と同じように文化も相対的であり、社会によってさまざまですが、大部分はそれぞれの社会を構成する集団から生まれた習慣や伝統に則ったものです。社会学的見地から平たく言うと、文化とは社会生活の規範です。社会の姿勢や考え方、規範、価値、習慣、そして伝統の上に文化が成り立っています。そのため、どの文化にもこのような要素に影響を受けた固有の価値観があるのです。どの文化にも直接または間接に自文化中心主義と他文化礼賛主義のせめぎ合いがあり、文化の普遍性は顧みられることがありません。異文化間のせめぎあいは衝突を引き起こすだけでなく、特定の文化に属している人々への人権侵害でもあります。話をもどすと、文化的視点に立った障害の捉え方は曖昧であり、社会の経済的、政治的背景とあいまって、障害を社会から排除しようとする理由になっています。文化には異文化間で相反する価値観があり、障害に対する配慮がありません。

障害者人権主義以外に、宗教も文化も普遍的で論理的で差別のない世界を生み出すことはできません。それどころか、宗教も文化も人々に不平等や対立を生み出しています。そのため世界中に不寛容が急速にはびこり、平和と社会の調和が失われています。この点でも、普遍主義に立つ障害者運動は強力で包括的で進歩的な考え方です。異なる文化的背景のある人々のみならず宗教の違う人々も受け入れる障害者運動は、社会の調和を生み出します。障害者主義は、可能な限り社会への包括を求めるものです。障害者主義はあらゆる場面での包括を求め、どの宗教もどの文化も受け入れます。私は宗教や文化の枠に自分をはめ込むつもりはありません。私を障害者主義の視点で見てください。