■海外の部 ABU地域 佳作
(シニア・グループ) 
「視覚障害教育で国がなすべきことは?」 スリランカ ビボネック・マラシンジ 57歳・女性

 学校教育の目的と目標は、子どもたちに障害があるかどうかに関係なく同じである。視覚障害児も例外ではない。しかしながら、彼らには特有のニーズがあり、質の高い教育を提供するには、そのニーズが満たされなければならない。
 私は4歳で視力を完全に失った。それから数え切れないほどの困難を乗り越えてきた結果、現在の私がある。それは、寄宿設備のある盲学校での教育がきっかけだったのである。そのお陰で私は教育省で職を得ることが出来、満足する人生を送っている。両親は、視覚障害について何の知識もなかったが、直感的に何が私に一番良いのか理解してくれて実行した。私は障害のない兄弟姉妹7人と共に自由に生活していたが、寄宿設備のある盲学校に進むことになった。そこで、普通教科に加えて、自立のための技術と社会生活に必要な技術を教えられた。実社会に出たときには十分な知識を身につけており、自尊心も高かった。私はいまだに学校時代のことを大切に思っている。
 時がたつにつれ、寄宿学校は統合教育に道を譲り、それに続くサラマンカ宣言の採択により、視覚障害のある子どもにとってメーンストリームが最も良い教育形態だと考えられるようになってきた。メーンストリーム教育またはインクルーシブ教育の根拠は、障害があってもなくても、私たちは同じ社会で生きているのだから、なぜ障害のある子どもたちが別に教育を受けなければならないのかという考え方である。それはすぐれた理論である。さらに、わが国のように開発途上国にとって、それはなんと実質的な考え方だろうか。思うに、適切な設備・人材・配慮がないメーンストリーム校で一番被害を受けるのは視覚障害者である。開発途上国であるわが国は、晴眼児たちの教育資源さえも不足している。そのような状況で視覚障害児たちの教育に必要な物理的・人的資源を期待できようか。私は競争社会で取り残されている多くの視覚障害学生を知っている。
 単にメーンストリーム校に入学するだけでは、質の高い教育を受けることは出来ない。視覚障害児のニーズを満たすために、学校は点字に精通し、教育的なソフトウエアを使いこなす専門技術を持ち、個別学習プランを進んで行うような教師が必要である。視覚障害学生にはスクリーンリーダーのついたコンピューターが不可欠であり、音声ソフトと点字ソフトがあればさらに進展することになるだろう。もし、点字を活字や音声に変換でき、その逆に活字や音声を点訳する電子機器があればさらによい。そのような資源が手に入るまで視覚障害児たちにとって学校生活は困難なものであろう。辛抱強く勇気のあるものが成功する。
 もちろん、私たちはスリランカがすべての子どもに質の高い教育を与えられるユートピアになるまで待てない。私たちは今持っているものを活用しなければならない。私は個人的な経験から、視覚障害者に必要な専門教育およびクラスメートとのコミュニケーション・社会生活などを含む初等教育こそは寄宿設備のある盲学校で行うべきだと、強く信じている。国にとってもその方が経費がかからない。視覚障害児は誰でも盲学校に通うことが出来る。そして資源は盲学校とメーンストリーム校とで共有できる。盲学校は1クラスの人数も多くなく、障害補償機器は身近にあり、専門知識を持つ教師がそばにいる。さらにスポーツ用品や訓練方法も専用のものがある。メーンストリーム校の視覚障害児は基本的な権利であるにもかかわらずスポーツ活動に参加する機会がほとんどないか、あってもごくわずかである。視覚障害児は自分の状態に順応できさえすれば、自立のための技術を習得し、中学校の段階ではメーンストリーム校に入ることが可能である。カリキュラム作成者が意図したように視覚障害児は教育から果実を得ることが出来ると確信する。
 私は盲学校でリーダーシップを発揮する機会が多くあった。盲学校の仲間の前で自分が良く知っていることをするのは恥ずかしくなかった。しかし、盲学校でなくメーンストリーム校に行っていたら、多少不安を感じただろう。不安感は私の人格形成の中でマイナスの影響を与えたと思う。それが、視覚障害児は、初期の人格形成期に盲学校で教育を受けるべきだと提案する理由である。盲学校での生活は自信を与え、自分の価値を自覚するチャンスを与えてくれる。自分の自尊心が確立されれば、子どもはメーンストリーム校でも容易にやっていくことが出来る。
 ほとんどの親は、子どもを支援すれば、その子の可能性を最大限に伸ばすことができることに気がついていない。教育は重要な役割を果たす。それだけに私たちは村落レベルでの啓発プログラムを行わなければならない。メーンストリーム校は、視覚障害のある子どもを理解するような研修プログラムに参加することが必要である。子どもを理解した上で態度を変えることは常に大歓迎である。
 最後に私から小さな願いを一つ。すべての視覚障害児が良い教育を受けることが出来、人生で成功することを。

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