海外の部 ABU地域 シニア・グループ 優秀賞
「社会生活を豊かにするのか、あるいは孤立させるのか?」
レバノン  ローラ・ダマー(45歳・女性)
 過去10年間の通信技術の進歩はあまりにも速く、私たちは追いつくことができなかったと懸念されています。今日では、音声、ビデオ、テキストを使い、どこで誰とでも通信することが可能です。
 社会生活におけるソーシャルメディアの悪影響の問題、そして、それによりコミュニティーに住む人間が社会的孤立してしまうことは、一見矛盾しているように見えます。ソーシャルメディアの目的はその名前に由来するという人もいるでしょう。ソーシャルメディアとは、距離やその他の障壁によって分離された同じ地域に住むメンバー間の個人的および社会的関係の延長であること、また一方で、他地域のメンバーと人的交流をしあうこと時に使われるもの。
 ソーシャルメディアは優れた結果をもたらしていますが、生身の人間とじかに接することなく、現実世界よりも仮想世界(バーチャル)に住むことを可能にします。このバーチャル世界は、私たちの日常生活の中でかなりのスペースを取り始めています。私たちは日々、多くの人たちと会うことなく、あるいは本当の反応を見ずに、テキストの会話を通じてコミュニケーションをしています。フェイスブックやツイッターやワッツアップを通して、私たちは友人や見知らぬ人と通信し、お互いの共通点が何もなくても、一般的な事柄や個人的なことまでも彼らと考えや意見を共有します。会話は一文で終わるかもしれないし、名前にしても本名でも偽名でも良いし、同じ名前でも私たちの友人リストに追加されます。私たちはいつか会うかも知れないし、会わないかも知れない。でもはっきり言えることは、実際に会うのとバーチャル世界で会うことは違うということです。
 フェイスブックや他のソーシャルメディアは、会える距離に住んでいながら長い間実際に会っていない人々に利用されています。ソーシャルメディアによって、これまで行われていた 友人や家族の間の訪問回数が減少していることに気づくことは難しくはありません。
 かつてはさまざまな社会的な機会や行事が、人々をお互いに訪問し合うことを強制してきました。しかし、今ではお互いの行き来が少なくなり、電話やソーシャルメディアを通じてお祝いやお悔やみを送ることが主流になりました。しかし、その頻度はもちろん人々の環境、年齢、ソーシャルメディアへの精通度によって異なります。
 しかし皮肉なことに、多くの方法で時間を効率良く使えたり、生活を簡素化するために作られたソーシャルメディアの進歩は、より良好で強い社会的関係をもたらしませんでした。ソーシャルメディアは時間がかかります。私たちは出会いや会話のソーシャルメディアに時間を費やしているために、実際に会ったり、何かに参加したりする時間が無いのです。長い間会わなかったことに対しての最も多い理由は、時間がないということです。私たちは友人や家族と共に過ごす時間を減らして、ソーシャルメディアを通じて写真を見たり、それにコメントしたり、愛情の言葉を送る、仮想世界の囚人と化しているのです。あたかも、私たちが直接対面したり接触することから逃れるために、カーテンの向こうからコミュニケーションゲームを楽しんでいるかのようです。
 もうひとつ加えたいことは、ソーシャルメディアでの反応やコメントが誇張されている可能性に注意する必要があり、その誇張は、肯定的でもあり、また否定的なこともあるということです。顔を見せないということは、自分の意見がどんなに鈍い、生意気な、あるいは衝撃的であっても、表現の自由を与えています。直接の対応が無いために、コメントを削除することによってその行動は大胆になります。
 ですから、電気通信は、場合によっては人をより正直にしたり、うそをついたり、誇張させるかもしれません。いずれの場合も、ソーシャルメディアでは、健全な社会関係を築くことにはなりません。社会関係は、個人的な世話や交流、人間相互と地域との関係を通じて構築されています。ソーシャルメディアは個人中心で社会と孤立した世界を徐々に形成して行きます。
 社会的孤立は、家族で一緒に住みながら、ソーシャルメディアを通してお互いに会話している例からでも見て取れます。家族がソーシャルメディアの細かいことに時間をとられている間、個々の問題が蓄積し、それがどんどん現れてきます。家族の皆が、何らかの人的交流を持つことなく、ソーシャルメディアを介して知人の生活のすべてのことを音や写真(あるいは両方で)でチェックし、また自分に起こったことを同様にアップロードするのです。同時に、負の影響も見受けられます。家族が孤立してしまうことがひとつ。そして表面的なことにとらわれていて、根本的な問題に取り組まないために、親密で実存的な絆をないがしろにしてしまうことなどです。
 自由の象徴でありながら、携帯電話のパスワードも家族の分離のシンボルです。家族の日常生活をコントロールするソーシャルメディアが夫婦の関係を悪くさせ、男女の距離を心理的に遠ざけます。また過剰なソーシャルメディへの関心とバーチャルな人間関係が疑惑の原因になっています。
 もう一つの重要な問題は スマートフォンの技術革新です。それによって画像に対する関心が高まり、そして過度の写真撮影につながっています。ソーシャルメディア上での画像共有が普通のことになりました。画像によって日常生活のすべてが映し出されることになりました。それらは、興味のあるないにかかわらず、他人によって見られるようにソーシャルメディアに掲載されています。何千枚もの写真が閲覧され、そして削除されます。写真はかつて人生の特別な、または歴史的な瞬間を捉える大切なものだったはずです。
 ソーシャルメディアにおける写真への興味は、送信またはそれらを共有するということに限定されるものではありません。家族や友人との集まりには、写真を撮ったり、一緒に見たりすること自体が、人々の交わりの場となっています。ソーシャルメディアの究極の矛盾として、社会的な疎外と分離の手段になっていることが挙げられます。
 ソーシャルメディアは、距離を縮める必要がない顔をつきあわせたコミュニケーションにも使われることさえあります。友人や家族の集まりの目的がリクリエーション、ニュースの共有、会話である場合、ソーシャルメディア自体が娯楽であることがあります。
 ソーシャルメディアは、実際に長距離通信の問題であった距離や障壁を排除しました。そして仮想および間接的ではありますが、遠くの地域に住む人たちとの間における社会生活をつくりあげることに貢献しました。しかし、ソーシャルメディアは、同じ地域に住む人々との間に隔たりを作り出しました。この社会的孤立は、非常に顕著です。特にすでに反社会的、孤立傾向を持っていた場合は、特に自分の世界にこもってしまいます。
 私たちの生活においてソーシャルメディアは大きな利点があるにせよ、直接人間関係を持ち、シンプルで仮面をしないで参加する社会生活に少し後戻りする必要があります。それは掛け替えのないものです。バーチャルの世界では、健全的な普通の生活を維持することはできません。もし、実際の社会でなにが起こっているのかに注意を払わなければ、有害な影響は顕著になり、悪化の一途をたどります。ソーシャルウェブサイトのあまりにも迅速な変化は私たちをせきたて、本当の興味や社会的ニーズ、特にコミュニケーションが人間にとって基本的に必要なものだということを考えさせずにいるのです。