海外の部 WBU-AP地域 ジュニア・グループ 佳作
「視覚障害を持つ人生という苦難」
ミャンマー ラ・ラ・ミン(24歳・女性)
 ミャンマーの伝統的なスナックを行商人たちが大声で売る声を聞くと、過去20年間の人生の記憶が私の脳裏に突然浮かび上がります。私の4人の兄弟のうち、一番下の妹と私は生まれつき目が見えませんでした。当時、私の家族はメイッティーラ市の外れに住んでいました。父はその町の名士の運転手をしていましたが、父の給料では家族を養うのに不十分でした。それで、家計をやり繰りするために、母はミャンマーの伝統的なスナックを売る仕事をしなければならなかったのです。私と妹のことはさぞかし心配だったでしょうが、家族みんなを養っていくために、父母は一日中懸命に長時間働くことをいとわなかったのです。
 私たち家族には多くの親類がいましたが、誰も私たちに同情してくれなかったし、助けの手を差し伸べてもくれる人もいませんでした。そのうえ、ミャンマーにはとても心の狭い人が多く、私の家族を遠ざけようとしました。というのは、そういう人たちは、目の見えない子供を二人も持っている私の父は運に見放されていると感じていたのです。近所の人たちは、私たち家族と関わり合いになれば、自分にも災難が降りかかるのではないかと恐れていました。こんなわけで、私たち一家は、暮らしが貧しかっただけでなく、世間から見捨てられ、拒絶されていると感じていました。
 10歳になる頃には、私にも家族の置かれた状況が分かり始めました。私たちの暮らしは、私と妹には悲哀や不安、そして孤独に満ちたものでした。私たち二人は自分の将来に対する希望や夢を絶たれ、絶望の世界に生きていました。ほほ笑む日は一日とてなく、ほとんど毎日がむせび泣きと涙で暮れていきました。
 私は長女だったので、母を助けて水くみ仕事をし野菜を刻み、下の兄弟の面倒を見ようと決心しました。実のところ、母は私に何か手伝うようにとは一度も言わなかったのですが、私は母の苦難や困窮にとても心を痛めていたので、母を手助けすることが、母の重荷や悲しみの一端を母に代わって担うために一番良い方法だと感じていたのです。確かに、目の見えない私が料理や洗濯、洗い物や掃除をするのには苦労がありました。でも家族の役に立つことができたので、私の心は満たされました。幾分なりとも母が休めるように、とにかく少しは手助けできたのですから。
 近所で子供たちが遊ぶ声を聞くたびに、私も外に出て遊びの輪に加わり、一緒になって笑いたいと強く願ったものでした。でも子供たちが学校から帰ってくる声を聞くと、私は悲しみでいっぱいになりました。ほかの子のように学校に行けなかったからです。みんなが学校で習ってきたことについて話しているのを聞くと、私は泣き崩れました。祖父は私をなだめて言いました。「心配いらない、大丈夫だよ、人にはみなそれぞれ自分に用意された人生があるのだから」
 決して忘れられない祖父の言葉がもうひとつあります。「物事はみんな変わっていくんだよ、変わらないものは何一つないのだよ」。私自身の人生がその言葉の真実と英知を証明しました。私の人生が一変した、あの日のことは決して忘れません。その日、村の長が視覚障害者学校の先生数人を連れて私の家を訪ねてきました。一行は私の両親と話をし、私にいくつか質問しました。先生たちは、自分の町に視覚障害者学校を開いたと言いました。その学校では、先生たちが普通科の教育だけでなく、音楽教育や職業教育も手がけていました。その知らせを聞いたとたん、私はうれしくてたまらなくなり、長い間ずっと学校に行きたいと思っていた自分の気持ちをすぐその人たちに話しました。私はわくわくしながら、その学校に行かせてもらえるように両親にお願いしました。両親が許してくれたので、私はとても幸せでうれしい気持ちになりました。希望と光が急に私の前に現れ、独力で自立して生きていける日がやがて私にも来るのが分かりました。
 こうして、15歳のときに私は点字の読み書きを学びはじめました。その後間もなく、点字のおかげで私はある官立学校に進む機会を得ました。学校が休みの日には、視覚障害者学校で身につけたマッサージの技を使って仕事をしました。最終的に、私は大学に進学することができ、そこで一生懸命勉強して文学士の学位を得ました。
 資格を取得したので、私は、メイッティーラ市にある「視覚障害者のための新生活学校」で教師の仕事をする機会を得ました。自分と同じ境遇にある子供たちに知識を分け与えることができるというのは、本当に素晴らしい気分です。マッサージをして近所の人たちの体を癒やし、健康にしてあげられるというのも、私にとっては大きな幸せです。家族を養う糧を得て両親を笑顔にしてあげられるので、今では人生にすっかり満足しています。
 古くからの隣人たちの私や私の家族に対する態度は一変しました。隣人たちは、もはやかつてのように私たちを差別することはありません。親類の人たちも、優しい言葉で褒めてくれるし私を評価してくれるので、今は心から幸せを感じることができます。
 今、私は本当に幸福で喜びに満ち、自分の人生に心から満足しています。今の私は会う人みんなから愛情と温情と尊敬とを受け取ることができます。そのお返しに、私は自分が身につけた知識と技を勤め先の学校の目の見えない生徒たちに分け与えつつ、教師として生徒たちのために献身することができます。