国内の部 最優秀オーツキ賞
 「天使の杖とともに」
京都市 小林 由紀(45歳)

 京都に暮らし始めて1年が過ぎました。ここは本当に美しい街です。三方を囲む山なみは四季折々に彩りを変え、現代的な大都会はいたるところで千載の古と背中合わせになっており、大通りの喧騒から一歩踏み入れば、そこには趣の深いたたずまいが広がっています。旅行が大好きだった私にとって、京都で暮らすというのは夢のように嬉しいことでした。雨の音さえ、京に降ればどこか雅な調べを帯びているようで、何もかもが感動の種でした。
 そんな話をすると、京都の人によく笑われます。多分当たり前すぎて、改めて感動することはないのでしょう。
 「見える」ということも……。
 網膜色素変性症と診断を受けたのは小学生の頃。祖母も父も同じ病気で視力を失ってはいましたが、その頃はまだ、見えなくなるということをひとごとのように思っていました。
 やがてひとつずつ、できないことが増えていきました。信号が青なのか赤なのか見えにくくなったと思っていたら、そのうち信号機を見つけられなくなりました。危なっかしくて自転車に乗れなくなったのが、次第に歩くことさえおぼつかなくなってきました。視野が狭くなってすぐ人にぶつかりそうになり、その都度不審な顔をされるのが…… 何にぶつかって痛い思いをするよりも人に嫌な顔をされるのがつらくて、通勤と買物以外はほとんど外出もしなくなってしまいました。きっとそれすら、いつかできなくなる……。
 いつか私も見えなくなる。
 もはや逃れようのない現実への恐怖から目を背けるには、どうしてもつらくなったら、無理して生きてなくてもいいよね…… そう思うしかありませんでした。
そんな折、私は京都に引っ越してきました。嬉しさと不安の入り混じる中、区役所で紹介された京都ライトハウスの方が「お困りでしょうからすぐお使いください」と渡してくださった1本の白杖。
 最初は正直、わらにもすがる思いで自ら申請したにもかかわらず、それを身に持つことにためらいを感じました。「私は視覚障害者です」そうしるしをつけて歩くことは、ある意味今まで以上の恐怖であり、悲しみでした。
 でも、思い切って最初の一歩を踏み出した私に、京都の街の方々はとてもあたたかく声をかけてくださり、私の恐怖はじきに消えました。「大丈夫?」「何かお手伝いしましょうか」そんな声の優しさは、歩くことだけではなく、生きることへの恐怖さえ溶かしていってくれたのです。
 私、きっと、生きていても大丈夫……。
それから1年。私は多くの方に助けていただきながら、白杖片手に京都をあちこちさまよい、季節ごとの風情や人々の優しさに触れ、以前よりもっと京都が好きになりました。
 今、私の目に映る風景に、当たり前のものは何一つありません。美しい憧れの地、そしてやがては私の前から消えてしまう風景……。見えているとはいっても、もう決して鮮明ではありません。もっとちゃんと見えたらと思う瞬間も何度もあります。けれども今、見えなくなっていく私だからこそ感じられる良さもたくさんあります。街路樹越しに見上げる青空のきらめき、山の端にかかる夕暮れのグラデーション…… 日常のひとこまひとこまが、私にとってはかけがえのない、切ないほど愛おしい光景なのです。最後の光で見られるのがこんなにも美しい街で本当によかった。
 景色ばかりではありません。この街に、どれほど多くの心あたたかな方がいらっしゃるか。それは、毎日のように何人もの方に声をかけていただく私だから気がつくことです。これは京都にあまたあるどんな国宝にも劣らない、有り難く尊い宝だと思います。
 人は、意地悪をされると心がしおれる。優しさに触れれば元気で幸せになれる。
 だから私は今、とても幸せです。
 これからどんどん見えなくなっていくことへの不安はありますが、ひとつひとつの優しさが皆、心の支えとなり、きっと不安に負けずに生きていける…… そう思えるのです。
 駅のホームで、道端で、バスの中で…… 時には「そっちの席空いてるよ」「そっち?」「右、右、もうちょっと左」なんてスイカ割りみたいな掛け合いになることもありますが、こんな私に親切にしてくださる皆様、心の中では涙が出るほど感謝しているのに、お顔もわからず、何のご恩返しもできなくてごめんなさい。せめて少しでも気持ちを伝えたくて、白杖に小さなメッセージを下げました。
「いつもありがとうございます
 優しい皆様に幸せがいっぱいありますように」
 この白杖は、神様が私にくださった天使の杖です。私はこれからもこの杖を携えて、毎日前向きに…… 時には寄り道しながら、楽しく歩いていきたいと思います。
 未来の私、泣かないで。きれいな思い出と優しさを心にいっぱい抱えていくから……