国内の部 成人の部 佳作
「平等なチャンス」
東京都  石田由香理(いしだ ゆかり) 大学生 (22歳・女性)
 私は1歳半から大学に入学するまで、ずっと日本の盲学校で教育を受けてきました。点字の教科書に沿って毎日授業があるのはあたりまえで、時には全国模試などを通して学習の到達度を知ることもできました。そのような状況下でさえ、高校3年のある日、母親は私に向かって、「あんたは目が見えんのやから、どうせろくな就職先無いんやから、高い金使っていい大学行っていったい何になる。会社は一流大学を出た全盲より、名も無い大学出でいいから弱視のほうを採用するんや。お前が思ってる以上に障害者って邪魔なんや」と言いました。それまで18年近く私を育ててきた親が、私の可能性を信じてはいなかったこと、私の未来を、そして存在を否定された経験は、5年たった今でも忘れることはできません。
 2年前の夏、フィリピンのデュマゲッティ市にある盲学校を訪れた私は、保育所のような雰囲気に愕然としました。5歳から14歳までの生徒に対して教員はたった一人、視力も学力も異なる子どもたちは、能力に合った教育を受けることもなく、ただ歌を歌い、手遊びをして1日を過ごしていました。英語が公用語であるはずの国なのに、14歳の生徒は簡単な英単語のスペルさえ知りません。生徒たちの半分が幼いころ、役に立たないからという理由で親に捨てられ、教会で育ってきた子どもたちです。教員のスキル向上に一役買えたらなどと想像していたため、この場所でいったい何ができるのかと呆然としました。
 親も教員も、子どもたちの能力や可能性を認めず、手間のかかる無力な存在として子どもたちに接します。とくに全盲の子どもたちは、一人で歩き回るなと言われ、壊すと困るから何にも触るなと言われ、誰かが声をかけたり物を与えたりするまで、ただじっと座っているだけなのです。そんな大人たちの対応を見て、私は言いようのない怒りを覚えました。子どもたちから好奇心や経験のチャンスを奪っているのは彼らなのに、何もできない手のかかる存在に育てているのは彼らなのに。
 邪魔者呼ばわりされている子どもたちと、高校生の時の自分の状況が重なります。なぜ、どうして周囲は、やってもみないうちから、視覚障害児の可能性を否定し、努力する機会を奪おうとするのでしょう?私はこの子どもたちを信じたい、今からでも学べる、人生を取り返せると信じたい、そう強く思いました。
 その夜から、寝ることも忘れて教材を準備しました。フェルトのコインを使って1桁の足し算・引き算を教え、点字を読む前に指で正しく線を辿る練習をするため、紙に毛糸を貼り付けて迷路を作りました。生徒たちは最初こそ新しい体験を怖がったものの、初めて自分たちに積極的に話しかけ、何かを教えようとする私の存在を次第に受け入れ、渡される新たな物に興味を示すようになって行きました。1週間たつころには、彼らの多くが、1桁の足し算・引き算を習得しました。誰かが本気になって教え方を工夫し、個人のニーズやレベルに合った指導をしていれば、彼らは公用語の書き方も知らずに14年間を過ごすことはなかったはずです。
 点字の読み書きや歩行訓練、日常生活スキルなど、私が生徒たちに伝えたいことはいくらでもありました。しかし、英語しか話せず、現地の人々が使うビザヤ語を理解できない私は、生徒たちとのコミュニケーションに限界がありました。そして、親や教員からは、短期間では私が行っていることに対する理解と協力を得られなかったのです。現地の言葉を話せたら、もっと長く滞在できれば、もっとたくさんの人に出会えればと、多くの心残りとともに帰国しました。
 人は生まれる国や家を選ぶことはできません。それなのに、同じ視覚障害者なのに、生まれた国によってこれほどにも得られるチャンスに差がある現状を、他人事だからと見過ごすことができるでしょうか。私たちの今の生活も、障害者の権利を主張し、行動範囲を広げようとした多くの先輩方の苦労の上に成り立っています。先輩方が作り上げてきた居心地のいい環境に甘えるだけでなく、今の時代を生きる私たちは、その歩みを周辺国へ伝えて行くべきなのではないでしょうか。私は、現地に出向いて、視覚障害者の行動範囲を広げ、教育環境を整えていきたいのです。全ての国の視覚障害者が平等なチャンスを掴めるよう、「自分の可能性を信じて努力できる」環境を実現させたいのです。