海外の部 WBU-AP地域 シニア・グループ 佳作
「視覚障害と共に生きるための挑戦」
 オーストラリア ユフォン・チャン(31歳・男性)
 視覚障害者として生きることは大変な努力を要しますが、それでもなお、視覚障害者は素晴らしい人生を送ることができます。私はクリスタリン網膜症という珍しい変性眼疾患を持ち、2013年初めに法律上の視覚障害者として認められました。しかし診断後、視覚障害者として認められるまでに6年の歳月がかかりました。
 視覚障害があっても、私は幸運な人間で、周囲の方々の支えに恵まれてきたといつも思っています。フルタイムで仕事をしながらパートタイムで修士課程の勉強をしたり、買い物に出かけたり、スポーツ、ゲーム、旅行を楽しんだりと、多くの活動をすることができます。
 2011年に視力が6/12から手動弁にまで急速に低下しました。毎週のように視力が落ちていくのが自分でも分かるほどでした。それまでは、車を運転し、ビデオゲームをして、本を読み、電子機器を操作し、電子工具を作るなど、普通の生活をしていました。
 私はこの視力の急激な変化に、ひどく落ち込みました。将来の生活、仕事、家族のことが心配になりだしました。いつかこの日が来ることは分かっていましたが、こんなにも急だとは思っていなかったのです。
 何よりもまず、視覚障害を隠しておこうと思いました。以前と同じように車での通勤を続けたところ、心身に大きな負担がかかりました。やがて、運転をやめることこそが、私の責任ある行動だと気付きました。そしてバスが主要な通勤手段になりましたが、これまでの3倍時間がかかりました。違うバスに乗ってしまったり、誤った停留所で降りてしまったりということは日常茶飯事でした。
 ある朝、560番のバスを待っていると、ちょうど私の前にバスが停まりました。バスの行き先表示をしばらく見ていたところ560番のように見えたので、そのバスに乗ることにしました(実際は361番でした)。15分程して、バスが違う道を走っていることに気付きました。私は、ずっとそのまま待ち続け、とうとうバスは終点に到着しました。
 自分がどこにいるのか見当もつかなかったので、運転手の方に助けを求めるしかありませんでした。運転手さんは親切に最寄りの駅に連れて行ってくれ、私の職場に向かう電車に乗せてくれました。仕事場までは2倍の時間がかかってしまいました。こういった問題がしょっちゅう起こったのは、自分が視覚障害者だということが周囲に知られてしまうと恥ずかしいという思いから、ただ単に移動支援器具を使わなかったためです。周囲の人間にどう思われるのかを、いつも気にしていました。
 ある日、友人数人と夕食を取っているときに、私はスプーンでお皿から料理を取ろうとしました。何度かやってみて気付いたのですが、お皿にはソースの他には何も残っていませんでした。
 また、桃一袋が1kgたった1.99ドルだと思って買ったところ、後になって、実際は1kg7.99ドルだったことが分かったこともありました。
 こうしたことから、私は行動を控え妻にいろいろと頼るようになりました。幸いにも、妻は私の異変にすぐ気付きました。妻は大きな精神的支えとなり、私を励ましてくれたのです。
 妻はよく言ってくれました。「大変なことは長くは続かないから。一緒にこの障害を乗り越えていける。あなたは強くならなきゃ。ずっと私がそばで支えていくよ」
 妻の励ましのお陰で、私の固い心が少しずつ溶けていきました。妻がRSB(王立南オーストラリア盲人協会)に連絡を取ってくれ、カウンセラーに相談することにしました。この時から、人生に夜明けが見えてきたように感じました。
 カウンセラーが訪問してくれるようになったのは2012年のことでした。優しい女性で、視覚障害者が関わる問題に深い理解がありました。私の心配事や気がかりなことをしっかりと捉え、解決できるようにしてくれました。
 数回の長いセッションを終える頃には、視覚障害による問題に向き合って対処する自信がついていました。加えて、可動域トレーニングや技術支援、職業紹介といったRSBの支援サービスを教えていただきました。 こういった支援は、自分や仕事や日常生活への自信を築く上で非常に役立ちました。
 2012年に入り職場で初の組織再編がありました。新しく私の上司になった人が非常に前向きで頼れる方だったため、とても幸運でした。その上司が私に仕事の将来設計を立てるようアドバイスしてくれました。そんなことは、視覚障害者になってからは一度もなかったことです。満足のいく仕事をしてキャリアを築いていけるよう、社会人対象の教育課程の受講を勧められました。最終的に、2013年に修士号を目指すことを決めました。ラインマネジャーも交えて、将来のキャリアプランや仕事を続けるために必要な装備について話し合いました。
 大学生活はとても面白いものでした。まだ視覚障害がなかった6年前とは全く違う学生生活だとすぐに思いました。工学系の科目には数学が必要で、視覚障害者用の適応型ソフトウェアは私には使えませんでした。一生懸命努力をしましたが、なかなかうまくいきませんでした。
 そこで点字を学ぼうと、再びRSBに相談しました。しかし、私の点字スキルでは、数学の計算に対応できませんでした。このことを大学の障害学生支援アドバイザーに相談したところ、数学をサポートしてくれる人を一緒に探してくれました。これがとても上手くいき、その学期は極めて優秀な成績を収めることができました。
 いろいろなことをすればするほど自分に自信がつき、隠すようなことは何もないんだと分かってきました。今は長い白杖(はくじょう)を手に外出しています。買い物、授業への出席、その他の活動も自分で行うことができます。
 今年の2月に新しい仲間が家族に加わりました。盲導犬のハリーです。ハリーはまさに、私と家族に更なる幸せを運んできてくれました。ハリーは、どんな場所にも、そしてどんなときも、安全に私を導いてくれる、とても忠実な伴侶です。ハリーが来てから、ずいぶんと生活が豊かになりました。
 今、妻と共に初めての赤ちゃんの誕生を心待ちにしています。赤ちゃんは女の子で、7月に生まれる予定です。これからも、きっといくつもの困難が待ち受けていると思いますが、私は立ち向かっていけると確信しています。本当に、視覚障害者ができないことなど何もないのです。私たちは、ただ強くあり続ける必要があるだけです。