海外の部 ABU地域 ジュニア・グループ 優秀賞
 「ヘレン・ケラーを知り学んだこと」
パキスタン ムハンマド・ハムザ (23歳・男性)
 ヘレン・ケラーの人生と私がそこから学んだことをまとめました。
 ・乳児期……ヘレン・ケラーは1880年6月27日、アーサー・H・ケラーとキャサリン・アダムス・ケラー夫妻のあいだに健常の視覚、聴覚を持って生まれました。ヘレンは生後6か月で話しはじめ、1歳で歩き始めました。
視覚・聴覚の喪失……ケラーは1882年にしょう紅熱(髄膜炎)と呼ばれる病気にかかりました。発熱後数日のうちにケラーの母親は、娘が音や光に反応を示さないことに気付きました。ケラーは生後18か月で視覚と聴覚を失ってしまったのです。幼少期に入り、ケラーは野蛮で手におえない子供となっていきました。怒った時には暴れ回り、うれしい時にはクスクスと抑えきれずに笑うのでした。
 ・教師、アン・サリバン……1886年、ケラーの母親は、マサチューセッツ州ボストン市の視覚障害者のためのパーキンズ研究所の所長に会い、研究所の一番新しい卒業生であるアン・サリバンの指導を受けるよう勧められました。そうして49年に及ぶ師弟関係が始まったのです。最初ケラーは好奇心を示したが、そのうち反抗的になり、サリバンの指導を拒むようになっていきました。
 苦闘の末、サリバンはケラーに「水」という言葉を教えました。サリバンはケラーの片手にざっと水をかけ、もう一方の手に「w-a-t-e-r」と綴(つづ)り、物と文字の関係を教えました。ケラーは理解し、サリバンの手に言葉を綴り返しました。ケラーは次に地面をたたき、「文字で綴る名前」を求めました。サリバンはケラーについていき、彼女の手に言葉を綴りました。サリバンを引っ張りながらケラーは他の物へと動いて行きました。そして日が暮れるころには30語ほどの言葉を覚えたのです。
 ・学校教育……1894年から1896年、ケラーは通常教育の科目を学べるようにコミュニケーションスキルを伸ばすため、ニューヨーク市のライト-ヒューマソン聴覚障害者学校に通いました。そして1896年、ケンブリッジ女子学校に通いました。その後ケラーは横に座ったサリバンに講義やテキストの通訳をしてもらいながら、ラドクリフ大学に通うようになりました。この頃にはケラーはタッチ読唇術、点字、スピーチ、タイピング、指綴りなど数種類のコミュニケーション方法をマスターしていました。「私の生涯(ヘレン・ケラー自伝)」という最初の本も書きました。そして1904年、24歳でラドクリフ大学を優秀な成績で卒業しました。
 ・社会活動……20世紀前半を通して、ケラーは女性参政権、反戦主義、避妊などの社会的、政治的問題に取り組みました。またアメリカ連邦議会での証言で、視覚障害者の福祉を改善するよう強く提言しました。1915年にはヘレン・ケラー・インターナショナルを共同設立し、視覚障害と栄養不良の問題に取り組みました。ケラーは1924年に全米盲人連盟のメンバーとなり、視覚障害者への意識向上、支援、資金集めなどの多くの活動に参加しました。
 ・業績と影響……1946年、ケラーはAmerican Foundation of Overseas Blind(アメリカ海外視覚障害者協会)の国際関係カウンセラーに選ばれ、1946年から1957年の間に5大陸、35カ国を旅しました。そして数々のスピーチなどを通して、多くの人々にインスピレーションと勇気をもたらしたのです。またケラーの自伝「私の生涯」は「奇跡の人」という1957年のテレビドラマの原作にもなりました。
 ・死と遺産……ケラーは1961年に数回にわたり脳卒中を患い、その後の生涯はコネチカットの自宅で過ごすこととなりました。存命中、セオドア・ルーズベルト殊勲賞(1936年)、自由勲章(1964年)、女性の殿堂入り(1965年)などを含む数々の栄誉を受けています。そしてテンプル大学、ハーバード大学、グラスゴー大学(スコットランド)、ベルリン大学(ドイツ)、デリー大学(インド)、ウィトウォーターズランド大学(南アフリカ・ヨハネスブルク)から名誉博士号も贈られています。またスコットランドの教育研究所の特別研究員にも任命されています。
 ケラーは88歳の誕生日までわずか数週間を残し、1968年6月1日に逝去しました。
 ヘレン・ケラーから学んだこと……並外れた素晴らしい人生を生きたケラーは、人は決意と努力と想像力があれば逆境に打ち勝つことができるという力強い例を示しました。並みならぬ粘り強さで困難を克服することによって、彼女は他の人々の地位向上のために尽力し、尊敬されるべき世界的に有名な活動家となっていきました。
 私が学んだことは以下の六つです。
 1.夢を追え
 「人生とは、大胆な冒険か無価値なものかのどちらかです。安心とは、ほぼ迷信です。自然界には存在しないのです。危険を避けることは、長い目で見れば危険に完全にさらされることと同じでしょう」。制限を取り除き、夢を追いかけましょう。あまり良い例ではありませんが、パリス・ヒルトンも言っています。「人生は短いんだから、目立たなきゃ」。最終バスと思って夢をおいかけましょう。
 2.ビジョンを持たなけれならない
 目がみえてもビジョンを持たなければ意味がない。偉大なリーダーは明確なビジョンを持っています。
 3.不可能はない
 粘り強く頑張れば、やりたいと思ったことは何でもできます。時間をかければ何でも達成できるというのが、「時間」の素晴らしさです。達成したいことを心に決めて、そこに到達するまで諦めないで。夢に到達するまで全力を注ぎましょう。
 4.経験は何事にも代え難い価値がある
 人生とは、理解するには経験しなければならないレッスンの連続です。知識はあって良しだが、経験は何事にも代え難い価値があります。人生のレッスンから学ぶのです! 直接得られる経験で手を汚すことを恐れてはいけません。
 5.ポジティブなことに目を向けよう
 世の中にはたくさんの苦悩があるけれど、苦悩の克服もたくさんあります。周りのネガティブなことに目を向けがちだが、それはあまり良いことではありません。ヘレン・ケラーは「太陽の光に顔を向け続けなさい。そうすれば影を見ることはないでしょう」と言いました。
 6.成功者と付き合え
 できないと人が言っている間に、できてしまうものです。成功する者は成功する者と付き合います。ネガティブな人々との付き合いに捕まらないようにしましょう。ネガティブな人々は「吸血鬼」のようなもので、周りのあらゆるものから生気を吸い取ります。そしていつも「何かに挑戦する時、どうしてできないのか、なぜできないのか、どんな風に失敗するのか」と話すのです。こんな弱虫たちと長く付き合っていると、自分に飛躍する能力があることを忘れてしまいます。不可能を可能と信じる人々と付き合うと決めましょう。
 7.運命は自分の手の中に
 私が探し求めているものはどこか外にあるのではなく、自分の中にあります。成功に必要なものはすべて自分自身の中にあるのであります。成功はそこにあるのだが、それを信じ、自分がそれに値すると確信しなければなりません。
 「高く舞い上がろうという衝動を感じる時、ノロノロすることには決して同意できない」(ヘレン・ケラー)。