■海外の部 ABU地域 佳作(ジュニア・グループ) 「点字と音声機器」 キルギス ヤンバンチノバ・ジュリア(23歳・女性) |
視覚障害者は聴覚と嗅覚(きゅうかく)と触覚の中で生きています。自分の目で見られなくても、見ること以外の感覚によって、もののイメージを持つことができ、抽象的あるいは具体的な考えを持って厳しい現実に立ち向かっています。聴覚と触覚は、視覚障害者の暮らしの中で、とても重要な役割を果たしています。これらの感覚は、周りの現実についてのとても詳しい情報を与えます。 音声機器はすばらしいものです。私はこの結論にたどり着きましたが、すぐにたどり着いたわけではありませんでした。それは私の視力はゆっくりと徐々に失われていったからです。視力を失いつつある中、自分の他の感覚をあまり信頼していませんでした。いつか完全に見えなくなり、その後は闇の世界に身をおくことになる大きなリスクを持っていたのですが、愚かにも、なんとか視覚からの情報を確保しようとやっきになっていました。それは、完全に視力を失うまで続きました。私は勉学に関してはとくに頑固でした。大きな文字を書き、強い拡大レンズをかけて書物を読み、ぼんやりして見にくくなったテレビ画面やコンピューターの画面を見やすくする機器を使いました。当時、わずかに残った視力への望みを守ろうとしていたのだと、今私は思います。 視覚障害者は、適切に反応し自分を成長させるために、違う情報を得なければなりません。いくつかの情報は視覚障害者に口頭による説明という形で与えられます。またいくつかの情報は、違う音声方法と点字の本を通して得られます。この二つの情報源は、専門的に一つに組織されています。これらは視覚障害者に向けられた物です。私の経験から言えば、音声機器は私の生活を支配しています。私は純文学や科学や教育、心理学の文献を、さまざまな音声機器を使って読みます。違う世界の出来事をラジオで聞きます。すべての必要な情報をカセットに録音します。勉強では積極的にコンピューターと録音機を使いますし、外国とロシアの文学両方を読むことができます。新しい言葉をコンピューターの辞書で調べることができますし、他の人とEメールを通してやりとりします。これらすべてを可能にしているのは、特別な音声プログラムが装備されたコンピューターです。すべて勉学に論理的で現実的な手段です。音声機器によって得た情報は、音声カセットに蓄えられ、学期の終わりには私自身の音声図書が何種類かできあがります。先生から与えられた他のカセットの教科書を私の声で録音します。これは試験の時にとても使いやすいです。これら二つの方法は、私の勉強と生活を大きく向上させてくれました。 しかしながら、私は決して点字のシステムを無視しているのではありません。私は今、これら二つの別々の形式を統合させようとしています。コインも、表と裏の二つの面があるように、情報を得るための手段である点字と音声機器も、二つでありながら一つの物になれば良いと思うのです。音声機器は音声での記憶を発展させ、点字を読むことは触覚による記憶を発展させます。この二つの記憶のタイプは、将来、職業面でとても重要です。触覚による記憶は、単語の正確なつづりと誤りのない文法を覚えることができます。点字を使うということは、いくつかの状況に応じて視覚障害者にとって、より適正なものになります。たとえば、私が教壇に立って情報の一部を声に出して提示する必要がある時、そこでは点字はより効果的です。点字で準備すると、それは即席の物ではないのです。あなたは録音機、イヤホン、電池、カセットがあれば、その他の物は必要ありません。点字用紙と点字といったあなたが必要な物はすべて机の上にあります。もしあなたがすらすらと点字を読めば、あなたが録音機の後に続いて繰り返すとき、長く中断することはありません。私にとってもっとも重要なことは、点字を書くことが周りの人に当然のことと受け止めてもらえるようにすることです。これらの事例は、教科書を暗記するときには関係ありません。この場合、私の記憶から情報を再生するから、音声機器も点字も必要ないのです。私の勉学で点字は、いくつかの状態でより正確で適正なものとなります。 いくつかの事例を示します。研究所の教育実習の4年生のクラスで気づくことがあります。生徒のために専門書を読み声に出して練習したりして、授業の準備をしているとき、録音機の後に続いて繰り返すことがどのようにできたか、私は想像することができませんでした。ここに私の勉学の経験からいくつかの他の事例を示します。英語の実地のコースにおいて、私はすべての新しい単語を書き取らなければなりませんでした。私は他の学生とともに新しい単語を書いていました。しかしながら、何回か知らない単語を録音しようとしましたが、それは、学生の注意力をそらせました。日々の生活の経験のなかで、たくさん点字が価値あるものだということがわかります。たとえば、私の電話帳は点字で書かれています。だから、いつでも電話番号を調べることができるのです。でも、音声カセットとコンパクトディスクはその価値が点字に追いつきそうです。なぜなら点字で番号を探すのにたくさんの時間と労力がかかるからです。 (終わりに) 音声による情報は、私の生活の中心となっています。音声情報は、点字本のように巻数は多くありません。しかも点字本より情報量が多いのです。それにもかかわらず、私には点字がない生活など想像できません。幸運にも私は、いつもの生活を続け、勉学を積み、健康的な社会生活になんとかとけ込んでいます。私がただ思うのは、点字と音声の情報源を結合させたいのです。 |