■国内の部 優秀賞 「ここまでになった点字書 〜これぞ本当のバリアフリーか〜」 京都府長岡京市 岩本信子(63) |
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あの感動の日から、もう1年という月日が流れ去ろうとしている。平成16年春、まだ浅くストーブの前に座って、京都ライトハウス点字図書館から送られてきた図書館だより「はなのぼう」を読んでいた。 今年の直木賞や芥川賞は最年少、20歳前の少女だと書かれていた。あまりの驚きで幾度も同じ個所を読み直し、「えー、まさか」と思わず声を上げた。 その題名がまたふるっていた。「蹴りたい背中」「蛇にピアス」、現代っ子らしくて思わず笑った。しかし、たまらないほどの興味をそそられて時計を見た。もう図書館業務の終わっている時間だった。少しためらったが、駄目もとで受話器に跳びついた。動悸が高鳴り、顔がほてった。あいさつもそこそこに、あふれる好奇心をぶちまけた。受話器から流れる冷静な職員の方の声が「今、話題になっている本なので、しばらく待ってもらわなくてはならないと思いますよ」と、なだめるように聞こえた。当然だと思った。 さっそく子供たちと、その本のことを話題にした。長男は「あまりに不思議な表題やったから覚えている」と言った。それから間もなく、我が家の茶の間の水屋の前に手のひらに入るような小さな単行本が転がった。読んで欲しいなあと思う間もなく、図書館から点字本が届けられた。 郵送袋を開くのももどかしく、その点字の本の中に没入していった。初めは慣れない文章なので触覚的に読みづらいなと思ったが、2枚、3枚とめくっていくうちにすぐに慣れて、時を忘れ、自分の役目を忘れてのめり込んでしまった。やがて夫から「おーい、いつになったらご飯を食べさせてもらえるのだー」と声を掛けられ、我に返って悲鳴を上げた。準備しておいたその日の食材は、もうその日にこなす時間はなく、予想外な寂しい食卓を囲む結果となってしまった。誰も文句は言わなかったが、私がいちばん辛い気持ちを我慢した。 点字では2冊に分かれていたが、三日とかからずに読み上げてしまった。家族は誰も読んではいなかった。感想を話し合う相手が得られなくて、もの足りない寂しい思いをした。 私の感動と没頭の仕方に刺激されてか、まず長男が読み始め、次に夫が読み、最後には長女が読みふけった。しばらくは話題に事欠くことがなかった。 私はうれしかった。こんなに幸せなことがあるだろうか? かつては「この本が読みたい」と思っても、話題の本であればなおさらのこと、注文して忘れた頃にしか手元に届けられることはなかったように思う。人の気持ちは日々に変わるもの、興味が失せた時に届けられると、随分と不思議な思いにさせられるものだ。時には興味を失い、読む気持ちになれないこともあった。とくに私が読書三昧で生きていた20世紀の中頃は…。 それが今では、健常者である家族よりも早く、読みたい本が手に取れるようになってきた。パソコン点訳をはじめとした21世紀の文明が花開いたのだ。かつて、夢にさえ見ることのできなかったこの現実、それは実に多くのボランティアや、図書館関係の方々の大いなる愛によって支えられていることを忘れてはならない。私達、重度障害者の真の幸福は社会の大きな善意によって築かれているのだ。 私はこの感動の点訳書を図書館へ送り返す時、感謝の言葉とともに同じ話題作であった「蛇にピアス」の注文も忘れなかった。しかし、そちらはさすがにしばらく待たされることとなった。が、ちょうど私の方もその時は多くの行事がつまっていて、たとえすぐに届けられたとしても前回のように跳び付いて読みふけることはできなかったと思う。そういう意味では、これもまた良きかなであった。 この21世紀という情報化時代はこうした意味において、私達の重度な障害を大した重荷に感ずることなく生きる希望へとつなげてくれたように思う。21世紀が我々、視覚障害者にくれた何にも勝る大きな宝物だった。視覚障害者の読書の方法は今や、たいへん種類が多くなった。それぞれが自分にあった方法を選んでいる。私は元より点字による読書ですべてを満たされている。 幼い時に学び、慣れ親しんできた点字、小学校2年生の時に失った文字を再び、この指に取り戻した喜び、家族を失いその孤独の中から私を救い、育て上げてくれた多くの点字書。この点字書のおかげで、現在の私がこうして生きていられることを感謝している。 人間として、この世で文字を失うほど不幸な寂しいことはないと私は思っている。そういう意味で、私たち視覚障害者にこのような素晴らしい文字を残していってくれた人生の先輩たちに新たな尊敬と感謝の念を禁じえない。私は一日に一度は必ず点字に触れていないと眠れない。点字によって心を安らげ、明日への希望を、生きる喜びをかみしめている。 |