■ 佳作 (Aグループ − 26歳以上)

 「点字とともに立ち上がる」   インドネシア Y・トゥリ・バジオ(38歳・男性)

 それは6年生ももう終わりという日に起こりました。体育の試験で、クラスメイトの一人がボールを追いかけて、私にぶつかったのです。私は倒れて意識を失い、意識が戻った時には辺りが真っ暗で何も見えませんでした。入院中、医者はもう視力が戻らないだろうという結論を出しました。
 両親は私をクドゥスにある盲学校に入れました。盲学校は中ジャワ州にある故郷から約60キロ離れたところにありました。私は点字の読み書き、歩行、その他の日常生活動作を習得しました。最後にやっと、最終試験を受けることを許されました。その試験はあの事故のために受けられず、ずっと遅れていたものでした。私は良い成績で試験をパスし、校長先生はそのほうびとして上質の点字用紙を私に与えてくれました。
 中学に進む際、西ジャワ州のチアミスにある盲学校に進学しました。ある休暇を前に、実家に帰らないと決めました。というのも、エッセーを書く時間が欲しかったからです。それは教育省主催で、全国の盲生徒を対象にしたコンテストでした。6年生の最終試験後に与えられた上質な点字用紙がこの時とても役に立ちました。その結果が1年以上後の、中学をもうすぐ卒業しようという時に公表され、3位の125,000ルピアを受賞したと分かって大喜びしました。私にとってはとても大きな賞で、教育省のヌグロホ・ノトスサント大臣から直接小切手を受け取るという、すばらしい経験をしたのです。
 高校教育は普通学校を選びました。有名な学校だったのですが、先に得た賞金で入学金や3年間の学費を払うことができました。学費のことで両親に負担をかけなくても済み、とてもうれしかったのです。
 高校での最初の数日間、クラスメイトは私が点字でメモしたノートを見て感心しました。みんなは私がどうしてかわいい女の子の写真を指でなぞるだけで、正確に歴史の授業ノートを読み上げることができるのか知りたがりました。実は雑誌から破り取ったページの上に歴史のノートを点字で打っていたのです。
 学校のキャンプでは、トランプが大好きなゲームでした。ゲームに参加できるよう各カードに点字を打つことをクラスメイトに認めてもらいました。強かったので、みんな私と組みたがりました。ある時など、地域のコンテストで優勝したブリッジチームのメンバーに加わったこともあります。まもなく私は友人の間で「ミスタージョーカー」として知られるようになりました。
 高校を卒業すると、大学教育を受けるためバンドゥンに引っ越しました。ここで私は教会活動に熱心になりました。聖書の一節を点字で読んだ時、教会にいた人々がいかに感心したかを覚えています。
 「彼はバーティミスじゃないの?」誰かがささやくのが聞こえました。彼女は聖書の一節に出てくる盲人のことを言っていたのでした。
 教会での体験は新しい友人を得ることにつながりました。ある日、私が聖書を読んでいると、それを見た男性が「私の目の見えない娘に点字の読み書きを教えてくれないか」ともちかけてきました。代わりに彼は、私の大学の学費をすべて負担してくれるというのです。大学で勉強するにはとてもお金がかかり、実際もう少しで辞めてしまうところにきていました。幸運にも点字が私を救い、ガイダンスとカウンセリングの修士課程をも終えることができたのです。
 学位取得に向けて勉学に励む際に困ったことの一つに、点字の本が足りないということがありました。それゆえ本を読み上げてくれるボランティアの音読サービスに頼り、メモを点字で取ったものでした。ボランティアの中に点字の読み書きに興味を示す女の子がいました。私は彼女に点字を教え、彼女は私にあてた短い詩を作って練習しました。お返しに、私も彼女に詩を書きました。その詩は間もなくお互いの気持ちを表すようになりました。つまり点字で愛を表現するようになったのです。
 数カ月後、私はバンドゥンの盲学校でカウンセラーとして採用され、私たちは結婚しました。いま私たちにはかわいい娘が1人いるのです。


このページは音声読み上げソフトに対応するため配慮していますが、
本来の読み方とは異なることがありますので、ご了承ください。


戻る