■ 国内の部 優秀賞
「白い黒板」  新潟県 栗川治
 50歳・男性 (教員)

  点字教科書とかばんを左手に抱え、右手には白杖(はくじょう)を持って社会科教室に入って行く。生徒たちが「おはようございます」と言いながら集まって来た。係の男子が天井から垂れ下がっている鎖を引っ張ってスクリーンを降ろす。係の女子は教卓の脇にあるワゴンを押して定位置に固定し、その上に載っているプロジェクターのスイッチを入れた。別の女子に「よろしくね」と言って出席簿を渡すと、ちょうど始業のチャイムが鳴った。「さあ、始めましょう」。起立の号令が掛かり、「オネガイシマース」と元気な声が響く。名簿に指を走らせながら、生徒の名前を呼び出欠を確認する。ノートパソコンのふたを開けるとモーターがうなり出し、「議院内閣制」と音声を発し、スクリーンにその文字が浮かび上がる。
 「今日はイギリスの政治のしくみを勉強します。この図を見て下さい」と、私はカーソルを動かして画像が映るようにする。「先生、なんだかぼやけていて、よく見えません」と声が掛かる。
 今年から私は、板書の電子化に取り組んでいる。黒板に文字や図を書き示す板書を、パソコンを利用して行おうという試みだ。音声ワープロで授業の要点を書き、重要用語は色を変えて強調する。そうやってあらかじめ作っておいた板書データをスクリーンに映写することが、前回まではうまくいっていた。この日、初めて資料集から英国の議会と内閣の関係を示す図をスキャナーで取り込んで、それを生徒に見せようと張り切っていた矢先のつまずきだった。私が少し落胆していると、「図だけじゃなくほかの字もぼやけて読めませーん」と追い討ちがかかる。これでは授業にならない。昨年まで使っていた大洋紙を引っ張り出すしかないか。
 これまで私は板書事項を模造紙(新潟ではこれを「たいようし」と呼ぶ)に書いてもらい授業で利用してきた。原案を私がワープロで作成し、それをアシスタント教員が大洋紙に拡大文字で書き写す。更に同じ内容の文字列を私が点字シールに書き、文字を指し示せるように、その脇に張り付けて完成である。この作業には多大な労力と時間が掛かっていた。それを一気に解消し、私自身が自在に板書を操れるようにするのが今年の目標であった。
 メカに強い男子が「ピントが合っていないみたいだ」とワゴンに近づき、レンズを回す。「やったあ」と一斉に歓声が上がり拍手が起こった。スクリーンにくっきりと文字と図が映し出されたのだ。「先生、よかったね」と最前列の女子がほっとして言う。「ありがとう」と私は答えて涙ぐんでしまった。
 27歳の夏、私の視力は急激に低下していった。黒板にチョークで書いた文字が見えず、勘で書くと文字が重なったりした。いったん盲学校に転勤し、5年後に普通高校に戻ることになった。その高校の校長から私に「受け入れに関して予想される問題点」と題する質問状が届いた。その中には「大量の情報を整理するための広い黒板をどのように活用し、生徒にノートをとらせるか」というものがあった。大量とか広いという言葉には、その校長の懸念と抵抗感が表れていると思ったが、私は返って闘志がわいてきた。「構造的な板書をするための工夫はいろいろ出来ます」と、語句カードを磁石で張るなどの方法を示して回答した。それと同時に、地域の拡大写本と点訳のボランティアグループに依頼し、とりあえず指導書にある板書案をそのまま大洋紙に書き写してもらい、点字シールを張り付けてもらって授業に備えた。
 視覚障碍(ガイ)を持ってから初めて立つ普通高校の教壇。目の見えない人がどうやって授業するのだろうかと、生徒たちは不安と興味を持って迎えてくれた。私は自らの経歴や障碍について話し、「人は誰でも得意な事と苦手な事があります。出来ることは精いっぱいやって、出来ないことは人に補い助けてもらう、それが人間社会です。僕も一生懸命やりますから、皆さんも自分の良さを生かし、協力して下さい」と訴えた。出席簿をつける係、大洋紙を張る係を募ると多くの生徒が引き受けてくれた。
 当初、黒板に磁石が使えないといううわさがあったので、大洋紙は毎回セロテープで張った。1学期も後半に入ったころ、念のため実験をしてみると、磁石が黒板に吸い付くではないか。パチンという音と共に大洋紙が磁石で黒板に止まった。生徒たちは笑いながら拍手をし、「私たちの今までの苦労は何だったんだろうね」と口々に言う。「うわさや先入観にとらわれては、科学的な認識はできません。実証が大切です」と私がまじめくさって言うと、生徒はニヤニヤしていたようだ。
 生徒たちや多くの方々に支えられて教師を続けてくることが出来た。感謝の気持ちをエネルギーにして、これからも黒板の前に立ち、人間教育に微力を尽くしていきたい。 
(くりかわ おさむ)

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