■海外の部 西アジア中東地域 Aグループ(26才以上) 優秀賞 「私の人生を変えた点字」 カマル・ビール・シン 44才 (インド・男性) |
| 文字は人の人生において重要な部分を占めるようになってきています。果たして晴眼者も同じようなテーマについて書くことがあるのでしょうか。多分無いと思います。それは晴眼者にとって文字を使えるということが当たり前のことだからです。視覚障害者は晴眼者のようにはいきません。未だに視覚障害者の多くは点字を学んでいないでしょうし、また、その他の多くの視覚障害者も点字に熟達した者はほとんどいないでしょう。視覚障害者の多くは点字を活用する機会を得ていないように思います。人生において成功した私は、点字なしの生活を想像することすらできません。今回のテーマは、自伝的なタッチで私小説のように書いてほしいのだと思いますので、初めに私の人生を振り返り、郷愁に浸ってみることにします。 私の家族にとって、私が生まれたことは非常に迷惑なことでした。なぜなら、兄も生まれた時から全盲であり、すでに家族は充分な重荷を背負っていたからです。七才の時、晴眼の弟と一緒に公立学校へ入学を許可されました。その地元の公立校での一年間、私は常に好奇心や人の話や哀れみの対象であり、また、自らの抱える障害のために排除されるのではないかという切迫感にさいなまれていました。それは家庭内においても同じことでした。6人兄弟の中で私は一番言うことを聞かない、何とかして家から追い出してしまいたい迷惑な存在でした。 無学な父は寄宿学校を探し回り、首都にある2、3の養護学校を見つけました。父の目には最高に映った(そうであることが後に立証された)その中の1校に私を預けることにしました。学校の担当者は父に、前の学校で受けた初等教育を忘れ、私を再度1年生の子供たちと一緒に学ばせることを勧めました。当時、私は既に10才になっていました。年少の子どもたちと学ぶことは、ある意味において神の恵みでした。すべての教科で他の誰よりも優秀でいられましたし、またそのために余った時間の多くを点字の学習に当てられたからでした。幼な心には点字が珍しいゲームのように映っていましたので、結果として点字を敏速に、かつ正確に覚えました。 点字が私の人生を変えたと言うのは過小評価であり、点字が私の人生を方向付け、形作ったと言っても過言ではありません。学校での成績は平均をはるかに超える素晴らしいものでした。私の担任は、晴眼者の音読や録音機器に頼るのではなく、教材を点字で作ることを私に勧めました。そのお陰で、点字の教科書が不足していても、私には何の支障もありませんでした。私はずいぶんと早くから、自分で読まなければしっかりとした基礎学力を身につけることが出来ないことに気付いていました。教科書を直接自分で読むことで、語彙(ごい)のつづりや厳密な文法力、読解力や筆記能力を身につけることが出来ます。録音機器では、そのように学び得ることは出来ません。 私は英文学を専攻してより高度な学問を追及すべく、カレッジや大学相当の機関に点字のテキスト使用について嘆願しましたが、うまく伝わらなかったようでした。しかし、大陸の向こう側にある別の図書館から点字図書貸し出しの援助を得られたことは大変幸運なことでした。本は船便で送られてきましたが、船が遅れるといつものように私は点字図書を探し求めました。点字図書はかさばって巻数が多いですって? 私はそのままの点字図書が大好きです! 点字資料が手に入らなかった教科のレポートは、他と比べてすべて低い点数を取りました。私の晴眼の級友たちは、点字器と点筆を使って講義の内容を取っている姿を目にして驚き、また同時に喜びました。大多数の級友たちが健全な競争心を私に持ってくれていましたが、中には、特に成績の低い者たちで、私に対して嫉妬(しっと)心を抱く者もいました。点字のお陰で私は自立することができ、このために私は一般的なカレッジや大学生活を送ることができました。 職場以上に自立心が不可欠な場所があるでしょうか! 雇用主や同僚は、障害者自身が雇用価値のあることを立証しなければ、能力の限界のある人や障害のある人を受け入れてはくれないでしょう。私にとって、点字と自立心は、職業において同義語です。私が晴眼の生徒たちに英語を教える際には、仕事に欠かせない道具として、手元に教科書の点訳本がなければなりません。私は授業の出欠や期末テストの成績表も点字で準備しています。従って、同僚に頼る必要は全くありません。生徒たちは、晴眼の教師と私には大した違いがないことを知っています。 生徒たちの読む力と会話能力を向上させるため、教室で音読させる場合には、私は点訳された教科書に沿って絶え間なく指を動かしていきます。事前に点字でノートを用意しておくことも大変重要な意味があります。私はよく教員指導を担当しなければなりませんが、大変やり甲斐のある仕事です。その日の論題を順調に進め、主題からはずれないようにし、また、自信をもって質問に対応するためにも、例外なくその日の授業をすべて点訳します。10コマの授業で一つの論題を扱う場合でも、点訳なしで論じなければならないとしたら、私は完全に落第者となってしまうでしょう。 同様に、私が壇上で聴衆に向かって講演している時、会議で見解を述べる時、さまざまなネットワークでラジオやテレビの番組に出演する時、娯楽雑誌や定期刊行物を読むのに忙しい時、精神の糧を得るために聖典を精読することに夢中になっている時などのあらゆる場面において、私の左手の人差し指の指先はいつも打ち出された凸点を判読し、私の頭脳に合図を送ってくれています。 つい最近は、NFB-AICBの共同点字識字委員会(Joint Braille Literacy)の会員として、州レベルで開催される学生の点字の朗読や論文の全国大会の陣頭指揮を執らせてもらっています。これは、若者に熱心に興味を持って点字を学んでもらい、自信を持ってもらうことを目的としています。委員会を代表して、参加した学生たちと話し、賞状に併せて賞金を授与する瞬間に、私は最高の喜びと満足感を味合わせてもらいます。 人生のこうした多様な責務を担う時、私は点字の発案者であり、私に学問の光をもたらして下さったルイ・ブライユの恩恵を受けています。彼が発案した点字は、それ以前にあった文字に勝って広く普及しました。私は、私を点字に導いてくれ、私のようなつまらない存在のために尽くしてくださったすべての人々から恩恵を受けています。私のラップトップパソコンも、ただ点字を補っているに過ぎません。必要不可欠な点字なくして私の存在はありえないでしょう。こう申し述べることは、美辞麗句でも誇張でもありません。 |