| ■佳作 「点字が私を変えた」 〜点字で『第九』を歌う〜 大川徹(おおかわ おさむ)(67) |
私はサラリーマン生活をしていた30歳代半ばで病気のため失明し、全盲になった。妻と幼い子供2人があったのでやむを得ず会社を辞め、地元の盲学校で鍼灸マッサージを学ぶことにした。私はそこで初めて点字に出会った。 専門学科と並行して点字を学び始めたのであるが、不器用な私は、最初はなかなか点字になじめなかった。しかし毎日、左手人差し指の指先で点字の上をなでていたところ、ある日突然読めるようになった。それは点字の上に指先を軽く当てゆっくりした速さで左から右へ動かしていると、点字が逆に右から左へ動いているように感じた瞬間だった。私はうれしかった。この時まさに、点字の世界で開眼したのである。それからは、少しずつ点字に慣れ親しんで、やがて専門学科も点字で勉強できるようになり、免許試験も点字で受けることができた。卒業と同時に免許を取得し、自宅を改造して治療院を開業した。 点字は仕事の上で大いに役立った。自分でカルテを付けたり、いろいろなことをメモあるいはノートすることができた。点字の良いところは、点字盤を使って簡単に字を書き、それをすぐ裏返して指先で読むことができるという便利さにある。また点字はそれを読みながら話をしたり、逆に話を聞きながら読むことができる。これはカセットテープなどではできないことである。点字が身についたおかげで、勉強や仕事だけでなくあらゆる面で自立した日常生活と社会参加ができるようになった。そして趣味の面でも点字が活躍することになる。 私はもともとクラシック音楽が好きである。失明して数年経ったころ、CD時代がやってきた。それまでのレコードとは違ってCDは視覚障害者にとって大変扱いやすい。CDを購入する都度、ケースに通し番号をつける。一方、曲目や演奏者などのデータを見てもらって点字用紙に書いて順にとじていく。これでいつでも自由に好きな音楽が聴ける。またオペラを鑑賞する場合は、CDで聴く時も生演奏を聴きに出かける時でも、あらかじめボランティアさんにお願いして図書館にある名曲解説選集などから、その曲のあらすじや解説をパソコン点訳してもらってそれを指で読みながら聴くようにしている。それが少しずつたまって、今では私なりのオペラ全集ができつつある。 私は歌うことも好きで、十数年前から合唱を始めた。まず、視覚障害者と健常者との合同の小さい混声合唱団に入って毎月第2、第4日曜日に集まって叙情歌などの小さい曲を歌った。私のパートはバスだが、点字楽譜が読めないから点字の歌詞カードを使い、音は耳から覚えた。 この合唱団では今も歌い続けているが、これとは別に、合唱で声を出し始めて1年ほど経った1989年にベートーヴェンの交響曲第9番の合唱を歌うチャンスがめぐってきたのであった。地元の自治体が記念行事として企画し、合唱希望者を一般市民から募集したのである。私は「第九」は初めてだったが、思い切ってそれに応募したのであった。「第九」はドイツ語で歌うのだが、私はとにかくその歌詞カードを作らねばならないと思って、楽譜の中からバスパートの歌詞を抜き出してドイツ語のアルファベットのままで点字で書いてもらった。繰り返し出てくる言葉もそのまま書いてもらったのである。曲は長いし、言葉も違うが、時間さえかければできるという信念をもって練習を続けた。毎週1回の練習に4カ月間欠かさず出席して無事10月の本番を迎えることができたのであった。大勢の合唱団の一員として大ホールの晴れの舞台に立ち、オーケストラの演奏と共に本番を歌い終えた時は感動で胸がいっぱいになった。53歳の時だった。全盲の私が「第九」を歌うことができたのもやはり、点字があったからである。「第九」の合唱は「歓喜の歌」である。この時以来私は、毎年どこかの「第九」に参加し、多くの合唱仲間と一緒に楽しく歌い続けている。 点字ができるようになって、その二次的成果として地域の人々とのつきあいが広がった。ボランティアの人たちや小中学校の福祉実践教室での生徒たちとの交流である。とくに、ある小学校の点字教室で講師を務めた後、生徒たちとの交流が続き、秋の文化祭や学年末の集いに招かれて楽しいひとときを過ごした思い出もある。 私は年が明ければ、数え年70歳の古希を迎える。人生の後半を視覚障害者として過ごしたことになるが、その後半の人生を充実したものにしてくれたのは点字であった。 |