海外の部 ABU地域 ジュニア・グループ 佳作
視覚障害者の人権を主張する―誰がどのように
レバノン     モハメド・ナカシュ(24歳・男性) 
1. 障害とは
 一般的に、障害とは、永続的な能力の欠落を意味するものと考えられています。失明、聴覚や言語障害などがその例で、障害と呼ばれることもあれば、要特別支援のレッテルを貼られることもあります。国際社会や地域市民社会による様々な取り組みや、障害者の権利擁護や支援を求める運動がなされているにも拘らず、障害者はしばしば疎外されたり、隔離されたりして、孤立してしまうことさえあります。

2. 障害者の権利を主張するには
 障害は、人間が持つ能力や決心を奪うことはできません。ですから、私たちはあらゆる分野において、障害者が自らの能力を発揮することができるように、その人権を強化し、根付かせることに取り組むべきです。視覚の障害を主に持っている人は、まず、レバノンの教育制度に加えて、社会福祉省によるサービスや制度をチェックしなければなりません。そうして初めて、親や地域組織と協働して、自らの権利を主張することができます。そうすれば、権利の獲得と社会統合への道が開け、潜在能力を開花させて、自分自身を確立できるようになります。

3. 視覚障害者が直面する問題
 視覚障害者は既に、辛い経験を十分にしてきています。それには多くの理由があります。役立たずと思われ、自らが属すべき社会の一員と見なされないこともその一つです。先入観のない客観的な観点で見れば、視覚障害者も多くの物事を行うことが可能なことは誰の眼にも明らかなのですが、人は慈悲や憐れみで曇ったメガネ越しに視覚障害者を見ているので、視覚障害者は、社会の偏見というピラニアで一杯になった小さな池の中に置き去りにされているのです。これらの偏見は、第一印象や「障害者は怠け者で、自分自身の能力に目を向けていない」という外からの見方によって、増幅されます。視覚障害者の社会参加を阻むもう一つの大きな問題は、必要な設備や機器がこの国ではまだ手に入らないことです。
まず、道路に十分な設備が整っておらず、視覚障害者が通行するには明らかに不適格です。道路横断のタイミングを教えてくれない信号については、言うまでもありません。3つ目の大きな問題は、公共交通サービスの設備不足のため、視覚障害者の安全が確保されないことです。それでもまだ足りないというのか、視覚障害者には、さらに、よい学校に入学することが実際上できないなどの教育に関する問題もあります。確かに障害者のニーズに対応する努力をしている学校も少しはありますが、残念ながら個別の取り組みにとどまっており、私たちに課せられた現実を揺るがすまでには至っていません。まさにそのために、私たちは自らが希望するレベルに到達することができないでいるのです。

4. 社会福祉省による視覚障害者向けの施策
 社会福祉省は視覚障害者に関係した省で、以下の施策を行っています。 (1) 障害者の問題やニーズに耳を傾け、適切なやり方で解決しようとしています。 (2) 視覚障害者カードを発行します。このカードは、身分証明に使うこともできますが、障害者のニーズのいくつかを満たすために用いることができます。例えばこのカードを所持していれば、(3) 生活上必要な訓練を受けることができ、 (4) 市町村税などの税金を免除され、(5) 自動車を購入した際の車両登録料の支払いを免除され、また(6) 駐車場所を容易に見つけることができます。しかし、社会福祉省は視覚障害者の就労支援を行っていないので、(障害者の権利に関する)2000年制定の法律第220号は死んだも同然です。また、全ての組織の職員の3%は視覚障害者でなければならないとの条項があるにもかかわらず、それが実現したことはなく、雇用者はその影響を少しも受けていません。さらに、社会福祉省は、視覚障害者への適切な対応について、雇用者に研修を行うことになっていますが、それも実施されていません。そのため、障害者のニーズや能力に合った仕事が提供されないので、障害者の就労はますます難しく、可能性が縮小しており、また、提案された仕事を拒否するケースも出てきています。

5. 障害者の統合教育
 教育は基本的ニーズであり、社会的地位や収入の多寡、生活状況や障害のあるなしに拘らず、全ての人がアクセスできるものでなければなりません。視覚障害者のある生徒が学校に行けるようになり、他の生徒と同じように勉強できるようになって初めて、統合についての議論を行うことができます。統合教育に関しては、まず、NGOや親の主導で、学校の管理職や教師の意識づけを行うべきでしょう。次に、クラスの他の生徒やその親たちに、視覚障害のある生徒がクラスにいることを意識させ、受入れ方の指導を行います。そうすれば、次の段階として、教室へのアクセスを容易にする適切な階段や特殊技術設備などの必要な設備を要求することができるようになります。教育省は、学校での障害者統合教育を可能とする取り組みをしており、現在も継続中ですが、完全に効果を上げているわけではありません。従って、保護者組織との協働による個別の取り組みによって、ある程度の統合教育を実施している学校が存在してはいますが、私たちの希望の全てが実現しているわけではなく、希望するレベルに到達しているわけでもないことは確かです。これは、レバノンの全ての学校に必要な設備を整えるだけの資金がないことや、適切な教材を入手するのが困難なことによります。大学に関しては、視覚障害のある学生の受け入れにはまだ消極的で、適切な対応方法もわからないという状態です。

6. 障害者の権利と主張の仕方
 2000年にレバノンで制定された法律第220号や2006年に採択された障害者の権利条約に記されているとおり、視覚障害者には多くの権利があります。障害者の権利条約は、視覚障害者がその権利を享受できるようにするために調印された国際協定です。また、この条約によれば、親や市民団体を通じて、もしくは障害者自身が権利の主張を行うことができます。
市民団体は、法律第220号について学び、その法律をレバノンの法体系に合わせるための修正を行うことなどを目的とするセミナーを開催することによって、障害者の権利を要求します。さらに、関係閣僚をセミナーに招いて、障害者の声を直接聴いてもらうこともあります。権利要求のためのデモを実行することもあれば、視覚障害者に権利について学ぶ機会を与え、自ら権利の主張を行うように働きかけることもあります。
 視覚障害者の親の肩には重い責任が課せられているといっても過言ではないでしょう。できる限りの権利を勝ち取るために、あらゆる手段を用いて、子どものために必死で戦い、また、政府と協働して、前述の条約に規定されたすべての法律の全面的な施行を目指すべきです。というのも、結局、子どもは、毎日顔を合わせ、自分の悩みもニーズも能力も全てわかってくれている親を愛しているからです。とは言え、権利の要求において、視覚障害者自身が果たすべき役割を軽んじることはできません。自分が欲しいもの、必要とするものが何かを知っているのは、他の誰でもなく自分自身です。従って、自分自身が先頭に立って、最後の1つまで、全ての権利を獲得するために戦うべきです。

結論
 障害者は、他の人間同様、自らの権利を持った人間です。他の人とは少し違ったところがあるかもしれませんが、社会的価値や人間的価値に全く変わりはありません。従って、この考えに立てば、視覚障害者にも他の人間と全く同じ権利が与えられていると言ってよいでしょう。そして、権利を主張する唯一の方法は、社会生活で直面する問題を十分に検討し、障害者に直接関連していて、障害者の社会における価値を向上させる術を指導してくれる省の状況を注視することでしょう。これは、親や市民団体と共同で行わなければなりません。それでも最後に一つ疑問が残ります。レバノンの現在の法律や法体系は、視覚障害者が権利を享受し、社会への統合を達成して、自己実現を可能にするのに、十分であると言えるのでしょうか。