海外の部 ABU地域 ジュニア・グループ 佳作
「機会と手助けがあれば、普通の生活を営める」
アフガニスタン  カーン・ビビ(23歳・女性)
 全ての人間は困難や問題に直面するものですが、時折、人生を完全に揺るがすような深刻な困難に直面する場合もあります。しかしうまく対処するならば普通の生活を送れるようになることも可能です。
 私が5、6歳の時は、よく他の子供たちと遊んだものです。春の終わりや夏にはよく泳いだものでした。それは楽しく、同じ年頃の子供たちが私を助けてくれました。私は通常の30lしか視力がなく、適切な医療施設もなく治療も受けられず、私の視力は低下しつつありました。その時に医療関係者や目医者が私の家族に治療は可能であり治療をするように勧めたのですが家族はさして重要とは思わず、日々の衣食住を与えるだけで私の視力は次第に衰え私の試練は始まりました。
 私は家にいる時に自分の緊張をほぐし憂さを晴らすためにフォーク音楽やインド音楽などを聴きました。時に楽器を演奏することもありましたが、それは当時の私にとっては良い時代でした。
 私が15歳の時に家族がコスト州から首都カブールへ移り住みました。私は以前の友達が恋しくなり、彼らに会って一緒に遊びたくなりました。しかし長距離の隔てや不穏な政治状況もあり、それは可能ではありませんでした。友達が恋しくて私はよく泣いたものでした。
 私は自立訓練の必要があり、読むためには点字の訓練の必要がありました。その当時は点字や自立訓練があることを知りませんでした。私の家族は私は一生家の中で過ごさなければいけないと思っていました。AAB(アフガニスタン視覚障害協会)の調査員が私たちが住む地域で視覚障害者を調査していました。視覚障害者をアフガニスタン視覚障害協会の地域にある大学に連れて行くためでした。近所の誰かがアフガニスタン視覚障害協会と連絡を取り、協会が私の家族と連絡を取り、最初に私の父に会いました。ようやく私は点字や自立訓練を受けることとなり、私はうれしかったです。アフガニスタン視覚障害協会の選挙第二期が終わった後、私は詩を朗読し演説もしました。
 私はアフガニスタン視覚障害協会の活動に興味を持ち、協会の中で信頼されるようになりました。あらゆる関連した活動にアフガニスタン視覚障害協会は私を招待してくれ、その時私は新しい生活が始まったと感じました。困難な生活や他者に依存する生活は終わりを告げ、全ては改善されました。
 学習すべき大事な時期をコスト州で教育も受けずに過ごしたので私には劣等感がありました。私には高等教育を続けるための正式な書類がなかったからです。ただ、アフガニスタン視覚障害協会調査員の協力もあり、点字の助けもあり私は読めるようになりました。 現在私は市民社会の一員です。19歳の時に才能が認められ、女性委員会の委員長に選ばれました。アフガニスタン視覚障害協会の代表者たちが私を助けてくれなかったら私は訓練を受けることもなく社会に参加することもなく、ただ家でじっと過ごしていたことでしょう。
 アフガニスタン視覚障害協会の調査員や福祉委員たちの手助けを受けることが出来たのは本当に私にとって良かったです。家族の支えもあり更なる訓練や教育を受けることも出来ました。私は今自立していて職業も持ち、結婚して普通の幸せな生活を築いています。
 アフガニスタンの社会が視覚障害者、特に女性や子供たちを助け、機会を与える手助けをしてくれるように切願します。そして、彼らに権利を与え、不必要な制限を課すことがないように願っています。