海外の部 ABU地域 シニア・グループ 佳作
家族から独立して暮らすか? 家族と共に暮らすか?
オマーン  マスード・アル・イスマイリ(30歳・男性)

自立には様々な要素がありますが、社会的、教育的な意識の高い者にとっては、自分自身の自立、そして」家族の自立をどのように捉えるかは重要なテーマであると言えます。個人の権利と、個人及び社会の自由を保障するものとして、人権団体も自立を重視しています。家族から独立したいか、それとも家族との同居を望むかと、様々な環境で生活する人々に尋ねてみるとします。当然のことながら、自立の意味するものは、文化や習慣により、また、経済的、政治的な立ち場によって様々です。したがって、自立という事象を解明し、その背景や人々への社会的影響を論じる際には、まず、私達が自立という言葉で何を意味するかを明確に示す必要があるでしょう。社会学的文脈において、自立とは、家族という制約から解放され、生活上の様々な課題に自分自身の力で取り組むことと定義されます。たとえば、家族とは別の家に住むことを望んだり、両親や兄弟から成る大家族から離れて一人暮らしをしたい、あるいは核家族で暮らしたいと望む人々がいます。つまり、自立生活は、一人暮らしと核家族の二つの形に分類することができます。この二つの自立の形態には、その背景となる思想から生じる相似点や共通点が見られます。自立の意味を考える時、共通する動機から始まるこれらの二種類の自立は、同じ性質の自立と見なすこともできれば、それぞれに異なる自立の形と見なすこともできます。

自立生活志向という現象を調べてみると、動機や理由により様々な自立の形があることがわかります。経済的な事情から自立を目指さざるを得ない人々もいれば、家族から遠く離れた場所への進学する人々もいます。政治的な理由による迫害から家族を離れる場合もあります。また、若者の中には、自立そのものを求める傾向も見られます。大家族の束縛や権威主義からの自由を求める志向です。家族の束縛や権威から飛び出して人生経験を広げたいという、十代の若者の間によく見られる傾向です。こうした若者の自立志向を自然に受け止める社会もあります。また、核家族として自立を志向する場合も、その動機は個人の自立の動機と相通じるものがあります。自宅から就労場所までの距離、手狭な住居といった経済的な理由もあれば、結婚した若い夫婦が両親の権威から独立して生活したいという社会的な理由もあります。結婚したら実家を出て夫婦で独立して暮らすことを求める社会においては、家族からの自立は社会的な要因によるものであると言えます。いずれの動機や理由によるにせよ、そうしたコミュニティでの自立の普及には、細かい点では違いがあるにしても、ある種の共通した背景があるものと思われます。しかし、現実に自立が実現する割合はコミュニティにより大きな違いがあります。実際、自立生活、とりわけ一人暮らしが懸念される場合があります。その理由は、自由の抑圧というより、一人暮らしの悪影響が危惧されるからです。こうした懸念を抱く人々は、一人暮らしの若者が家族や習慣、伝統から切り離されてしまうと考えます。また、早すぎる一人暮らしは非行に結びつきかねないという見方をされます。結婚前の若者は、大人としての作法や人生の苦難への向き合い方を年長者から学ぶべきだという考え方があるのです。若い世代における離婚の増加や、売春、麻薬、窃盗といった犯罪の蔓延も、その原因は早すぎる一人暮らしにあると見なされるのです。もし、若者たちが両親の保護監督の下に暮らしていれば、そのような事態は未然に防げたはずだということです。アラブ首長国連邦で発表された離婚に関する調査では、全離婚件数の60%が両親と別居の夫婦であり、配偶者の両親と同居の場合の離婚率は10%だったと報告されていました。

自立生活の支持者達によると、自立生活にはいくつかのメリットがあります。自立生活を始めることにより、若者は早い時期から人生の困難に直面し、自分が育った村や家族とは違う世界を経験できます。こうした自立生活を通して、若者は新たな人々と出会い、経験を積み、責任感を養い、家庭を営む術を学ぶことができます。こうした自立の考え方は、自分達が育ってきたコミュニティの伝統や考え方に縛られることなく、自分達が描く家庭生活を築きたいという自立志向にも相通じるものがあります。両親や兄弟からの干渉によるトラブルに巻き込まれることもありません。こうした傾向を支持する人々は、大きな家族から小さな家族へ移行したことが、家族の役割の変化や家族制度の崩壊に繋がるわけではないと主張します。もちろん、こうした意見や傾向は、環境や宗教によって違ってきます。たとえば、西洋では、個人であれ、家族であれ、独立した住居を持つことは当然の権利であり、個人や家族が享受する自由だと考えられます。近代の西洋社会においては、家族は契約原理に基づいており、若者が16歳を迎えると、家族は彼に対する社会的、経済的責任を放棄し始め、家族としての繋がりは徐々に稀薄になっていきます。公平を期すために付け加えれば、西洋の家族制度がすべてこのような図式に当てはまるわけではありません。キリスト教的価値観に基づく家族制度の正当性の復活を求める人々もいます。このことは、アメリカの社会学者、ピーター・ラスレットが、その著書、「我ら失いし世界」の中で指摘しています。一方、アラブのイスラム教や東アジアの仏教、ヒンズー教、道教のような宗教の教えに従ってきた東洋の社会では、大家族制度を支持する家庭が多数を占めています。家族制度の普及も衰退も、その背景にあるのは歴史的、宗教的な変化です。人口構成もまた、この現象の進展に影響を与えます。都会から遠く離れた地方では、いまだに大多数の人々が大家族制度の下で、家族制度の規範と権威を受け入れて生活しています。しかし、大都市や産業地帯に近づけば近づくほど、こうした現象は少なくなります。自立という選択が正しいと認めたとしても、私達は世界の状況と現実を受け入れなければなりません。様々な異なる環境下にある人々が互いに交流することには、それまで人々が置かれていた孤立的状況を解消するという人類の営みの過程があったことを否定することはできません。この過程を経ることで、多くのコミュニティに安定がもたらされました。今日では、早い時期に様々な問題に挑戦しておくことは、大人になってから初めて困難に直面するよりも、知的にも職業的にも社会的にも個人の成長につながると、多くの国々で認められています。しかし、家族の解体というような社会的コストも発生します。多くの社会学的研究が、現代社会は孤独、嫌悪、孤立に満ちていると指摘しています。このような宗教的、文化的、経済的、人口構成上の変化により、家庭を営む上での家族と個人の自立の狭間で混乱してしまう人々が少なくありません。こうした人々は、家族と個人の間のバランスを見失ってしまうのです。その結果、家族制度の伝統や文化を頭から否定したり反発したり、あるいは極端な伝統主義者になってしまいます。どんな事象にも両極端とその中間があり、そこを見極めることで家族と個人のバランスが取れるのです。何の制約も規則も価値観もない、黄金の器に盛られた理想的な自立が初めから存在するはずがありません。幼少期に培った価値観や道徳感という対抗手段がなければ、バランスを見失い、自立という決断に潜む家族崩壊の罠にはまってしまうでしょう。自立生活への欲求は人間的な、自然な欲求であり、自己を主張し、自分と家族の自由と将来を手に入れる手段であることは確かです。しかし、それらは人々が育ってきた環境や文化という要素の影響を受けるということも否めません。したがって、この問題を真に解決するのに必要なのは、精神的、社会的な成長であり、物質的に豊かになることや都会的な生活を送ることが解決策になるわけではありません。したがって、私達は、社会的連帯と安定を目指していっそうの努力をすべきだと考えます。