| ■海外部門 佳作 「点字習得の旅」 オーストラリア ローズマリー・ロクラン(48歳・女性) |
決意のきっかけは、下着でした。 その時、私は「凍死しないうちに着替えを済まそう」と、寒さに震えながらも急いでいました。ショーツを選び、足をきちんと入れ、引き上げるというのは至極簡単なことに思えます。ところが、ショーツを前後ろにはいてしまったのです。いらいらしながらもいったん脱いでもう一度はきなおしました。しかし、なんてことでしょう。急いでいたのでショーツの股の部分から足を入れてしまい、ひざが通らないのを必死に上げようとしていました。そのままバランスを崩し、足をくくられた七面鳥みたいに−鳥肌が立っていたところまで七面鳥そっくりに−、床に転んだのです! プライドと、急速にしぼんだ自尊心以外にはどこも傷つきませんでした。いまいましい下着を部屋の隅と思える方向に投げ捨てました。その日の最初の決断は、「前後ろがちゃんとわかるように、前にリボンのついていない下着は処分する」ということでした。もし救急車を呼ぶようなことになったら、せめて下着だけはちゃんとつけておかないと! 失明する前、私は女性用下着のメーカーは、値段を倍にするために従業員にすずめの涙ほどの賃金を払って、下着の前にリボンをつけさせているのだとずっと思っていました。でも、ようやくわかりました…。タンスをひっかきまわして下着を探し出し、小さなリボンを触って確認しました。つまりそうすれば、すぐにどちらが上下で前後ろか分かったのです。小さなリボン一つの出っ張りがすべてを教えてくれる。だったら二つの、三つの…、もしかして六つだったらどれだけ多くの情報を伝えてくれるでしょうか? それが私の二つ目の、そして最も大事な決断でした。つまり点字を学ぶことを決意したのです。 40歳で盲人になった時、私の人生はひっくり返りました。数年間でわずかに残っていた視力も急速に失われ、それとともに世界はだんだん狭くなりました。私にはいろいろ力になってくれるすばらしい夫と3人の子どもがいましたが、私は徐々に孤独に、そして人に頼るようになっている、と感じていました。初めて点字について話を聞いたとき、「もう点字なんて誰も学ばないんですよ。みんなコンピューターを使っているんです」と言われました。でも未開封の缶をコンピューターにかざしてみても、コンピューターは中身を教えてはくれません! こうして私は、だんだん狭くなり、フラストレーションがたまっていくばかりの世界にずっととどまっていたのです。 やがて私は視覚障害の人達に会うようになりました。幸いなことにその中のマークという人物が点字を知っていて、いろいろな使い方を教えてくれました。私の末の息子は学校でコミュニケーションの課題研究をしていて、そのテーマに点字を選びました。マークは息子に点字のラベルや手紙をくれました。私たちが地元の盲人協会にサンプルをお願いした時には、点字のしおりももらいました。また、私の住むベンディゴで開かれたオーストラリア・ブラインド・シティズン(BCA)の集会にも出席し、点字の紙幣分別器を手に入れました。自分で一つ一つの点をしっかり指で感じられるのが分かり、もし、アルファベットや数字を学び、点字ラベルプリンターを買えば、ものを推測したり誰か教えてくれる人が来るまで待ったりするのに時間を費やさずに済むだろうと思ったのです。 ついに私はキャロルという点字の先生に連絡を取り、自立した生活を取り戻す旅が始まりました。最初はグレード1(英語の初級点字)で十分だろうと思っていました。ものを識別するための道具が欲しかったからです。私は小さなビーズを服に縫い付けました。もう夫に着たい服がどこにあるか尋ねる必要はなくなりました。ラベルプリンターとマグネットテープを使って台所用品にはラベルを張りました。子どもたちが学校に行っている間に必要となるかもしれないスパイスや缶やビンなどが、どこにあるかをあらかじめ聞いておく必要ももうありません。たまたま手に取ったものを聞くのではなく、聞きたいCDを選べる嬉しさといったら! 再び自分で選べるようになったのですから! しばらくはそれで満足していました。でも料理のレシピひとつにしても、誰かに読んでもらい、料理しながら思い出そうとするよりも、点字のレシピがある方がどれだけ簡単だろうと思い始めました。そうです、私はハイハイから始めて、今や歩きたくなったのです! 再び定期的にキャロルのレッスンを受け、グレード2の点字を学び始めました。なんと言っても学ぶということの満足感が好きでした。短縮形や文章記号などマスターする時の達成感がとても好きだったのです。キャロルが次回来る時に感心してもらおうと思って、学んだばかりの文字をできるだけたくさん使って物語や詩や簡単な文章を考えるのはとても楽しいことでした。キャロルが出してくれる課題を、ゆっくりと判読し、一つ一つの文を読み解きながら何時間も取り組みました。スラスラ読み書きできる日が果たしてくるのかしら? 点字の本をいつか読めるようになるのかしら? と思いながら…。 点字習得の旅は必ずしもスムーズではありませんでした。2001年9月、半分ほどコースを終えた時、ふたつの大きな落とし穴がありました。行政当局がグレード1を教えることに重点を置き、地域センターでのグレード2のレッスンを打ち切りにしようとしたのです。そしてもうひとつは、卵巣ガンと診断され、それも進行したガンだと言われたのです。人は私が点字への熱意を失ったのだろうと思うかもしれません。なぜなら私の病気の状態は良くはありませんでしたから(今も良くありませんが)。でも、点字は大きな支えになりました。最初の大きな手術を終えた後、本当に苦しい化学療法を受けました。その数カ月は、ずっと洗面器を横に置いてソファに横になる日々でした。そんな時期に以前のレッスンを復習しました。数カ月後には、キャロルと個人的にレッスンを再開。点字の本を1冊読む、これをやりとげるつもりでした。まさに「死んでもやるわ!」だったのです。 その後、数年をかけて私は点字のグレード2コースを終了しました。55回もの化学療法投薬があったので、ゆっくり点字の本を読むだけの静かな日も多くありました。料理のレシピ、住所、電話番号をすべて点字タイプし、いまや点字のペンフレンドまでいるのです! どれくらい読んだか分からないくらいの点字の本を読みました。 今、この話をタイプで打ちながら大きな達成感を感じています。実際にエベレストに登ったり、夕日のピラミッドを眺めたりするわけではありませんが、寒い冬の夕方に毛布にくるまって本の中でそこを訪れることができるのです。自分で服を選び、友達に電話し、洋服の型紙や料理のレシピを読むこともできるのです! この先、どんな未来があるのかは分かりません。でも、この数年間は点字の学習があったからこそ、より良い時間が過ごせたというのは確かです。私は点字と共に歩けるようになり、今やまさに点字と共に走り出そうとしているのです! |