海外の部 EBU地域 最優秀オーツキ賞
指先で見ることができる
ポーランド    テレサ・デデルコ(61歳・女性)

 ルイ・ブライユは、視覚障碍者に読み書きの手段を与えたということで称賛されますが、それ以外にも称賛するべきことがあります。私はブライユの伝記を少なくも2冊は読み、彼がとても偉大な人であると思っています。彼を必要としている生徒のために、給料の良いオルガン奏者としての仕事を辞めたことは、称賛に値するでしょう。また、亡くなる直前、友人に貸していたお金のレシートをすべて焼却するように指示したという事実は、彼がお金を優先していなかったことの証でしょう。
 生徒たちが寝ている間も、ブライユは健康を損なうほど点字コードの作成に励んだということです。事実、視覚障碍者が読み書きできることを可能にした点字コードを発明することは、彼にとって一番大切なことだったのです。
 彼は、自分の発明に対して、いかなる称賛も期待していませんでしたが、彼のコードである点字が「ブライユ」という彼の名前で呼ばれるようになったことは、彼にとって最大の贈り物だったことでしょう。私は、ワルシャワの近くにあるラスキー市の盲学校で点字を学びました。小さい子供たちは、点字のセルのような長方形の木板に、小さなくぎを差し込む練習をしました。点字の文字をこうして識別するのです。それをマスターすると点字を点字盤に書くことを学び、そのあとで、点字のタイプライターが与えられました。
 私は今でも、ハンドバッグに小さな点字用の点字盤を入れて持ち歩いており、銀行口座番号や友人の名前などを控えるのに利用しています。

 面白いことに、レイリーの盲学生は、点字アルファベットを使った秘密の暗号を使っていました。「減算」コードと呼ばれたものが一番よくつかわれていました。このコードでは、通常の点字にはない点で構成されています。例えば、アルファベットの「A」は、2,3,4,5,6のいつつの点でコード化されます。
 小学校時代は、私は本を読むことが何よりも好きでした。カーウッズ、ベーネ、ジャック・ロンドンなどの作家による作品を点字で読みました。私はかわいい女の子が主人公になっている本よりも、インディアンに関する本に興味を持ちました。おそらく、私はお転婆な女の子で、先生を手こずらす生徒だったからかもしれません。
 十代になると、何冊もの点字で書かれた小説を読みました。例えば、「風と共に去りぬ」は、20冊にわたる点字本で、「戦争と平和」は、22冊の点字本で読みました。通読中は、小説の登場人物から離れることが嫌で、なるべく早く本に戻りたかったのです。授業中でも、こっそりと先生に気が付かれないように、点字本を膝に置きながら読んだものです。また夜も、寝室に本をそっと持ちこみ、先生が部屋の明かりを消した後も、こっそり寝床で読んでいました。

 母親になると、子供たちに毎晩本を読んで聞かせました。消灯したままでしたので部屋は暗く、子供たちは絵や電気に気が散ることもなかったので、すぐに寝入ったものです。図書館員として働いていた時は、子供にすでに読んであげた本がいかに多かったかに驚いたものです。学生時代は、図書館に閉じ込められたらいいのになあと夢見たものです。その当時は、本の貸し出しが一週間に一回だけだったので。図書館員としては制限なく本が読めました。本の内容を知ることが任務の一部でありましたから。
 もちろん、最新技術を利用して、お気に入りの俳優による吹込みのオーディオブックなども聞きますが、私にとっては、点字本が一番です。人によって、何の媒体を好むかは異なります。視覚媒体を好む人もいれば、聴覚媒体を好む人もいます。私は、物事を覚えなければいけない時は、点字を使い、小説や話は耳で聞きます。科学的な論文や外国語の場合は、点字がいいです。

 点字でコンピューター表示ができるようになると非常にありがたいなあと思っています。視覚障碍者として、聴覚に頼ってだけでは、学べないことがあるからです。現時点では、数字の4を表示したいときに、キーボードのDをたたきます。
 点字のおかげで、私の自立性が高まったと強く信じています。点字のラベルにより、薬も識別できますし、メモを取ったり、誰も読めませんから、銀行口座番号を控えるのに秘密のコードを使ったりします。

 会議では、点字時計で時間をチェックできます。点字なしの生活など考えられません。点字が存在しなかったら、学校を卒業し、面白い仕事に就くこともできません。大学在学中、コンピューターを持っていなかったので、点字でノートを取り、省略点字(Braille contractions−2級点字)を使いました。私の国で、省略点字が一般的に使われていないのは残念です。

 ポーランド視覚障害協会で勤務中、ルイ・ブライユと出会いました。その時、彼の伝記を読み、彼は私の親友となったのです。私の末の子のマルゴシアが1999年1月4日に生まれた時に、私たちの友情はさらに深まりました。というのもその日が彼の生後190年にあたったからです。マルゴシアが生後5ヶ月の時に、図書館に職場復帰しましました。職場に彼女を一緒に連れていき、図書館スタッフが彼女を本用のワゴンに入れて押してくれました。少し大きくなってからは、マルゴシアは本棚の間でかくれんぼをしたり、視覚障碍者の人を点字本のある場所に案内するようになりました。

 私の子供は、私の障害のことを小さいころから理解していました。写真を見せたい時は、私の手を写真の上に置き、説明してくれました。ある日、娘が私の手を取って窓ガラスの上に置き、「お母さん、見て。赤ちゃんが泣いているの」といいました。窓の近くに立つと、実際赤ん坊の泣き声が聞こえました。

 子供たちは成人しましたが、私には点字本が必要だったということを覚えており、本がない場合は、それに気が付いてくれます。本を読むことは私の楽しみですから、勧められなくてもいいのですが。
 博物館、エレベーター、事務所などいろいろな公共の場所で点字があることをありがたく思います。エルサレムの教会で主への祈りを点字で読んだことを決して忘れないでしょう。私にとって非常に特別な経験でした。
 健常者のように私たちが健康的な生活を送るために、素晴らしい筆記手段を与えてくれたルイ・ブライユに感謝します。点字のおかげで、自分たちのためだけでなく他人に役立つことを学び、働くことができます。教育を受けた視覚障碍者は、自立していることを誇りに思います。何といっても他人のお荷物ではないのですから。