国内の部 最優秀オーツキ賞
「花は見えなくても」
東京都 五味嘉信(ごみ よしのぶ) 鍼灸マッサージ師 (44歳・男性)

 今年の桜の開花は遅く、東京で入学シーズンに満開の季節を迎えたのは久しぶりのことだった。4月の最初の週末は、まだ風が冷たく、肌寒くさえあったが、週明けのその日は違っていた。企業内のマッサージの仕事を終えて屋外に出ると、外気は暖かく、春風が心地よく感じた。JR蒲田駅に向かい歩き、電車に揺られて自宅の最寄り駅を降りても、まだ外は明るく、このまま帰るのはもったいない気がした。どこか散歩して帰ろう、頭に浮かんだのはT病院の桜並木だった。6年前までその近くに住んでいて、開花の時期には、5階の窓からピンク色の帯がボンヤリと見えていたものだった。
 駅から途中にある郵便局まで点字ブロックが敷設されていて、そこから2分程度遊歩道を歩けばその桜並木の入口に行くことができる。頭に地図を描いて、郵便局まで歩き、さらに遊歩道の入口まで歩いた。そして角にある自動販売機に近づいた。歩きながら、前に買ったことのあるこの自動販売機を思い出し、缶コーヒーを買おうと決めていたのだ。
 白杖を脇に抱え、財布から100円を取り出して、極端に目を自販機に近づける。しかし明暗がわかる程度の視力では種類まで見ることはできない。仕方なく近くを通る人に声をかけてみたが、タイミングが遅いのか、声が小さくて気付かれないのか、何人か素通りされてしまった。人通りは多いのだが、みな足早に去って行ってしまった。点字でも貼ってくれていればわかるのに、と思ったりしたが、ない物は仕方がない。と、そこへ「どうしました?」と少し離れた所から男性の声が近づいてきた。一度通り過ぎて戻ってきてくれたようだった。すんなりと買えなかった分、とても有難く嬉しい気持ちになった。
 やっと買うことができたコーヒーを握り、遊歩道を100メートルほど歩くと右手に桜並木の入口に着いた。遊歩道から階段を上がり、小道を少し歩いて左に曲がれば50メートルほどの桜並木が続いている。小道の脇の低いブロック塀の上に腰をかけ、温かいコーヒーをのみ一息ついた。桜並木を通る人たちの足音や会話が行ったり来たりしている。
 「もう散り始めているのねー! 早いわね。」年配女性たちの会話が聞こえる。英語で会話する男女が遊歩道から階段を上がってきて、すぐ前を横切って行く。ヒールの音が後ろ方向から近づいて来たかと思うと、私の横でピタっと止まった。ゴソゴソとカバンの中を探ってチリンチリンと鈴の音がしてすぐに「カシャ!」と音が鳴った。携帯で桜並木を撮影したようだった。ヒールの音が並木道の奥に遠ざかっていく。鳥のさえずりが聞こえる。空が暗くなり、桜並木に蛍光灯がポツポツとつき始める……。
 そろそろ帰ろうか、でも並木道も歩きたい。今の視力では夜桜を楽しむことはできないかもしれない。でも見えなくてもいいじゃないか! 見えなくても、どう見えるのか試してみることが大事じゃないかと思った。視力が落ちて、できないことも増えてきたけれど、最初から見えないだろうと諦めるのは悔しいし、何よりつまらないと思った。そして並木道の奥にある病院の建物に向かって、真っ直ぐ歩いてみた。並木道の終わりにある駐車場の所で引き返し、歩きながら見上げてみると、蛍光灯が白く光っているだけで、やはり花は見えなかった。見えずに残念だったけれど、どんな風に見えたかは実感できて、達成感ですがすがしい気持ちになった。
 桜並木の入口に戻って、遊歩道に出るところで、年配の男性が、「階段だから、足元に気をつけて!」と。声をかけてくれた。そしてお礼を言いながら、遊歩道に降りて、来た道を戻って行った。
 自宅マンションに着いて、エレベーター待ちをしていると、後から来た女性に挨拶をした。「こんばんは」とこちらが声をかけると、「今日は暑いくらいですねー!」とすぐに笑顔で返してくれた。笑顔は見えなくても、声の調子で感じることはできる。花は見えなくても、映像を想像することはできるし、花見の雰囲気を感じることもできる。それに日常生活から少し抜け出る面白さもある。それは見える見えないは関係なく、生活を楽しむ気持ちがあるか否かの問題なのだろうと思う。
 思いつきの散歩だったが、良い散歩だったな。自宅のドアの前の空はすっかり暗くなっていたが、夜風が気持ちよく吹いていた。