海外の部 EBU地域 ジュニア・グループ 佳作
「テクノロジー時代の点字」
フィンランド スザンナ・ハルメ (15歳・女性)
 広範囲にわたる技術の進歩は、視覚障害者向けの支援技術にも影響を及ぼしています。点字文書の作成技術も向上しました。今では、ガタガタと音をたてる古い点字タイプライターで何ページにも渡る文書を延々と打ち込む必要はなく、ITなどの技術機器を使えばいいのです。そのおかげで、日常生活に勉強に仕事に、より多くの可能性が開けるようになりました。
 私は初等学校の最上級生(日本の中学3年生)です。将来、大学で言語学と自然科学を専攻するつもりです。勉強するときに一番重要な支援装置は、コンピュータとそれに接続した点字ディスプレーです。私はいつも聞くより読む方が好きでした。だから、音声読み上げ装置はめったに使わず、点字ディスプレーばかり使っています。点字ディスプレーを使うと、いくつもの点字フォルダーを読むよりずっと簡単で楽だからです。点字ディスプレーは、教科書を読むにもメモを取るにも使い勝手がいいし、数学記号や外国語も表示できます。
 IT機器で点字を使えるようになったので、晴眼者も点字使用者の作成した文書を読めるようになりました。コンピューターに入力した文章を、晴眼者は普通のディスプレーで、視覚障害者は点字ディスプレーで読むことができます。紙に書かれた点字文だと、点字がわかる晴眼者しか読めません。このような技術のおかげで、点字を知っている晴眼者が以前ほど必要ではなくなりました。
 一方、こうした急速な技術の発展には問題もあります(そう思う私は少数派のようですが)。点字装置に加えて技術支援装置も開発され、聞き取り装置や読み上げ装置も開発されました。聞くこともどんどん楽になっているのです。聞く方が読むより速くて楽なのは、まず間違いありません。つまり、点字を学ばなくてもよくなってしまったのです。
 私が知っている生徒の大半は、聞いて学習する方が読んで学習するよりも好きです。もちろん、誰でも自分に一番合った学習法を選ぶ権利がありますが、聞くばかりで読まなくなるのは良いことではありません。点字を読める人がどんどん少なくなっています。それは読み書きができないということと同じです。聞いてわかるだけでは読み書きができるとはいえません。だから学校では子供達に点字を教え、点字をもっと学校や視覚障害者向けのサービスで使用した方がいいと思います。
 視覚障害者にとって点字は読み書きの手段ですから、点字を使わなくなることは読み書きの能力が危うくなるということです。技術は点字の将来にとって脅威になる可能性があるのです。これは私の意見ですが、点字との関わり方を再評価して、点字を守り大事にしていくべきだと思います。読み書きのできない視覚障害者が増えると困りますよね。
 では、もっと多くの人の生活に点字を取り入れるにはどうすればいいのでしょうか。かつては点字は読むための唯一の手段でしたが、技術の進歩によって多種多様な装置が生まれました。聞き取り装置、ノート作成装置、デジタルレコーダーなどです。装置の改良も続いていて、点字は必要ないからと、点字を勉強しない子供の数が増えています。成人してから視覚障害者になった人でも、生活するのが以前よりも容易になり、点字学習をしなくてもよくなりました。
 学校で全視覚障害児に点字を教えることが最も重要だと思います。点字を学べば晴眼者のクラスメートと一緒に学ぶことができるし、たとえ後で使わなくなるとしても、少なくとも基本的な読むスキルを教わることができるからです。そのうえ、読むときに視覚障害が何の妨げにもならないので、晴眼者と対等だと感じることができると思います。
 それでも子供は、成長するにしたがって、点字を読む意義がわからなくなります。多種多様な装置があることを知り、点字の重要性と価値を見失うかもしれません。実際、点字を使用している支援装置はごくわずかしかありません。点字ディスプレイ以外でよく知られている支援装置はあまりないと思います。
 幸いにも点字ディスプレーも進歩しています。いろいろなタイプのディスプレーがあります。もしかしたら、点字への関心をもう一度呼び起こしてくれるかもしれません。
 成人してから視力を失った人は、点字を知らないままになりやすいので、点字についての指導や情報を提供しなければなりません。どこでそれをすればいいでしょうか。リハビリテーションの一環として、あるいは様々なコースでということになるでしょう。心構えが大切です。正しい心構えと学ぶ意欲があれば、点字学習は難しくありません。
 支援装置の開発者にも点字をもっと考慮してもらいたいと思います。もっと点字を活用できるのに、どうして読み上げ装置ばかり開発するのでしょうか。もっといろいろな種類のノート作成機や読む装置を開発できるはずです。技術の発達が読み書きのスキルに取って代わるのではなく、技術によって、読む活動を減らすのではなく、増やす方向に持っていくべきだと思います。
 少なくともフィンランドの視覚障害者用図書館には、オーディオブックや従来の点字書籍、電子書籍などいろいろな形態の本が置かれています。蔵書の中には小説やノンフィクション、教科書もあります。紙の点字書籍は読まれなくなってきていて、今後もその傾向は続くでしょう。紙の点字書籍は場所を取るし実用的でないので、無理もありません。何もオーディオブックがよくないと言っているのではありません。私だって小説はオーディオブックで聞くのが好きです。
 支援機器がさらに広まると、とりわけ学習分野では電子書籍が一般的になってゆくのは確実です。より多くの人々が、日々の学習や仕事でIT機器をますます利用するでしょう。電子書籍や雑誌は、音声読み上げ装置を使って聞くか、点字ディスプレーで読むかのどちらかですが、友達の間では聞く方が人気です。点字ディスプレイは数学と言語の学習でしか使いません。数学記号も綴りも、耳で聞くだけでは充分に理解できないからです。私は、長い文章も本も、点字ディスプレーで読みます。それが私にとっての読書なのです。機械で合成された音声で聞くのとは全然違います。
 だから、私は友達より速く読めます。友達は読むのが遅いので、点字が嫌いです。でも上手になるには読むしかないのです。視覚障害者の誰もが、(おそらく他の誰かが読み上げた)音声に頼るのでなく、私も晴眼者と同じように読書ができますと言えたら、すばらしいではありませんか。だからこそ、私は読書の大切さを強調したいのです。読み方を身に着けるには読むしか方法はありません。いったん習って使い始めれば、簡単で自然だと感じ始めるでしょう。
 点字表示は、例えば列車の座席番号やヘッドホンに付いていて、ローマでは、通りの名前に点字表記が付いているのを見つけました。では、点字を知らない視覚障害者だったらどうでしょう。社会が視覚障害者の便宜を図るために用意した設備の恩恵を享受できますか。できません。点字以外の方法で列車の座席番号を視覚障害者に伝えることができますか。音声ベースの方法は何にでも使えるとは限りません。晴眼者は日常的に文字を目にし、それを読まざるを得ません。視覚障害者は同じことをしなくてよい、できないということがあるでしょうか。
 生活の中で人々がさまざまな形態の文を読むことの意義はとても大きいのです。パンフレット、広告、ポスター。点字を読める視覚障害者は、読めない人よりも社会参加の機会が多く、支援や周囲の人に頼ることが少なくなります。もちろん読むことに加えて、聞いたり他の形態の補助を使ったりするのはかまいませんが、それが読むスキルに取って代わるようなことがあってはいけないのです。
 開発途上国では人々に読み書きを教えようとしています。読み書きができれば、よりよい生活を送れるようになると考えているからです。それなのに、どうして豊かな先進国で、視覚障害者は点字の読み方を知らなくてもよい、それでも生活の質は落ちないということになるのでしょうか。視覚障害者が点字が読めるということは、晴眼者が読み書きができるというのと同じです。同等に扱わなければなりません。晴眼者が読み方を教わるのであれば、視覚障害者も点字を教わるべきなのです。晴眼者が読めるなら、視覚障害者も読めなければいけません。
 書くという行為がない世界はどんな世界でしょう。多くのことが欠けた世界です。視覚障害者がそんな世界で生きるのがいいと思いますか。もちろん答えは「ノー」です。だからこそ、点字の価値を認識し、点字を慈しみ大切にして、感謝の気持ちを持ちましょう、点字万歳!