■海外の部 アジア太平洋地域 Aグループ(26才以上) 佳作 「夢のような」 レ・バン・タン 52才 (ベトナム 男性) |
| 私は34才で妻は33才でした。私たちには2人の幼い娘がいました。上は5才で、下はまだ6カ月でした。私たちは妻の実家に住んでいました。しかし、私が失明すると、皆、私から去って行きました。なぜなら、私はもうお金を稼いでくることも幸福を運んでくることも出来ないからなのでした。私は妹と一緒に暮らすことにし、養ってもらっていました。子供たちは学校に入りました。ところが、妻が脊髄(せきずい)を損傷し、重い障害者になってしまいました。この1988年から92年までが、人生の一段階目でした。 第2段階目は、先生から点字を教えてもらった92年に始まりました。彼女と彼女の友人たちは、ヤシの葉の屋根で、竹で出来た小さい家を買う手伝いをしてくれました。93年に私たち家族はその家に移り住みました。私は点字で歌を書き、それをそらんじて、お金を稼ぎ始めました。夜は街路沿いにあるレストランで、リクエストに応えて歌ったり、友人が運転手役を買って出てくれて、宝くじを売って歩きました。一晩で300枚の宝くじを売るようにしていました。 95年に、先生が点字タイプライターの使い方を教えてくれました。その技術を持って、私は二つ目の仕事につくことができました。仕事は全盲の生徒のために点字図書を作ったり、キリスト教グループのために賛美歌の本を作ったりしました。最初、1カ月30万ドンを稼ぎましたが、99年には50万ドンに昇給しました。そして、さらに03年には70万ドンに上がりました。こうして私は、家族を養っていくために、二つの仕事に従事していました。 私は新しい家を買いました。長女は9学年の学校教育を終え、結婚して定職を見つけました。下の娘は12年生です。11年にわたり、優秀な生徒として認められ賞状を授与されました。さらに良い知らせは、妻が病気から回復し、今は主婦として働き家族の面倒を見ていることです 下の娘は、眼科医になりたいと考え、現在医科大学に入学するための準備をしています。眼科医として、彼女は地域における失明率を減らす一端を担うことが出来るようになるでしょう。 確かに、見えないことは非常に不幸な出来事だと思います。しかし、この不幸は点字を知らなければさらに深刻な状況になっていたと思うのです。 |