■ 国内の部 特別賞
「音楽」  青森県青森市・千代谷悠希(ちよや ゆうき)(13歳) 
(青森県立盲学校中学部1年)

 僕が音楽に出会ったのは、4歳の時です。Kiroroの「未来へ」という歌になぜか感動して、意味も分からないのに必死で覚えました。2日間かかってようやく覚えられた時はうれしくて何回も歌いました。
  それから歌うことが大好きになりました。保育園で中島みゆきの歌をたくさん覚えて一人で歌っていると、人が集まって来て僕の歌を聴いてくれました。
  ところが1年生になると、最初のうちはよく歌を歌ったりしていたけど、そのうち歌をすっかりやめました。
  なぜかと言うと、保育園の時よりも人が少なくて、誰も僕の歌を聴いてくれなかったからという自分勝手な理由です。
  それから3年間は、音楽とあまりつきあわずに過ごしていました。そこへ、陸奥と八戸、三戸から3人の人物がやって来ました。ギターが大好きで自分で作詞をしたことがある大石君とフォークソングとコブクロが大好きな沢田君、それから「いちご白書をもう一度」という曲をいつ聴いてあきない工藤君です。
  毎日楽しそうに音楽の話をしている3人を見たら、悔しくてうらやましくて、あんなふうになりたいと思うようになりました。
  そこで、僕はあの3人がよく歌っていた「神田川」を、大石君のギターに合わせて歌えるように練習しました。3日で覚えて歌って聞かせました。
  今回はアカペラじゃなくギター付きです。何かかっこいい。なんて考えながら歌っていると、大石君が「おまえ歌うまいなあ」と言ってくれました。その言葉を聞いた途端、長い間眠っていた音楽病が復活して、またいろいろな歌を覚えるようになりました。あの3人がよく歌っていた「22才の別れ」や「なごり雪」などォークソングばかりです。
  ピアノも習い始めました。でも、僕はクラシックよりもCDの音を耳で覚えて弾き語りをするのが好きになりました。ピアノのほかにもいろいろな楽器に挑戦しました。Jポップも聴くようになって「ゆず」や「コブクロ」「EXILE」「レミオロメン」「スピッツ」「Mr.Children」など、いろいろな曲を弾いたり歌ったりするようになりました。
  6年生の時、先生に県盲祭(県立盲学校祭)の舞台発表で歌を歌うから、詞と曲を作ってくれないかと言われました。僕はそのころ、作詞作曲にもはまっていたのであっさりOKしました。でも、後で考えてみて、舞台発表で歌うような明るい曲は今まで作ったことがなかったので、先生に詞だけを作らせてくれるようにお願いしました。僕は、「ゆず」の「友達の唄」という歌のさびの部分にこんな詞を付けてみました。
  「今は元気を出して頑張ってみようよ 勇気も出して頑張ってみようよ 今日はとってもたいへんだけど、明日になればいいこと必ずあるから」
  題名も「友達の唄」から「勇気の歌」に変えました。詞を作り終えてほっとしていたら、今度はピアノの練習が始まりました。テンポが早いだの、力が入っているだの、たくさん言われて、頭にきた僕は家に帰ってまず音楽を聴いてみました。すると、心の中にあったもやもやの塊がどんどん抜けていきました。そうやって毎日毎日頑張ったおかげで、県盲祭は大成功でした。とてもうれしくて、たくさん頑張れば、後でこんなにうれしくなるんだ、すごいなあと思いました。
  僕が音楽関係で一番やってみたいことは自分で作った曲をCDにして、たくさんの人に聴いてもらうことです。でも、今はなかなかいい曲ができないので、もっとレベルを上げてその夢が実現できたらうれしいです。僕の一番の憧れの人は板橋かずゆきさんです。目が見えなくてもミュージシャンになりたいという夢を捨てないで、頑張ってその夢を実現させた板橋さんのような努力家になりたいです。
  僕にとって音楽はとてもとても大切なものです。もし「音楽」というものがこの世の中になかったら頑張る気力もわかないし、楽しい気持ちにもなれないと思います。
  音楽をものに例えるなら、ご飯じゃないかなと思います。ご飯は食べるとエネルギーになって体を元気にしてくれます。音楽も、それをやっていると自然に僕のエネルギーになって、そして、元気にしてくれるのです。
  音楽は大好きな友達です。その友達と一緒にいろいろなことに挑戦して頑張りたいと思います。そして将来は絶対に音楽関係の仕事に就きたいと思っています。

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