海外の部 ABU地域 ジュニア・グループ 佳作
 「暗闇の征服者」
アラブ首長国連邦 ナバ・アルザビ(25歳・女性)
 視力という贈り物は、神が人間に授けた最大の祝福の一つです。しかし視力の損失もまた、忍耐をテストするために、神を信じる者の中から選ばれた人たちに与えられた神の恵みです。視力を損失しても、希望と熱意を持っていれば、知識と洞察力の光が地平線に現われます。視力の損失は知識の追求の障害には決してなりません。視覚障害者の多くは、一般教育機関で教育を受け、さまざまなコミュニティーの問題に貢献することができました。
 私は、幼児期から教育を受けていましたが徐々に視力を失っていきました。それから私はどのように教育を受けたでしょうか? 教育の中で私が直面した困難は何でしたか? そして、どのように私はこれらのすべての障害を克服することができたのでしょうか? 統合教育の経験は、すべての面では成功しましたか? これからそれを簡単に述べます。
 母が言うには、私が生まれたときから徐々に視力を失っていき、私の家族は、国内外の最も熟練した医師を通して、私の治療とケアを自分たちの責任として行いました。家族は私を公立学校に入学させました。そして、私はさまざまな科学の知識を得ました。それは自分の性格形成、教養を高めるのに役に立ちました。私の学業は、母、教師、そして友人たちのお陰でスムーズに進みました。彼らは白杖(はくじょう)のように私を正しい方向に進ませてくれたのです。
 障害者の普通学校への入学(統合教育)は普通ではなかったので、母は学校に入学の手続きをするたびに、私の障害の説明や教師への要望を事務局に説明しなければなりませんでした。最初の頃は習ったことを暗記したり、母が自宅で教えてくれたりしました。中学校では自分で努力して黒板の字を書き写したり、記憶したりしましたが、高校では勉強が難しくなり、他の人に頼るようになりました。大きな字を書いたり、拡大鏡を使うようになりました。また、すべてのことにおいて成功という階段を一段一段上り、梯子(はしご)の一つ一つを上るようなものでした。高校を卒業するまで課外授業や学校のラジオ放送を行い、科学では89%の健常の学生よりもすぐれた成績を修めました。
 大学では初めは芸術、人文科学、英語科に入りましたが、TOEFLの試験に合格せず、歴史とイスラム文明の専攻に変えなければなりませんでした。
 大学での4年間は経験を重ねるという蜜を吸いながら、歴史の幅広い知識を得るためチョウのように飛び回りました。このときの家庭での家族の助けを忘れません。そして大学での第二の家族、職員、教員、そして女友達が会話や行動でサポートしてくれました。
 試験の際、読み書きを補助するためにオブザーバーをしてくれたり、先生たちは、大きな思いやりと人類愛を示してくれました。また、視力障害者に適切な方法で、ほとんどの時間に助けてくれた友人たちのことも決して忘れません。
 その後、優秀な成績で卒業しました。戴冠式に相当する卒業式で、私の「父で」あり、誇り高く教養のあるシーク・スルタン・アル・カシミ博士から学位を受けた時は、非常に自分自身を誇りに思い、人生の記念日となりました。
 成功への道のりは、舗装されたり花が咲き誇ってはいませんでした。たくさんの岩やいばらに出くわしました。どんな落とし穴や困難があったでしょう。
 第一に、絶望的な気持ちになるが、それが消えて自信を回復すると思ったら、また絶望的な気持ちになってしまうようなことがありました。第二に、授業に必要な資料を手渡してくれなかった、というような、いくつかの友人の過失がありました。それは 嫉妬のためかもしれませんが、そのために苦しみを受けました。第三は、障害者のための施設から遠くに住んでいたので、障害を克服する特別なツールを持たなかったということです。
 統合教育はまだの多くの欠陥があり、適切に実施するための戦略や計画がありませんでした。また、障害を持つ人々、特に視覚障害者に対処する方法についての教師の教育と資格認定もありません。また、学校の環境整備や、障害に合わせたクラス作り、そして障害者が社会参加をし、成功していくために必要なものを提供するノウハウも必要です。
 結論として、視力の損失は大きな成功に対する障害ではありませんでした。また、周りの人たちの協力や励まし無しでは成功することが出来ませんでした。彼らの存在がなければ、進歩し続け、自信を持ち続けることはできなかったでしょう。統合教育を受けなかったら、障害者の多くは、祖国への忠誠の良い見本となったり、他人のために献身したり、寛大さを持って生きていくことは出来なかったでしょう。
 私はすべてに神の助けと祝福と成功を祈ります。