海外の部 ABU地域 シニア・グループ 優秀賞
「視覚障害者のための寄宿制学校―私の経験」
スリランカ ニマル・ジャヤラトゥナ(57歳・男性)
 人生の成功は、生まれてからさまざまな局面で得る経験に左右されます。デカルトの経験主義理論では、「小さな思考すら失ってしまった心は、遊ぶのに必要なアイテムのないプレイボードのようなものだ。経験によって思考能力は発達する」といいます。
 また、高名なドイツの哲学者ジョージ・バークリーも、デカルトの理論を支持しています。人生は経験によって実り多いものになるのです。
 盲目の子供は目に障害がありますが、盲学校の寄宿舎はその子供の人生に光をあてるランプのようなものです。教育に最適な地盤です。ここで「経験のある」という言葉について詳しく述べる必要があるでしょう。経験とは、実際に行動を実践することによって、個人が獲得するものです。経験論とは、実践を通して得た知識です。しかし、目の不自由な子供が得ることのできる経験は限られています。そのため子供は不完全だと感じます。居住施設を得ることのできない子供は、社会から疎外され、活発に活動できません。このような社会的な障壁を克服する理想的な方法は、学校内に住むことなのです。
 目の不自由な子供を社会に統合するには、盲学校のスタッフが最上の知識や素養を身につけていなければなりません。盲学校は子供の教育訓練の場であり、学校で生活する間に、目の不自由な子供はGCE(普通課程)を修了するものだと考えられています。そのような教育を受けることなく社会に統合されても、子供に有益ではないでしょう。晴眼者の学校で教育を受ける視覚障害者は、亀の速度でしか前に進めません。私は自分の成功体験に基づいてこのような見解を述べています。
 私は、8歳の時に盲学校に入学しました。父が私を学校に引き渡して帰っていくときのことでした。私は父に適切に敬意を示すことができませんでした。貧しい農村の出身で、敬意を払うという流儀を知らなかったのは驚くことでしょうか? 寮母が、母親が子供に教えるように、そのような場面でどのように敬意を払えばよいか適切な方法を教えてくれました。私は経験を通して自分の世界を啓蒙していくことを自分の務めとしました。
 私はそれまで歯磨き粉を指につけて歯を磨いてきました。学校に到着した翌朝、寮母は歯磨き用に一片の炭をくれました。私が炭を歯に押し当てこすっている様子を見て、寮母は、炭をかんで歯をきれいにすることを優しく教えてくれたのです。実際、これは心強い経験でした。自分の衛生を保つ有益な基盤となったのです。
 子供はどうやって将来自由を得て自立していくのでしょうか? 寄宿生として成長しても、社会に統合していくよう教育されなければなりません。「移動と適応」という学校の取り組みにより、私は白杖(はくじょう)を使う技能を身につけました。この訓練を通して、視覚障害者のシンボルである白杖を使いながら、総合的知識を得ました。これによって私たちは怖れることなく単独で移動できるのです。
 在校中に私が得た二つの極めて重要な資質は、団結と兄弟のような関係です。私は中学3年生(Grade 9)の時に主席優等生に任命されました。学校では生徒は事前に連絡することなく外出することが禁止されています。ある時、4人の生徒が無許可で外出しました。寄宿舎長は気づいていなかったのですが、私は気づいていました。私は主席優等生としての任務を行使すべきか、仲間を裏切るべきかというジレンマにはじめて直面しました。そしてビンロウジュの実が実を割る道具に挟まれたような思いで、私は黙っていたのです。主席優等生としての私の任務は1週間停止処分になりました。この事件から、このような無秩序は容赦してはならないことを思い知りました。以後、私は模範的な行動をしました。中国の毛沢東の経験を通した教育理論が、経験を通して吹き込まれたのです。
 スポーツやレクリエーションは健康な人づくりに貢献します。このような考え方に基づき、私の学校も体系的なプログラムを設けています。入学以来、私には移動の補助をしてくれる仲間がいました。次第に私は校庭を歩くようになり、飛び跳ねたり、走ったり、ダンスをしました。友だちと仲の良い取っ組み合いもしました。クリケットにも熱中しました。最初はひとりでやるのは難しいと思いましたが、スポーツをするうちに、校庭でバランスが必要な行動もできるようになりました。私は、寄宿舎の棟の優等生に選ばれました。走り幅跳び、高跳び、三段跳び、パットショット、リレー競技で成功をおさめました。寄宿舎棟間対抗試合では、私のリーダーシップの下、私の棟が数回優勝しました。盲学校は、スポーツの才能を発達させる重要な基盤なのです。晴眼者の学校では、視覚障害のある子供は教室や寄宿舎の中にいるだけで、何もしないということもありえます。
 寄宿舎制の学校にいる最も重要な特質は、完全な教育と運動ができることです。夕食後の課外活動は、私たちに技能や知識を磨く機会をくれました。活動に参加することによって、私は自分の知識や経験を広げることができました。生徒会長等を務めることにより、将来の有益な訓練にもなりました。はたして、普通校で学んでいる視覚障害のある子供がこのような立場で役割を果たすことができるかどうかは疑問です。
 校長先生は、チャイムは行事を告げるために鳴るのだとよくおっしゃったものです。なぜ校長先生はこのアドバイスを常に繰り返されていたのでしょうか? ある特定の時間に特定のことに参加することを学校で実践してきたことにより、それが私の日課となったのです。時間割は教室に限られず、学校また放課後の行事にも明確な時間が割り当てられていました。
 毎日午後4時から午後5時までは、校庭に出ることになっています。校庭に出なければ、その時間帯中にいるとみなされます。時間を守る大切さを強調するために、私は1週間校庭に出てきてはならないと命令されました。その経験から、現在私は子供たちに対して同じアドバイスをしています。そうした罰は精神的に不安なものではありましたが、このようにして私が得た知識は、私の仕事及び家庭生活にも大きなメリットとなっています。
 人によっていろいろな考え方や視点があります。心がひかれ合う感情的関係も視覚障害者にとって新しいことではありません。私ははじめてラブレターをクラスメートに書きました。私たちの関係は誠実で純粋なものでした。しかし、私の親友が私たちのことを全て校長にばらしてしまったのです。再び私は罰を受けることになりました。校長は私を3週間の停学処分にし、二つの恋する心を解消させたのです。私の親友はこの顛末(てんまつ)を喜びました。私はこの経験からいろいろな人間の本質が分かりました。こうした経験は視覚障害者だけではなく晴眼者にとっても有益なものでしょう。この出来事を詳しく調べれば、いろいろな結論が導き出されるでしょう。しかし、私は3週間の停学処分でやる気がそがれることはありませんでした。毎日の私の人生は啓発的で、あらゆる難問を克服することができました。成績はずっと上がっていきました。そして、友だちともっと賢く付き合っていこうと決意したのです。
 「教育は本からのみ得られるのではない」。これは教育者マーガレット・ミードの言葉です。課外活動に参加することによってはじめて完全な教育になるとも主張しています。このように学校は課外活動の機会もくれました。毎年、寄宿舎3棟間の試合を行うことで、競争の精神も培われました。
 近隣の学校との対抗試合もありました。私は学校代表チームのリーダーを何度か務め、心温まる親睦関係もできました。そのようなことから、普通学校に学ぶ視覚障害のある子供がそのような機会に恵まれるかどうかは疑問に思っています。
 教師や先輩の指導とアドバイスのおかげで、私はこのような称賛に値する特質を得ることができました。これらの事実は、寄宿舎制の盲学校で学ぶことは、理想的な市民としての資質を備えた個人を育てる一助になることを明確に示しています。