海外の部 EBU地域 シニア・グループ 佳作
「ルイ・ブライユの魂の中で」
オランダ ヘルマン・クレトン (54歳・男性)
 私はルイ・ブライユについての本を読んでいた手を止めました。そして、本を開いたまま横に置いて考えました。今、視覚障害者が手にしている社会参加の機会を見たらブライユは一体どう思うだろう。彼が発明した点字によって視覚障害者や弱視者が解放された。その役割をブライユは一体どう思うだろう。今はコンピューターの画面上の文を点字で読むことができるのだと言ったら、彼はそれを信じるだろうか。点字と点字楽譜は、世界中の視覚障害者と弱視者が日常的に使っているものだと言ったら彼は信じるだろうか。答えを見つける方法は一つ。本人に聞くこと!
 そこで私は19世紀のパリにある古い盲学校へ旅をしました。そこには、病に侵されたルイ・ブライユがいました。結核を患ってはいるものの、彼の心は信じられないほどとぎ澄まされているようでした。
 私は彼と向かい合ってテーブルにつきました。小柄で痩せこけ、肌は青白く、目の周りが黒ずんでいます。見えていないその目は、じっと開いたままでした。声は優しく、どこか重々しく響いています。昔は心地よく耳に響いたに違いありません。しかし、今の彼は身振り手振りを交えて熱く早口に話します。時おりせき込んで話が中断されます。そのたびに理由をつけるのです。紳士らしく、フランス人らしく。
 「オランダ語が上手ですね」と言うと、彼はニヤリと笑って「仕方ないでしょう。あなたはフランス語が話せないのだから」と答えました。なんという天才。そのことがはっきりとわかりました。「点字のことで聞きたいのですが」と私がパリにやってきたわけを説明すると、彼は顔をしかめて「点字?」と聞き返しました。「そうです。あなたが発明した点を使った文字のことです」「ああ、あれか。何を知りたいのですか」と関心なさそうに言った。
     ばか者
 「私の考えた点の文字を、世界中の視覚障害者や弱視者が学んでいるですって?」彼は信じられないとでも言いたそうに繰り返しました。「しかも、どんな言語でも点の文字を使って読んでいるですって? それに、特別な図書館には点字の本が何千、いや何百万もあるということを信じろと言うのですね。あなたは私のことを何だと思っているのですか。ばか者とでも?」彼はとても興奮したので、またひどく咳き込んでしまいました。
 私は、ルイ・ブライユはジュール・ヴェルヌとは違い、天才にも限界があることに気がつきました。私は2012年からきたこと、私が生まれたのは彼が亡くなってから150年以上も経ってからだということをどうやって説明すればいいのでしょう。もし、誰かが私にこんな話をしたら、私だって緊急用の電話番号に通報するでしょう。
      時代のあかし
 どう説明すればいいかわからないけれど、それでも、私は本当に未来からやってきたのだと彼に話しました。その証拠として点字腕時計を渡しました。時計の小さな蓋は開けておきました。彼はそっとダイアルに触れて「おお、これはいいね!」と気に入ったようです。「これがブライユ(点字)腕時計と呼ばれているものですか? 私の名前にちなんで?こんなものを手につけていた記憶はないのですが………」。ダイアルの上に、触ってわかる点と縞模様があるからこの名前がついたことを説明しました。
 「あなたの時代では、こういう点があるものは何でもブライユと呼ばれているのですか」彼は知りたがりました。私の中で、点字用品がどんどん浮かびました。「いいえ、必ずしもそうではありません。この時計のように触るための点があって視覚障害者向けに開発されたものだけがそう呼ばれています。ほかにも、ブライユ目覚まし時計、ブライユ・ペーパー(点字用紙)、ブライユ・タイプライター、ブライユ・ゲージ、ブライユ・プリンター、ブライユ・ラインなどがあります」
     好奇心
 説明しなければいけないことがたくさんありました。彼は質問したり、咳をしたりして、私の話を時おりさえぎりました。最初に感じた疑いは好奇心に変わったようです。「つまり、コンピューターや、そのインターネットやらでほかの人と交流できて、そこにある情報を取り出せるというわけですね。それで、その点字ラインとやらで画面上の文字を読むことができるのですか」「ええ、できます」。私の言うことを彼がたやすく理解できたのは、私の説明によるものなのか、彼の想像力によるものなのかはわかりませんが、150年以上もの歳月の隔たりは消えたように思われました。
 「それで、あなたの時代の視覚障害者の生活は、よくなったのですか」。彼は続けました。「勉強はできるのですか? やりがいのある仕事をしているのですか?」私はうなずきました。彼の目が見えないことも忘れて。彼も目が見えないということを忘れて、私がうなずくのを見ていました。
     早すぎた誕生
 「私は早く生まれてきてしまったようだ」と、彼はため息をつきました。「あなたが生きている時代に生きてみたかった。私は………」突然激しく咳き込みました。みなさんにも彼の息が途絶えそうなのがおわかりでしょう。切ない気持ちでいっぱいになりました。ブライユという天才の悲劇。強烈なほどまぶしい光が輝いたのは、こんなにも短い間だったなんて。運命とはなんと不公平なものでしょう。
 「ブライユさん、あなたが生まれたのは、ちょうどいいタイミングだったのですよ」私は彼を慰めたくてそう言いました。「あなたがいなかったら、視覚障害者や弱視者の未来は、今とはまったく違ったものになっていたでしょう。あなたのおかげで、あなたが作った点字のおかげで、私たちは手に入れることができなかった情報と知識を得る手段を手にしたのです。あなたにどれだけ感謝しなければいけないか、あなたには想像もつかないでしょうね。私たちは、自分が望む人生を生きることができます。あなたのような人がそれを可能にしてくれたのです。私たちはあなたの魂の中で生きているのです」
 しばらくの間、静かな時間が流れました。私の言葉の余韻がただよっていました。彼は顔を上げて、かすかにうなずきました。まるで、歴史における彼の役割を考え、理解し、受け入れたかのようでした。「わかりました」と、彼は少し皮肉を込めて言いました。「私は、生まれたのが早すぎたわけではないかもしれませんが、でも、死ぬのは確かに早すぎたようです」彼はニヤリと笑いました。自分の死期が近づいていることを知っている人、間もなく旅立つときだと悟った人だけができるような笑いでした。
      ブライユの謎
 目が覚めました。何時かな。無意識に右手を左手首に運びました。おや、腕時計がない!さっきまで確かに腕につけていたのに。どういうことだろう。どこに置いたのだろう。後で見つかるだろう。私の横に開いたままになっていた『ルイ・ブライユの生涯と作品』を手に取りました。読みかけだった箇所を探して先を続けました。
 「ルイ・ブライユは、電池式の点字腕時計を初めて手に入れた視覚障害者であったようだ。しかし、どうやって彼がその点字腕時計を手に入れたのかは不明である」