海外の部 EBU地域 シニア・グループ 優秀賞
点字は私に本という光明を与えてくれた
ルーマニア    ロディカ・サンドゥ(65歳・女性)
 私は、(ルーマニアの)クライオバ出身のラダ・ロディカ・サンドウといいます。私は1951年の2月の寒い夜に, ゴルジ郡のセガーシという所で生まれました。読み書きのできるものがいない、貧しい家庭の9番目の子供でした。その夜は雪がたくさん降って風が強く、庭や通りが見えないほどでした。私の誕生の際、私の母には深刻な健康上の問題がありました。悪天候のため、最近新設された産婦人科の病院に連れていくこともできませんでした。多くの女性たちと同じように、近所の人たちに助けられ出産したのです。夜明けに母が苦痛でうめきながら、私を生みました。金髪青い目のぽっちゃりした女の子でした。産んだ後も母の状態は悪く、私は近所の人々の分厚い毛布にくるまれました。近所の人は私をベッドに寝かせ、母を救うためにできる限りの手を尽くしてくれました。翌朝、母の状態が良くなったころ、近所の人が私の目が膿みだらけなのに気づきました。村の医者が来て私の目を洗いながら、両親に私を最寄りのクライオバの専門家に連れて行くように言いました。私が2才の時、両親は私を眼科に連れて行きました。私は当時、光が見えるだけで、昼と夜の区別はできました。医師からは、私の目が良くなる見込みがないこと、そして光が認識できる状態がどれくらい続くのか誰にもわからないと告げられました。クライオバに有名な眼科の医師が来た時、ひよっとしたら目が見えるようになるのではないかという希望を胸に、両親は私を医師のもとへ連れて行きました。ブカレストに連れていかれた時も、残念なことに誰も私が見えるようになるとは保証してくれませんでした。私は自分の道を見ることさえできず、暗闇を歩み続けなければならない運命だったのです。
 私には一日中一緒に遊んでくれた二人の兄がいました。彼らは私に遊びを教えてくれ、私はすぐに習い覚えました。自分の庭や通りなどは知り尽くしていましたし、兄たちを見つけよう、捕まえようと、一緒に駆け回っていました。どちらを捕まえたか当てるように兄はいつも私に尋ねました。怖いもの知らずで駆け回っていたので、けがをしたり穴に落ちたりもしました。ある年齢までは、自分は他の子供達と変わらないと思っていたのです。恐れることもなく、ほかの子供達と同じように木登りまでしました。兄たちが学校に行き出すと、私は悲しくなりました。もう私と遊ぶ時間がなかったからです。学校から戻ると兄たちは、学校で何を学んだか話したり、本から詩を読んでくれたりしました。ラジオがあったのでいつも聞いていました。このようにして私は歌を学び、家の中や木の上で歌いました。私の歌を聴いた人々は驚き涙していたようです。
 7歳の時に市役所から一通の手紙が家族に届きました。ブゾーにある盲学校への入学書類を準備するようにとの通達でした。親せきや近所の人たちが、私をその学校へ行かせるように両親に説得してくれました。私が読み書きを学び、将来仕事も持てるようにと。仕事を持ち、働いて生活し、両親が死んでも兄弟たちに頼らずにいいように。それでも、両親は説得されませんでした。「目が見えないのに学校に行くべきなのか」、「どうやって勉強などできるのか」、「何の仕事ができると思っているのか」といったことを両親から聞かれた時、私はこう答えました。「お母さんも一緒に来るなら行く」と。私たちはともに泣きました。私はその時10才でした。
 ある冬の日、家に入り玄関の電気をつけてくれるように母に頼みました。母のもう明かりはついているよという答えに、私は泣きだし、寝室に入り込んで泣き、そのまま寝入ってしまいました。翌日には、以前見えていた光も見えなくなりました。それから何年もたちました。私は光のない生活に慣れていました。ある日、クライオバから盲目の学生がやって来て、アラドニアウ女子盲学校へ行きたいかどうか、私に尋ねました。私は感謝してその招待を受け、書類に必要な個人情報を口頭で伝えました。もう成人でしたので、両親も反対しませんでした。私は自分で自分の将来を決めることができたのです。その次の秋に、私はアラドニアウ盲学校の生徒になりました。
 実家から離れたことがなかったので最初は大変でした。ホームシックにもなりました。点字のアルファベットはもつれた点の塊で、文字とも思えなかったし、学習するのは不可能に思えました。学校での習慣にも慣れていませんでした。しかし、少しづつ、私は慣れていきました。寮にも歩いて一人で帰れるようになりました。先生の助けもあり、点字のアルファベットのコツもつかめるようになりました。最初は見えないのに学べるとは思っていませんでした。今はそれが可能であると実感していますし、家に帰りたいと思ったことを後悔しています。点字のアルファベットもすぐに覚えました。最初に読んだ本はリボルトでした。読み終えた時は喜びでいっぱいでした。光が私の魂に差し込んできました。夏休みにはその本を持ち帰り、兄弟に読んでやりました。彼らは聞きながら泣いていたようです。毎年何らかの賞を頂きました。読めるようになり、優秀な成績が表彰されたことが、点字が私に与えてくれたことの中で、一番うれしいことです。点字のおかげで、国中いたるところの友人たちとの交流を保てました。ルーマニア盲人協会による点字の友の会というコンテストにも参加する機会がありました。 そこで後に長い付き合いとなる友人たちや同僚たちに出会いました。
 点字文字はますます大切になっていると思います。なぜなら、点字のコミニケーション媒体が増えるのとともに、ホテルの扉やエレベーター、美術館や植物園、薬の箱などに、点字の打ち出しラベルが増えているからです。
 点字文字が私に与えてくれた慈悲深い明かり、識字の明かりを思うと、深い充足感に満たされます。