国内の部 成人の部 優秀賞
 「音と友達に」
京都市 杉本純子(すぎもと じゅんこ)(42歳・女性)
「コンコンチキチン コンチキチン」、祇園囃子の音色が聞こえてくるといつもなんだかそわそわします。京都に住んでいる私は昔から毎年のように祇園祭によくでかけていました。それは家族であったり、友達同士であったり、1人であったりしました。京都の夏の風物詩である祇園祭は日本三大祭の1つで、葵祭、時代祭と並ぶ京都三大祭の1つでもあります。7月1日から7月31日の1か月間の中でも前祭りと後祭りの山鉾巡行が有名です。私が毎年行くのは前祭りの7月14日〜16日までの前夜祭、宵々々山、宵々山、宵山の中の1日です。子供の頃は両親に手をひかれうきうきしながら狭い通りを歩きました。お祭りの意味もよくわからず、見るものすべてが珍しくて露店を指さし、「あのドラミちゃんのお面買ってよ。」、「真っ赤な林檎飴が食べたいよ。」とあれやこれやせがんだものでした。いつも途中で疲れてしまい、父の背中におんぶされ帰ったものです。
 高校の時は友達と4人でわいわいおしゃべりしながらでかけました。黄色の帯に撫子柄の紺地の浴衣を母に着せてもらい、いつもより少しおしとやかにそして、ぎこちなく歩いていたのを思い出します。通りには山や鉾が建てられ、沢山の提灯の明かりが輝いていました。私たちは人込みをかき分け、お目当てのお店を探しました。露店には紺地に真っ赤な蛸のマーク、白で大きく、「たこやき」の文字。そののれんの中にはねじりはちまきをした叔父さんの姿。みんなで食べたふっくらとしていたたこ焼きはあつあつで今でも忘れられません。
 社会人になっても祇園祭の時期になると自然に祇園囃子の音色に誘われました。会社帰りに厄除けちまきを買ったり、山や鉾の飾りや形をゆっくり見て回りました。どの懸装品も色とりどりで艶やかで奥行きがあり、見事なものでした。その当時の風景にはどんな時も色があり鮮やかでした。
 しかし20代で私の視力は急に落ちました。見えにくくなるにつれて見える風景が変わっていきました。徐々に全体像がぼやけ、色もはっきりわからなくなっていました。私は1人で行けなくなっても、毎年母に祇園祭に連れて行ってもらいました。それは見えなくなってきていても見えている時と同じものを感じていたかったからです。いつも山や鉾の提灯の白っぽい明かりがぼぉっと見えるとそっとつぶやきました。「まだ見えてる。」と。そんな確認を繰り返しながら毎年、御祭を眺めていました。
 そして、とうとう2年前にはその明かりも確認できなくなってしまいました。迷いましたが雰囲気を楽しめるのではないかといつもと同じように祇園祭に行くことにしました。しかし、暑いだけで人に囲まれよくわからないまま歩いているだけでした。説明をしてもらっても山や鉾の側になかなか近づけずどんなものか触るのにも一苦労でした。私はがっかりしました。「やっぱり見えないとみんなと同じようには楽しめないのかな。」と。
 私のそんな様子を感じたのか母は人混みから離れ、帰る方向に向かいました。その時、「コンコンチキチン、コンチキチン」四条通の薙刀鉾の方から祇園囃子の澄んだ音色が私の耳に聞こえてきました。足を止め、耳を澄ますと私の周りには他にも沢山の音の世界が広がっていました。「カラン、コロン」と爽やかな下駄の音。「チリーン、チリーン」と涼しげな風鈴の音。警備の人の叫ぶ声、ざわざわ感の中にも夏を感じる音が隠されていました。様々な音が私に祭りの雰囲気を伝えてくれていました。
 昔、見えていた時の懐かしい記憶が鮮やかに蘇ってきました。おぶってくれていた父の背中、あつあつのたこ焼をほおばっているみんなの笑顔、山や鉾の提灯の温かな明かり・・・。私自身がその場に行かないとわからない世界が確かにありました。音がくれる風景の数々が、そこにはありました。音から色へと拡がる記憶の世界。その風景を自分の耳で、手で実際に感じることができること、それはとても幸せなことだと気づきました。そう感じた時、さっきまでの不快感が私の中からすーっと消えていきました。その瞬間、音は私にとって心強い味方になりました
 もう一度色を見てみたいという気持ちは永遠に変わらないけれど、私はたくさんの音と友達になりたいです。音はこれからの生活をきっと豊かにしてくれるでしょう。幼い日も見えない今も、祇園祭の人ごみに連れて行ってくれた母にとても感謝しています。私は今日も耳を澄ませています。「今日はどんな音が聞こえてくるかな。」と。これからも沢山の音を感じながら音と一緒に歩いて行きたいと思います。