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私はかって、まったく目が見えなくなることは完全な暗闇の世界に閉じ込められることのように感じていました。ほんの一筋の明かりも見えないのは、どこにも行く場所がなく、人生をともに過ごす人もなく、何も楽しみがないことのように思えました。しかし、希望は確かに自分の手の届くところにあると徐々に分かるようになりました。いくつもの、ありがたく思える幸せがあるのです。そして気づかないうちに私は暗闇から抜け出して、とても明るい世界に足を踏み入れていました。神のお陰で点字と出会ったのです! それからは私には明かりが見えるのです。
点字の読み書きを教わったのは普通学校でした。自身が盲人の、特別支援教育担当の先生が教えてくれました。彼女は私に、点字を使うことで盲人も晴眼者がするのと同じように実際に書いたり読んだりできるのだと教えてくれました。そう聞いて私は勉強しようという気になりました。
目の見えるクラスメイトが目で読み、鉛筆と紙で書くことを学んでいる間に、私は「特別な」方法で同じことができると分かり、うれしく思いました。「特別な」方法、つまり指先で読み、点筆と点字用紙を挟んだ点字盤を用いて書く方法です。点のひとつひとつを、とても大事にしながら打ったので、点字学習を終えた時にはとても充実した達成感を感じました。
先生の助力によって、教科書は点字に訳してもらえました。それによって授業を前もって学習することができました。試験問題も点字に訳され、そのお陰で人に頼らず試験に臨むことができました。こうして点字を使うことで、私は高い点数を取ることができたのです。
点字のお陰で優秀生徒になれたのみならず、点字の読み書きができることで多くのドアが開かれました。私は以前大好きでいつもしていたこと―― つまり科学や歴史、文学、語学、そして聖書を読むことが再びできました。私にとって読むことは常に、娯楽、知識、知恵、感動の大きな源なのです。
私たちフィリピンの盲人は、非常に限られた点字の本しか利用できません。そのほとんどをアメリカから取り寄せなければならないからです。それでも、多くのことを知ることができ、いろんな場所へ旅行ができ、たとえ目では見えなくてもたくさんの人と会うことができるのは、点字のおかげなのです。
点字で書けるということは、自分の意見や気持ちを表現する便利な手段にもなります。点字はそのような感情理解の鍵となってきました。学生時代を振り返ると、私は人生や現実についてフィクションやエッセーを書くのに多くの時間を費やしました。しかし、私が本当に文章を書けたのは高校1年の時だと気づきました。私は地元の街の特集記事コンテストに参加するよう選ばれたのです。盲人の参加者は私だけでした。私は点字で記事を書き、先生が墨字に直してくれました。神の恵みにより、私は地区大会と全国大会に出たのです。
点字を通して友情も育みました。点字でフィリピン国内外の盲人と文通するのはとても楽しく、心の慰めにも支えにもなっています。点字の助けを借りて、私たちは時間や場所を超えた堅い友情で結ばれているのです。
大学生活は簡単ではありませんでしたが、点字がなければもっとずっと困難だったことでしょう。私はレポートを終えるために、スクリーンリーダーの入ったコンピューターを使い始めました。また、点字化されていない本を読むことができるようにスキャナーやテキスト読み上げソフトも持っていました。かといって、点字をないがしろにするようなことにはなりませんでした。事実、講義の間ノートを取るのに点字は最も便利でした。点字なしでは操作できないポータブルノートテイキング機器を使うことで、ノートを取るのが楽になりました。
実際のところ、点字は私の人生において、すばらしい神の恵みです。点字は多くの難題を克服し、盲人として多くの困難を切り抜けるのを助けてくれました。いまや、私は点字の知識と使い方を他の盲人に教えることができるという特権に感謝しています。点字を通して彼らも希望を見いだし、自分たちが本当にどれだけ幸せかに気づくことが私の願いです。点字のお陰で私たちは確かに明かりを「見る」ことができ、そして明るく楽しみな未来があるのです。 |