■佳作
「僕に病気をくれた母へ」 浜松盲学校 片岡兵馬(かたおか ひょうま)(19)

  「ガツン!」
 僕の自転車と信号待ちの車がぶつかった音。ついにぶつかってしまった。
 17歳の4月、僕は事故に遭いました。もともと僕は、普通の晴眼者だったのですが、高校1年の時、母が亡くなり、その後、どんどん体の調子が悪くなり、高校2年の時、出席日数が足りなくて高校を中退しました。
 高校を辞めた後は、アルバイトをする生活が続きました。しかし、働いているうちに、あることに気づきました。それは今までなかった、激しい頭痛と、視力の低下でした。
 頭痛と視力の低下に悩まされながらも僕は、バイトを休まずに続けました。
 しかし、ある朝、目を開くと、そこに曇りガラスを張ったような光景が広がりました。「どうしよう」と、悩みましたが、なりふりかまわず、バイトに行くことにしました。なんどもクラクションを鳴らされつつも、バイト先近くの交差点にたどりつきました。そこで僕は信号待ちの車にぶつかってしまったのです。
 事故でのけがはなかったものの、精神的ショックは大きく、念のため病院で診察してもらうことにしました。
 眼科では「分からない」と言われ、大きな病院で診察してもらうと、病名が分かりました。それまでいくら目を調べても分からなかったものが、脳のレントゲンを撮ったとたん
 「これは、脳腫瘍だね。」
 と、言われたのです。その日から、入院生活が6カ月続きました。
 そこでの生活は、思ったほど辛くなく、食事もわりとおいしいものでした。
 2カ月目に、隣のベッドに後藤さんという男の人が入って来ました。
 この頃、僕は少々ホームシックになっており、寂しいけれど、これ以上家族に迷惑を掛けられないと、誰もいない部屋の中で隠れて泣いていました。
 けれど、後藤さんが来てから、共通の話題で盛り上がり、とても明るく、楽しくなりました。
 後藤さんは、公務員の仕事をしていました。しかし、病気になってからは、体にマヒが出て、ろれつが回らなくなり、お客さんとの会話がうまく成り立たなくなったそうです。そのため、なんども仕事をあきらめそうになったと教えてくれました。
 そんな時、後藤さんはある言葉を思い出すのだそうです。
 「ライフ ゴーズ オン」
 (「生き抜いてやる」という意味)
 と、いう言葉です。落ち込んだ時に、後藤さんは自分の名札に印刷しているこの言葉を読むそうです。
 僕も目が見えなくなって右も左も分からないような時だったので、同じ言葉を目標として使わせてもらうことにしました。
 この年の12月、僕は浜松医大病院を退院し、明くる年の5月、埼玉県の国立身体障害者リハビリテーションセンターに入所しました。
 このセンターは、建物も敷地も広く、僕は1日、5000歩ほど歩く生活を送りました。
 実は、入院中に運動を怠けたため、体重が45キロから80キロ近くまで増えてしまいました。そのため、歩くことはもちろん、立つこともおっくうになっていましたが、ここはそんな僕にとって、生活訓練を行うには絶好の場所でした。
 訓練を終えて、生活に慣れてきた時に、今僕が通っている「浜松盲学校」のホームページを見つけたのです。高校を辞めてから目が見えなくなった僕にとって、盲学校は第二の人生の場になるかもしれないと思い、入学を希望しました。視力の面での心配はありましたが、試験を無事に通過することができ、入学に至りました。ですが、やはり学力の低下を補うためには、もう一度、1学年からやり直すしかありませんでした。たいへんですが、頑張りたいです。
 僕は、目が見えなくなってからの2年間で、いろいろな人に出会い、今まで経験できなかった人生を学ぶことができたと思います。今、考えると、目が見えなくなったのは、一度歩いた人生の道をもう一度戻って、歩き直すための母からの贈り物だったのではないか、という気がします。目が見えていたら、入院もしなかったし、後藤さんにも出会えなかったでしょう。  

 母へ。
 僕は、あなたがくれたこの病気と共にこれからも生き抜いていこうと思っています。温かく見守ってください。
           親愛なる母へ
         あなたの息子より

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