海外の部 EBU地域 シニア・グループ 佳作
悲しみの点(字)
デンマーク    ペーター・ニールセン(79歳・男性)
 「あなたは、視覚障害者のためのアルファベットを学ばなければなりません」と先生はいいました。
 視覚障害をもった子供たちが触れてわかるように、目に見える指示の代わりに、ドアの内側に見張り役として置かれたぬいぐるみのライオンと外側には世界中から集められたたくさんの種類のコップ棚がおかれた教室に座っていました。
 彼は、そこから離れて外の世界についての映画を観に、心の内なる映画館に何時間でも出かけることができましたが、もちろんそれは、彼の想像の世界で、実際のものではありませんでした。
 1年の間、彼はいくつもの眼科病院へ行かされましたが、彼の視力を回復するため、定期的に与えられた薬が不足して、医者は彼を助けることができませんでした。
 もはや、眼科病院ではなく、視力障害者のための施設だけが彼に残され道でした。

 学校の建物は、最近までドイツが兵舎として使っていたものを改装したものでした。彼は徐々に学校の建物の在り方を彼自身の方法で分かるようになりました。六つの軋んだベッドのある寄宿舎から、リビングルーム、地下の食堂まで。病院での数か月のベッド生活は、彼の体に大きな負担を与えましたが、学校のジムとプールのお蔭で、間もなく体の機能は回復しました。
 しかし、彼の自慢だった、森の中を探索する技術―舵取り、目的地へ辿り着く術は、もはや失われ、どこにも無くなってしまったのです。そうした実績に比べられる技術が何かあるでしょうか。彼には自信がありませんでした。もはや何も。

 「視覚障害者のためのアルファベット!」。それは耳に心地よいものではありませんでした。視覚障害者のためのアルファベットを学ぶということは、自分が視覚障害者だということを他に発信することになります。家で、彼は自らに問いかけます、もしも何でも見ることができたら・・、何も見えない?
 常に彼は答えます、イエスと。
 もしも見えたら、それはどんなに心安らぐことでしょう。でも、実際は、ドーム状の視野に映った色のついた影でしかないのです。
 「視覚障害者のためのアルファベット」とは、彼の小さな嘘を明らかにしてしまうシグナルでした。視覚障害ということを意味する言葉は、彼にとって無用なものでした。それは、不愉快でのどを緊張させ、身体を不安にさせる言葉でした。他人が憐みや同情をそれとなく示し、声を通してそのことを示したりすると、彼はそれがわかるのでした。それは、誰にも知られまいとして隠していた絶望的な感情を撃ってくるものでした。
 「視覚障害者のためのアルファベット、六つの点で構成された点の文字、あるいはそれを発明した人にちなんで名づけられたブライユ」を、先生は始めたのです―彼の前の机の上に放り投げたのです。ブライユという名の符合の山を。

 点字という言葉の方が受け入れやすいかもしれませんが、彼は誰もその意味をしらない新規な言葉、ブライユという言葉の方を撰んだのです。クラスの他のメンバーは、いつも簡単な点字という言葉を使っていました、彼自身がブライユという言葉を選んでいたにもかかわらず。だが、そのうちたぶん、彼も、他の人と同じように、点字という言葉を使うのになれてくるでしょう。
 しかし、視覚障害者のためのアルファベット―それはノー。それは、彼(が視覚障害であること)を暴露してしまう、悲しい点の文字だからです。彼を不安にさせる何かを刺激する言葉なのです。
 六つの点を組み合わせてマッチ箱の大きさのブロックでアルファベットを表わすことができます。
 でも、「それは簡単なことではありません」と、彼がのどを刺激されるような憐みを伴った声で先生はいいました。ボーイスカウト時代、彼はモールス信号のアルファベットをでも、「それは簡単なことではありません」と、彼がのどを刺激されるような憐みを伴った声で先生はいいました。ボーイスカウト時代、彼はモールス信号のアルファベットをたいした困難もなく覚えることができました。さあ、こんどは点字だけ、パターンを形作れる点字です。

 ある日、先生は彼の前の机の上に、硬い紙を挟むことができる金属製のフレーム(点字盤)と、紙に裏返した点をあけることのできる点筆を置きました。彼女は「ちょっと難しいわよ」と、言いました。  「こうやって、横方向に文字を反転しなければなりません。右と左があなたにとって難しいようなら、そんなに簡単ではないけれど」と。
 12歳の時、彼はすでに羅針盤を使って船を操縦していたので、彼にとって三角点を使って方角をとるのはとても自然なことでした。北西、北東、それぞれをdとfとし、南西、南東をjとhとするのです。

 それだけではなく、彼は、最初の10文字が先頭で4つの点を使っているということを発見しました。
 次に続く10文字は単に点を追加するだけでした。u,v,x,yも、他の点を追加するだけでした。
 もしも、最初の10文字の前に、特別なシンボルを置くと、それは数字になりました。この点を理解したことは、彼にこのシステムを手に入れたという自信を持たせました。かれは、点字盤の上にアルファベットを書き始めました。
 すこし間違いをすると、消しゴムの代わりに爪を使うことができると知りました。彼は盤から紙を外すと、それを先生に渡しました。先生は、彼が書いたものを指で読むために、紙を机の上に置くのではなく、目で読みました。「よし、あなたはちゃんとやりましたね」と、すこしがっかりして「そこにあってはならないところに点を打って」と言いました。最後の部分には、すこし勝ち誇ったような声をして。

 彼は分かっていました。先生というものは、常にとるに足らないミスに気づいて、実際の成果を評価するのではなく、ささいなミスに手を入れる赤鉛筆を愛しているものだ、と。
 彼は心のうちで、彼女を自分の先生として見限って、ブライユないし点字をマスターすることに着手して、以後、何でもこなしていきました。何年もの、たくさんの可能性がありました。
 Aレベルの試験とより進んだ、独特の縮約形を伴った外国語の勉強も含めて。速記と音符も、同じように独特の縮約形がありましたが、それは多様で豊かな可能性に向けて開かれたものでした。

 点字盤はパーキンスブレイラーによって補強され、より速くより簡単にページからページへとコピーすることが可能になり、フォルダーにファイルすることもできるようになりました。テープ録音とノートは、ブライユカードインデックスとして扱われ、すべてのテキストが点字変換されなければならないという夢は、非現実的なものに思われます。
 しかし、コンピューター時代がやってくると、音声合成器がもたらされ、やがてはブライユ式点字ディスプレイなども現れて、多くのテキストが指で読めるようになりました。
 ネットに接続した点字パソコンは、コートのポケットのサイズよりも場所をとらないため、文献や他の人と接触するのが容易になりました。
 ホームページと連結するのは問題を引き起こすかもしれませんが、一方、より必要な情報が与えられるようになります。しかし、点字を書いて読むという当初の可能性をもった、ポケットサイズの点字盤は きちんとした皮のカバーに入って、まだ手元にあります。バスの中やパブの中で思いついたアイデアや思いつきを、後で書き直せるように、書きとどめておくことができます。
 人の考えは、人によって話されたときに初めてわかるものだ、とはよく言われることですが、内なる意識の反映は、薄明りの下でのそれと日中のそれとでは違って見えます。また、話されることは、鳥のように飛んで行ってしまい、簡単には捕まえることができません。
 それとは対照的に、もしも誰かがそれを書きとめたなら、その考え、その熟慮、その考察はまた、誰かの心の中でまた考え直され、書き換えられることでしょう。
 私は書き留めます、だから内省できるのです。視覚障害者のためのアルファベットというコンセプトはもう、恐ろしいものではありません。それは文献に親しんだり、日々の生活のできごとや約束を管理するために与えられたツールだからです。
 最後に、誰かの考えをきちんと受止め言葉にする喜び。