国内の部 成人の部 優秀賞
「マーガレット」
鹿児島市 窪田 雅枝(くぼた まさえ) 主婦 (65歳・女性)
 今朝も、わくわくした気分でガスこんろの前に立った。氷水で冷やした左手の指先が、右手のはしと協力しあって厚い卵を巻いていく。それを何回かくりかえしてできあがった卵焼きは、今までの中で最高の仕上がりだった。「上手にできているよ。」と、テーブルの向こうから褒め言葉がかかる。心の中で花束を、それも私の一番好きな白いマーガレットの花束を受け取った。
 たかが卵焼きかもしれないが、ここに至るまでには、いろいろな試行錯誤があった。表面積が広い方がやりやすいだろうと、まずフライパンの中で巻いてみたが、何度やってもうまくいかなかった。次にスクランブルで半熟状態になった卵を竹のへらで片方に寄せ、それをひっくりがえしてもう片面を焼くことを思いついたものの、これもなかなか思うように形にはできなかった。そして、卵焼き器の幅にぴったりのフライ返しに出合えて喜んだのもつかの間、そのフライ返しの先端がどこに触れているか、指先に伝わってこず、これも使うのをあきらめた。
 そこで改めて気がついた。神経のかよっていない道具は、私のほしい情報を伝えてはくれない。ならば、神経のかよっている指先を使い、熱ければ冷やせばいいという図式ができあがり、それ以来卵焼き作りは、心を弾ませてくれることのひとつとなった。
 心の中で白く揺れるマーガレットの、ちょっぴり青い草花の香りを楽しんでいるうちに、これより大きな花束を受け取ったことを思い出した。
 光沢があり、とてもきれいな色だと聞かされて、さっそくワンピース作りに取りかかった。が、予想以上に伸びて重たい、とても扱いにくい生地だった。
 やっとの思いで縫い上げて、うきうきした気分で腕を通してみれば、ウエストのラインは2センチほどもずり下がり、すそ線はジグザグだった。何日もかけて縫い直し、どうにかそれらしく仕上がった服に褒め言葉をかけてもらうと、あきらめずにやりとげた喜びと感謝の気持ちがわきあがってくるのを、しみじみと感じた。
 手縫いに挑戦しはじめてから、およそ常識では考えられぬような手順や縫い方を考えだして1枚ずつ縫ってきた。
 こうして指先を目にして、いろいろなことに活用し始めたのは、6年ほど前に出合った点字が大きなきっかけだった。まさに、触って読む点字は、指先で感じ取る深さのようなものを認識させてくれた。そして、その点字に出合うまでの、長い長い道のりをも思いおこさせた。
 視覚に対する違和感を、最初に覚えたのは4歳のころだった。昼間でも床や畳に置いてあるものにしょっちゅうぶつかり、夜間、近所の子供たち7、8人で出かけた時も、未舗装の道路でつまずいては何度も転んだ。そして、転ぶのは1人であることに気付き、それが見えないことに起因していることを、本能的に悟った。
 小学校へ入学しても、当時は視力検査などなく、目に感じてはうやむやなままだった。教室でも、遊びでも皆と同じようには行動できないことも多く、その度に子供特有の残酷な言葉を耳にしていた。そして家庭でも何か失敗すると、そしゃくされずに出てくる身内の者の言葉も大小の刃(やいば)を抱えていて、それらは私の心の奥底へ沈んでは積み重ねられていった。そして、それに呼応するかのように、自分以外の存在に対して、徐々に心の扉を閉ざしていった。そんな中で、医学的な病名と自分の視力のデータを知り、暗然とした気分に陥ったのは、18歳の夏だった。
 治療法のない難病は徐々に進行していき、大人の世界でも消えることのない誤解や心ない言葉に、私は心の扉をますます硬く閉ざしていった。
 やがて墨字の世界を失い、一人で外出できなくなっても、状況を受け入れきれずにいた私の点字教室へ向かう足取りは、けっして軽くはなかった。しかし、触読を習得できたことは、努力は結果につながることを再確認させてくれた。新たな文字を得たことで自信ができ、それに押されて新しい世界へ移り住むことができた。
 それからは点字をフルに活用し、料理に洋裁に指先をめいっぱい働かせ、そして簡単に結べるように考えだせて仕立てた帯を巻いて、着物姿であちこちへ出かけるようになった。すると、そんな私から元気をもらったと、口々に言われるようになった。人とのためには何の役にも立てないと思っていた私には、思いもかけぬ言葉であり、そして驚きでもあった。
 ノックするかのような、そんな言葉に少しずつ心の扉を開けられるようになったのは、点字の力によるところが大きいことを思えば、改めて点字に出合えたことへの感謝の気持ちがしみじみとわきあがってくる。
 そんな点字には花束でなく、大きな鉢植えを、それも白いマーガレットの鉢植えを贈り、私も受け取る花束の数を増やせるように、指先をいたわりながら、これからもいろいろなことに挑戦し続けていきたいと思っている。