■海外の部 西アジア中東地域 Aグループ(26才以上) 佳作
「私の人生を変えた点字」
カディール・クブタン 62才 (ヨルダン 男性)
 
 私はあまりにも長く生き過ぎたかもしれない
 ああ、そうかもしれない
 私は分別なく大きな期待を膨らませ過ぎたかもしれない
 ああ、そうかもしれない
 私はこの二つの過ちを同時に犯してしまったかもしれない
 ああ、そうかもしれない
 だが、今まで、いかなる場合においても、ルイ・ブライユに対して感謝の念を忘れたことは決してなかった

 小さな指先で点字の文章をなぞると私の知識が豊かになる、そんな幸せの時代が私にもありました。小さな指先を通して私の理性や感情が豊かになり、点筆がそれを書き取り、幼い詩が生まれ、課題の作文にインスピレーションがわき、思春期によくあるように考えにふけり瞑想(めいそう)する、そんな幸せの時代が私にもありました。点字は常に救いでした。記憶に残る思い出は何と甘美なのでしょうか。
 そのころ、私はありとあらゆる種類の出版物を読んだものでした。一般書、雑誌、小説、選集、科学書、心理学書、哲学書、歴史書。その多くは10歳や12歳の少年が読むには難しい作品でした。知識欲はますます刺激され、入ってくる情報はとどまるところを知りませんでした。
 王立盲人図書館と学生図書館とハドレイ盲学校は、私が幅広い知識を得た源でした。これらの図書館にどんなに感謝していることか。私はフランス語、スペイン語、ドイツ語、ヘブライ語を学び始めましたが、これらの言語の点字書の不足など、多くの理由で、十分に勉強することはできませんでした。
 その後、点字が私を救済できない時期がやって来ました。個人的な理由から、私はシリアのダマスカス大学で法律を学びました。私としては、法律の代わりに科学を学びたかったのですが、その選択肢は完全に閉め出されてしまいました。点字は法学生である私を救えず、弁護士、法律相談員、企画部長になっても、それは変わりませんでした。英国でも状況は余り変わりませんでした。科学経済の勉強をした時も、点字はまだ私を手助けする体勢が整っていませんでした。でも、録音は点字のような喜びを決して与えてはくれません。
 読書とは、教養と関係が深い真に人間的な行為です。私の母国語であるアラビア語では、点字の専門書を入手することは非常に困難です。点字の出版物はほとんどなく、たとえあったとしても、高価すぎて手に入りません。私は言葉に言い表せないほど差し迫って点字書が必要です。法律書や定期刊行物に加え、アラブ・イスラム文化の黄金時代に書かれた書物は私の手の届かないところにあります。毎日の新聞や一般誌ですら手に入りません。非常に悲しいことに、王立盲人図書館と学生図書館の両方は私に本の貸出を中止しました。ハドレイ盲学校は生徒数の少ない通信教育コースに方針を変えてしまいました。
 もうたくさんです! 文化的、芸術的、専門的な分野に精通する機会を逃しながら長いこと暮したくありません。私という器は半分満たされ、その半分は尊すぎて無視したり軽視したりできません。点字のお陰で今の自分に至る道が開かれてきました。それは私が達成した成果と同じように控えめな道でした。
 懐かしい想い出に戻るとしましょう。今まで、とても焦らされてきました。点字は新たな希望とチャンスをもたらしてくれます。必要なソフトをそろえた電子点字があれば、夢にも思わなかったチャンスが到来するでしょう。しかし私には到来しません。また何千人という盲人にも到来しないのです。到来の兆しは今ここまで来ているのにまだやって来ない。これはまるで禅の公案のようです。その価格に、悟りの涅槃(ねはん)も不可能だと数歩後ずさります。
 もしいつか作られたら、私は刺激的な知識の世界を必ずや隅から隅まで探求するでしょう。ブレステッド、ギボン、ホメロス、古代アラブやイスラムの哲学者や詩人たちを追い求めるでしょう。友人や近隣の人々や同胞といった兄弟たちが気付かないところで、より理解を深めるために最善を尽くすでしょう。デイリーミラー紙、オブザーバー紙、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントンポスト紙、ル・フィガロ紙、ルマニテ紙、スピーゲル紙を読みあさるでしょう。私は遺伝学に関する薄い点字書を持っているので、この心躍る分野の知識を増やすでしょう。音楽や音楽理論の知識も増やすでしょう。そうです。もちろん、自分の専門である社会政策や経営や法律の知識も深めようとするでしょう。国際貿易仲裁法や知的財産法や情報法に足を踏み入れてみてはどうでしょう。関心がある政治分析の分野の視野を広げてみてはどうでしょう。
 もし、甘い追憶のノスタルジアから白昼夢の切なる思いに、自由な連想があてもなくさまよってしまったとしたら、許して下さい。さあ、現実の世界に戻り、もうあと10年私の法律事務所で精を出して働かせて下さい、もしそれだけ多くの年月を生きるならばですが。いつの日かラップトップやモデムの助けを借りて、点字を再び読むことが出来るかもしれないでしょうから。

 私はあまりに長く生き過ぎたかもしれない
 私はあまりにも大きな期待を膨らませ過ぎたかもしれない
 私はこの二つの過ちを同時に犯してしまったかもしれない
 だが、私は今まで点字をこれほど必要に感じたことはない
 次世代の人たちに幸あれと祈る

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