海外の部 WBU-AP地域 シニア・グループ 佳作
「点字とモビリティ補助機器によって視覚障害者のあり方が変わった」
ミャンマー マラン・ロイ・アウン (26歳・女性)
 私は、1987年の6月5日、ミャンマーのカチン州にあるナムテで生まれました。私は生まれつき目が見えません。
 子供のころ、近所の子供たちが学校の宿題などを声に出して読んでいるのを聞き、学校に行けたらいいなあと思っていました。私は目が見えないから、食べさせてもらえたものを口に入れなければいけませんでしたし、置物のように家の中に引きこもっていなければなりませんでした。私は全盲で、どこへも行けませんでしたが、だれも同情などしてくれませんでした。
 1994年、私の家族は、パカントにある警察署から、私をヤンゴンのキリスト教系盲学校に通わせるようにとの通知を受け取りました。これにより、勉強し、点字を習う機会が与えられたのです。教育を受ければ、私と同じ境遇にある他の人たちを助けるような人道的な仕事に携わることができるのだということに気づきました。学校では、目が見えないのは自分だけではないということを知るだけで、随分励まされました。
 学校では、点字以外に工作、材料の分別の仕方、白杖(はくじょう)の使い方などの技術教科を学びました。杖を使って、他人の助けを借りずに自分で移動することを学びました。杖を使って歩くことで大いに自信をつけることができ、人生がまったく変化してきたことを感じました。
 6年生のときに、学校の図書館で借りてきたMCFB(ミャンマー盲人クリスチャン同盟)が発行する雑誌の記事を読み、日本には視覚障害者のためのプログラムがあることを知りました。例えば、日本では視覚障害者が利用できるための交通手段があること、視覚障害者のために、バスの切符や座席の位置などに点字が用いられていること、バスのドアの点字を読めばどのバスに乗ればよいかも分かること、交差点には視覚障害歩行者のための特別な信号があることなどが書かれていました。記事を読んだあと、私は大変うれしくなり、励まされました。
 ミャンマーでは、10月15日は国際白杖の日です。この日が近づくにつれ、私は興奮してきます。その日は、見物人、支持者、寄付者の人たちが私たち参加者に声援し、拍手で賞賛してくれます。湧き上がる拍手喝采を耳にすると、自分の疲れなど忘れてしまいます。私は杖を持ち上げ、観客に振りかざします。
 学校が夏休みに入ると、故郷のヤムテに帰省します。帰宅すると父は車にひかれるのが怖くないか、と聞いてきました。私は車にひかれないけど、杖はひかれるかもしれないと笑顔で答えると、父は大笑いをし、私が最近自信をつけているのがとてもうれしいと言ってくれました。
 考え事をしながら座っていたとき、人気歌手のレイ・ピュの歌と歌詞が浮かんできました。「何の価値もないと思っていた人生が、あなたのおかげで再びよみがえり輝き始めた」
 盲学校に行く前の、暗かった自分の人生を覚えています。でも今は、先生のおかげで、私の人生は意義のあるものになりました。
 点字のほかに、わたしはコンピューターでタッチタイピングという技術を学んでいます。これにより晴眼者と一緒に学ぶことができ、私の能力を高めるものです。これは、教育研究局と社会福祉省が導入した新しい制度のおかげで可能になりました。この制度によって、視覚障害を含むすべての障害者が、公立学校で健常者と同等に学ぶことができるようになりました。ミャンマーには「人の価値は教育にある」ということわざがあります。
 近い将来、ミャンマーの憲法に障害者のための法規が出来る予定です。先生によると、私たちに晴眼者と同じ権利と機会が与えられるということです。
 そうすれば、他人の慈悲に頼ることなく、自由で、独立し、自分の足で立つことができると思うと、とてもうれしくなります。
 現在、私は自分の障害から解放されたと感じています。ミャンマーのことわざにあるように、「すべての鳥が飛ぶことが出来るように、すべての人間は考え計画する能力が備わっている」のですから、私は死ぬまで考え、計画する権利を持っているのです。
 まったく、点字とモビリティ補助器具によって、人生には価値があることを教えてもらいました。教育を受けさせてもらったし、両親には大変恩を感じています。いろいろなことを指導してくださった先生方にも大変感謝しています。