海外の部 WBU-AP地域 ジュニア・グループ 佳作
「視覚障害のあり方を変える」
ベトナム グエン・ティ・トゥイ (25歳・女性)
 私はグヘアン州の貧しい家庭に生まれました。生まれた時にすでに弱視で、その視力も次第に落ちてゆき、5歳の時には全盲となりました。父は負傷した元兵士、母は百姓で、他に5人の兄弟がいました。
 大家族で、家は狭く経済難はあったものの、愛のある守られた環境で育ちました。だから自分の生活や置かれた状況が、他の子供たちと違うことに気づくことがなかったのです。盲目であることが当たり前で、なぜ見えないかということに、疑問を持ったこともなかったのです。
 他の子供たちが学校に行く年齢になって、初めて私は自分が彼らと違うことに気づき始めました。家族の優しい愛に満ちた顔を見たい、色とりどりの花を眺めて楽しんだり、特に友人たちと学校に行きたい、と願うようになりました。私は手探りで、自分の置かれた環境を探ろうとしていたのです。将来の夢は実際かなうだろうかと不安に思う気持ちも芽生えてきたのです。
 1997年、私が9歳の時にゲアン省にある、障害者のための職業訓練学校に、親に連れられて行きました。最初の数日は心配でした。家族から遠く離れて、自分一人で生活することに慣れなければならなかったからです。でも学校へ行く喜びがありましたし、私と同様に目が不自由な新しい友人たちとも出会えたので、困難も乗り越えることができました。次第に新しい環境にも慣れることができました。
 点字を学び始めた最初の数日は、私には全てが慣れない妙なことばかりで、難しかったです。最初は点字の点の位置を正しく指で認知できなくて、落ち込みました。先生が点字盤と点筆に慣れるように手助けしてくれたので、すぐに難しさを感じることもなくなりました。文字や数字は小さい点で表示されており、そのうちに指で触って読めるようになりました。頑張って学び、懸命に練習したおかげで、次第に点字を流暢(りゅうちょう)に読み書きできるようになりました。点字は私にとって親友のようなものとなり、おかげで学校生活における他の障害も乗り越えることができました。
 故郷に戻った後は、地元の高校に入ることができました。またもや私は、新しい環境、友人や先生たちに慣れなくてはいけませんでした。私は教室では今までとは違った人格になってしまいました。他の生徒たちに、からかわれおびえていたからです。
 勉強も非常に大変でした。白いノートや普通のペンの代わりに、私は点字盤と点筆を使わなければならなかったからです。私の筆記用具は、他の生徒たちのものと全く違っていました。先生は視覚障害者の生徒に教えたことなどありませんでしたし、ほとんどの人は、私が点字で何を書いているか理解できなかったのです。私は孤独を感じました。他の生徒たちにとって、私は「特別な」生徒だったからです。
 でも他人のそんな見方が間違っていることを証明するためには、もっと勉強しなくてはいけないと気づけたのも、こういう試練があったからこそです。私は盲目の学生でしたが、知性を持ち合わせていました。平等に取り扱われたかったし、社会の一員になりたかったのです。時間がたつにつれ、新しい環境での試練も次第に乗り越えることができるようになりました。点字を読むことが楽しくなり、ラジオを聴いたりして情報を得ました。そして人生は、再び私に微笑みかけ始めたのです。
 高校ではよい成績を収めたので、大学に進むことになりました。私はとてもうれしかったです。フー科学大学に入学しました。ここでも私は点字の教科書がなかったので、一生懸命に勉強しなければなりませんでした。授業を録音し家で聞いて、点字で授業内容をまとめたのです。
 コンピューターが登場してからは、学習することも簡単になり、便利になりました。宿題をコンピューターでタイプしたり、先生にメールで送れるようにさえなりました。他の学生たちも、私を対等に認めてくれるようになり、自分自身や自分の能力に自信を持てるようになりました。
 これからも人生の道のりは長く、多くの困難や試練が待ち受けていると思います。でも、点字はいつも私の頼れるパートナーであり、私が夢を実現するのを助けてくれるでしょう。私の夢は、私は自分が得た知識や技術を用いて、自分の国にいる困難に直面し助けが必要な他の視覚障害者たちを、助けることです。